セピア色の少年少女


「ぱぱ。ぱぱ」


おもちゃで遊んでいた彩巴ちゃんは、誰かを呼ぶように口ずさんだ。私は祭壇に飾られているヒロの遺影と遺骨へ手を合わせる。


「もう明日で四十九日なのねぇ」


ゆきちゃんがぽつりと呟いた。葬式ぶりに会った彼女は少し痩せたようだったが、あの意気消沈していた様子とは違って表情は明るかった。


新しく綺麗な家。でもヒロはいなくて、母子二人が暮らすにはあまりに広すぎた。


「あの人の物、一つも片付けてないんだ。納骨が終わったら整理しなくちゃね」


「・・・・・・葬式の時、空気を乱すようなことして帰ってごめん」


おじさんと口論になって迷惑をかけたことを謝罪すると、ゆきちゃんは鈴を転がすように笑った。


「むしろ謝るのは私の方。悪口全部聞こえてたのに黙ってたの。本当は悔しくて悔しくて仕方なかったんだけど、あの人の死を惜しんで来てくれたのは事実だからね。美空ちゃんが怒ってくれてすっきりした。ありがとう」


「お礼なんて、そんな。悲しいのを泣くことじゃなくて怒りに変えただけだったんだよ」


紅茶の入ったカップをテーブルに置くゆきちゃんは、なぜか驚いた顔をした。


「覚えてないの?」


「覚え・・・・・・え?」


「訃報に駆けつけて家に来た時も、お通夜の時もお葬式の時も、火葬場でおじさんにつかみかかった時も、美空ちゃん泣いてたよ」


今度は私が驚く番だった。自分ではずっと冷静沈着でいたつもりで、物静かにヒロの死を悼んでいたつもりだったのだが、実際はその真逆で誰よりもわんわん泣いていたそうだ。


私は再度平謝りをした。ゆきちゃんは無垢に笑って首を横に振った。


「愛していたんでしょ?」


「・・・・・・はい?」


愛してる? 私が、ヒロを?


やましい気持ちはこれっぽっちもないのに、ゆきちゃんに問われるとすごく焦燥する。


「あいつをそういう目で見たことはないよ」


「わかってる。幼なじみで親友って呼ばれていているけど、名称じゃおさまりきれないくらい特別なんだよ。告白されて何度も断ったのは、あんまり二人がお似合いだったからなんだ」


ゆきちゃんの澄んだ綺麗な目に見つめられるのが恥ずかしくなり、俯きながら紅茶をすする。


途端、わーんと大声で彩巴ちゃんが泣き出した。ゆきちゃんはすぐさま抱き上げてあやし始める。


「まったく、結局パパは彩巴を上手にあやせないままさよならしちゃったね」


なかなか泣き止まない彩巴ちゃんを、試しに抱いてみて良いか聞いてみる。


ゆきちゃんは快く了承して、私の腕へそっと渡した。


とんとんと優しく背中を叩いていると、次第に泣き声は小さくなっていき、ようやく落ち着いて抱かれたまますやすやと寝息を立てた。


「美空ちゃんすごい、この子私以外に抱っこされて眠ったことないのよ」


小声でゆきちゃんは私を褒め称える。そっとベッドへ彩巴ちゃんを寝かせて、私達はソファへと戻る。


「ゆきちゃん、ヒロにもう一度会いたい?」


恐る恐る尋ねると、ゆきちゃんは一瞬表情を固くしたがすぐに柔らかくなった。


「私ね、時大君のことしばらく許すことができなかった。私達を残して急にいなくなってしまうんだもん」


それは私も同じだった。急にいなくなったと思ったら、へんてこりんな生き物になって帰ってきたんだから。


「でも、許さない立場より許して貰えない立場の方が辛いんだよね。早くに別れが来るって知っていても、私は時大君と一緒にいることを選んだしね。会いたくないって言ったら嘘になるけど、ひとつの出会いにはひとつの別れでたくさん。せっかく前に進もうとしているのに、ひょっこり現れてまたすぐにさよならなんてことがあったら、今度こそ許せないかも。あんな苦しい思いさせられたらもう立ち直れそうにないもの。生まれ変わりや転生があるかはわからないけど、またいつかお互い巡り会えたらそれでいいと思うんだ」


凛とした佇まいで言い切る彼女に、心が震えた。


ああ、私なんかよりもずっと強い女性だ。ヒロ。お前にはもったいないお嫁さんだよ。


この先私が彼女を支えるよりも、私が彼女に支えられることの方が多いと思う。お互いにお前の知っていること、知らないことを大笑いしながら話してやるから、覚悟して見守っていろよ。


彩巴ちゃんを起こさないよう、私達はそっと玄関へと歩いていく。ゆきちゃんに見送られる時、ヒロが言い残した言葉を伝えた。


「奴は、生まれ変わってもゆきちゃんと一緒になりたいと言っていたよ。その時は、大変だけどまた面倒見てやってね」


彼女の目にはうっすらと涙の膜が張っていた。それから照れ笑いをして力強く頷いて見せた。


✱✱✱✱✱




望みを叶えたいがために舞い戻ったならば、最後は自分の姿を取り戻したら、満足して消えるのだろう。


「さ、この中から好きなものを選べ」


分厚いアルバムを引っ張り出して、その中からヒロの写っているものを数枚出して見せた。


私の姿をしてお面を被っているヒロは、なんだかぼんやりしてまるで話を聞いていないようだった。


無理もない、家族と別れの時間を過ごして帰ってきたばかりだからな。


私とゆきちゃんのやりとりを草葉の陰から聞いていたのはヒロではない。その逆で、私に変身したヒロとゆきちゃんのやりとりを、開けられたリビングの掃き出し窓の外で隠れ聞いていたのが私というわけだ。


ゆきちゃんが私と同じく死者と会いたくないのだとしたら、本物の姿をしたヒロと会わせるのは返って傷つけてしまう。だから保険をかけて私の姿をしたヒロを彼女の元に行かせて、気持ちを確認したのだ。


結果、やはり彼女は死者との再会を望まなかった。いつか巡り会えたらいいというのが答えだった。


「自分の骨に手を合わせた。複雑だった。あの遺影、くしゃみをする寸前の写真使ったな。ゆきは、あそこまで強かったのか。彩巴、俺に抱かれて眠ってた。可愛かったなぁ」


念仏を唱えるみたいに延々と独り言を話している。お面の前でパン!と手を叩くと奴は驚いて体を跳ねらせた。


「お前が未練たらたらでどうする。私達は前に進むしかない。進んだ先で待っていてくれるんじゃないのか? 私を幼なじみで親友にして、ゆきちゃんを嫁にするんだろ?」


「父さんと母さんもまた父さんと母さんに・・・・・・」


「今世と来世を同じ人間関係にしたいってね。最高じゃないか。そういう考え方、生きている私でさえ今からわくわくするよ」


命が終わる、それは悲しいことだけど、永遠の別れとは決まらない。


同じ姿形、同じ性格、同じ人生、同じ巡り会い方はできなくても想いが強ければ縁が再び繋がるのではないか、カフカのおかげでそのような奇跡を信じたいと思った。


「お前が小さい頃怖がっていた、人から忘れられることはないから安心してくれよ」


「・・・・・・覚えていたのか」


「私がおしっこを漏らした時のやりとりな。最近まで忘れていたんだよ、怖いもの。自分の存在が無いものにされるのが嫌なんだよな。私は自分が死ぬ日まで一日たりとも白澤時大を忘れないと誓う。死んだらお前と待ち合わせするんだから、そうしたら怖くないだろ? まぁ、友達が多くて人脈がある奴が忘れられることはそうそうないだろうがな」


すると、しおらしい態度から一変して、ヒロは笑いながらふんぞり返った。


「ははは! ソラを慰めるために戻ってきたのに、今度は俺が慰められるとはな。明日は台風か大雪か?」


「いなくなった途端に速攻忘れてやるよ!」


私は思い切りアルバムを投げつけて布団を被った。最後の最後まで嫌味な奴だ。明日になっていなくなったとしても涙の一滴流してやらない。


ヒロを放っておいてさっさと寝てしまおうとしたのだが、なかなか寝付けない。奴はカサカサといつまでも写真をいじっているようだった。なりたい自分の容姿が決まらないらしい。優柔不断な性格があだとなっているのに少し面白味を感じた。


そのいちピタリと音が止んだ。しかしヒロの気配はまだある。そのことにほっとしてしまう自分がいた。


一体、何をしているのだろうか。もう日付が変わっただろうか。



「ソラ」


幼く懐かしい声が、私を呼ぶ。振り返らずとも声の主がどんな姿をしているのかがわかった。


小さな手が私の頭を撫でる。奴は、数ある写真の中で幼少期のものを選んだらしい。私と、最も距離が近くて二人でいる時間が多かった頃だ。


「俺を救ってくれてありがとう。幸せだったよ」


瀬戸際だというのに言葉が見つからない。未練タラタラなのは私だ。この期に及んで往生際が悪く、寝たふりを続けている。ヒロが間もなくいなくなるって時に瞼を強く閉じて涙を閉じ込めて、嗚咽を漏らさないよう唇を噛み締めているので精一杯だ。


唯一できたのは、頭に乗っているヒロの小さな手をしっかりと握りしめることだった。


救われたのは私の方。私も幸せだった。湿っぽい別れは似合わない。また明日と手を振って別れるのが私達にはちょうどいいんだ。


ヒロのふっくらとした手が離れていく。やがて部屋の中から完全に気配が消えた。




そのことを確信してから、我慢を堪えきれなくなった私は声をあげて独り泣いた。



その日を最後に、カフカは、ヒロは現れなかった。



戦隊ヒーローものの面をつけて鏡の前に立つ。当たり前だが鏡の中の私は同じ動きをするだけで会話はできない。


夜中、仕事帰りに黒猫が目を光らせて横切った。突進されるのかと身構えたのが恥ずかしかった。


晴れた日に柴犬が老夫婦と散歩をしていた。可愛がられて嬉しそうにしっぽを振っていた。


高熱を出した子どもを抱えて、取り乱した母親が外来に来た。医師から大丈夫ですよと言われ、泣いて喜んでいた。


紺野にカフカは役目を果たして遠くに行ったことを伝えた。気を落としていたが、カフカをきっかけにまた兄を探し始めたという。どこかで必ず生きていると信じ、再会の日を夢見ている。


近所のゴミ捨て場をカラスが漁りまくっていた。以前ならしっしっと追い払っていたが、腹を空かせているのだろうと可哀想になって、満腹になって羽ばたいて行くのを見てからゴミ掃除をした。


高校生の男女が仲睦まじく自転車を漕いで行った。人を愛すのに真剣だったあの子は元気にしているだろうか。カフェに行ったら隠れてしまうのではないかとちょっと不安になる。


祖母は時々祖父の名を呼んで家中を歩き回る。いつも首から下げている巾着袋に入った口紅を出して、祖父がいないことを思い出している。悲観するわけではなく、笑いながら同じ思い出話を何百回も聞かせてくるようになった。こないだ遊びに行った時、台所下のネズミ捕りに一匹ネズミが引っかかっていたので、こっそり逃がしてやった。


夏祭りのイベントで移動動物園が来た。乗馬ができると聞いて、並んで背中に乗ってきた。楽しかったけどすぐに次の順番が回ってきてゆっくりできなかった。やっぱり、夜の道路を颯爽と駆け抜けたい。


ある街の某河口付近に一頭のクジラが迷い込んだとニュースが流れた。衰弱が心配されたが、クジラはやがて広い海へと帰って行ったそうだ。



あいつが変身した者達、これだけ生きている痕跡を多く見かければ、嫌でも忘れられないよなあ。


およそ十五年ぶりに小学生の頃の登下校道を歩く。ヒロの言う通り、道はあの頃と違って短く狭く感じる。家に帰るまで息を切らせて走ったのに、今じゃどうってことない。


多少風景は変わってしまったが、アスファルトの地面はそのままだ。何度も踏みしめて学校に通った。何人も子どもが列になっていたから、騒がしさが耳に残っている。前も後ろも誰もいないのは初めてだ。なんて静かな道なのだろう。


下を向いていたら大人になった私の影がふと消えた。見上げると、ちょうど丸くて白い雲が頭上を流れているところだった。青いキャンバスに白い絵の具を一滴垂らしたような空がそこにある。


「次は、雲に変身したのか?」



誰にも聞こえない独り言を言って、少し笑った後に再び足を進めた。




耳を澄ますと、大好きだった少年の声が聞こえてくるような、そんな気がした。











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七色のカフカ 弐月一録 @nigathuitiroku

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