第7話 およめさん、いらっしゃ~い。『カデシュの戦い』と『和平条約』の裏話いろいろ

前回は『カデシュの戦い』の全貌と、戦いの小話をいくつかまとめました。

今回は、小話だらけです。

枠組みは大きく分けて、『カデシュの戦い』から『和平条約』について。


それでは、お付き合いのほど宜しくお願い致します。


【項目】

●宰相、優秀すぎ。

●和平条約。

●ヒッタイトからのお嫁様

●ヒッタイトからの無茶ぶり

●3男プレヒルウォンメフと、6男ネベンカル。

●まとめ

●参考文献


【宰相、優秀すぎ】

ラムセス二世の時代に活躍していた要人が、何人か知られています。

文献1)によると、ラムセス二世は即位してから、親類縁者や友人などを重要な役職に割り当てるようになったそうです。

そのうちの一人が、このパセルという宰相。


パセルはセティ一世統治時代にアメン大神官を務めていた人物ネブネテルテンリーの息子でしたが、セティ一世統治時代から頭角を現し、セティ一世統治の後半もしくはラムセス二世の即位同時くらいに宰相に任ぜられました。


これまでのエッセイで既にお気づきの方もおられると思いますが、このパセルがですね、『カデシュの戦い』で「いやん味方がいないわ。ラムちゃんピ~ンチ!」の時に、伝令役として走った人なんです。

川を挟んでいるとはいえ、「準備万端いつでもいけまっせ」という敵の斜め横を突っ走りました。


凄くないですか?

文官ですよ、この人。

これができるという事は、もし襲われてもある程度応戦して逃げ切れる程には腕に覚えがあったと見ていいと思うのですよ。


宰相が強くたって別に変じゃないよ、と思いますか。軍事国家なんだから政治家が体鍛えていたってなんらおかしくないよ、と。


でも宰相の仕事ってね、超絶忙しいんです。


文献1) 3) には宰相の業務内容として、以下のようなものが書かれてありました。

●国庫長との協議

●官僚や使節との連絡

●田園の管理

●訴訟の検討

●採鉱・採石遠征隊の組織

●土木事業の管理

●民事裁判

●王宮の警護

●王侯貴族の墓の管理

●儀式や伝統の維持・大司祭の任命

●将軍の任命と部下の選択の承認


ざっとこんな感じでしょうか。


色々書きましたが、つまり宰相は行政のトップ。国の中で最もを持っていたのは神の子であるファラオですが、宰相は政治を統べる者として、ファラオと同等の、時にはファラオ以上のを持っていたのです。


何にしても、アホみたいに忙しいわけですよ。


農業も財務も司法も軍事も建築も宗教もインフラ整備も。極めつけに墓の世話まで。


社畜もいいところじゃありませんか。


部下の報告を聞いているだけで一日が終わりそう。

宰相は、相当要領が良くて頭が回る人でないと務まらない役職である事が分ります。


じゃあ、そんな超多忙な宰相に、体を鍛えている暇はあったのか? 

私は無かったと思うんですよね。


言っちゃあなんですが、宰相ヘミウヌの石像なんて、体ポヨンポヨンですよ。左にも右にも見事なおっぱいがついていらっしゃる。

どう見ても、戦場で剣や槍を振りましょうか、って体ではありません。


まあこのおっぱいポヨヨンのヘミウヌさんは、クフ王(古王国時代)の宰相なので、比較対象にするにはちょっと昔すぎるかもしれない。


それにもしかしたら、パセルは暇のあった若い頃に武芸を会得していたとも考えられる。

しかしながら、会得したものも放っておけば腕がなまるし感覚も鈍る。だからやっぱり、訓練は欠かせないんですよ。


そういうわけで、このパセルという宰相はね、私、本っ当に凄いと思ったわけです。


それから、当たり前といえば当たり前なのですが、宰相には高い理性が求められます。


古代エジプトには『マアト』という倫理規範がありました。

真理、秩序、調和、バランス、道徳、正義、法。これらを守り生きる事がエジプト人の模範的な生かたであるとされていたんです。

宰相は誰よりもこのマアトを重んじなければなりませんでした。


つまり、仕えているファラオがどんなに女好きで建築好きで戦争でポカをしたとしても


『このエロバカ野郎が!』


なんて(誰かさんを)罵ったりしてはいけなかったというわけです。

わー、お気の毒。


ちなみに、新王国時代から宰相は二人いました。

ラムセス二世統治時代、一人はテーベで南の行政。もう一人はぺル・ラムセスで北部の行政を担当していました。


パセルは南の宰相だったそうです2)

『カデシュの戦い』当時、北の宰相はネバムンもしくはハティアイという人物でした。


ネバムンはホルエムヘブの代から北(下エジプト担当)の宰相を務めていた人なので、かなりの老令だった事が伺えます。ゆえに、南(上エジプト担当)の宰相であるパセルがわざわざ遠征に同行した事も不自然ではありません。


しかし、ネバムンの次の宰相であるハティアイという人物が既に就任していた場合。精神体力共に横溢していたはずの身近な宰相ハティアイを国に残し、南に居たパセルを呼び寄せ遠征に同行させたという事は、それほどにラムセス二世がパセルを信頼していたという事なんだろうと、私は思いました。


そういえばこのパセルさんですが、治世21年~27年のどこかで、カイいう人物に宰相の任を譲っております。


セティ一世統治の頃から役人をしていたので、パセルはラムセス二世より年上だったはず。故に多分、年齢的な問題があったのだろうと思われます。


治世21年と言えば、和平条約が締結された年ですよ。

きちっと大業をやり遂げて、次に渡したんですね。泣かせるじゃないですか。


妻子がいたとは書かれていないので、もしかしたら独身だったのかも。

じゃあきっと、老後は召使に囲まれながら、豪邸で一人のんびりしたんだろうな~……と思いきや。


どっこい彼は、宰相を下りた後も、アメン大司祭に就任していました。

これは死ぬまでこき使われた感じですね。

わー、お気のどく。


実は私、『外伝~草色神官の秘話~』と『第二幕~オリエントの覇権闘争~』でこのパセル氏を登場させております。

その時は、美食家で若干ヌけたオッサンとして書きました。

こんなに有能な人だとは思っていなかったんですよ。


実際は、第四王子カエムワセトに勝るとも劣らぬ逸材だったのかもしれませんね。


この働き者のパセル宰相、今後の小説に出さないわけにはいかないでしょう。

とりあえず、イアル野(天国)にいらっしゃるパセル宰相様に向けて土下座でお詫び申し上げた後、人物像を練り直そうと思います。


ついでにですが、文献1)に書かれていたラムセス二世を支えた高官たち(一部)をご紹介いたします。


●ネブウェネネフ:アメン大司祭(ラムセス二世、即位と同時に彼を大神官に指名)

●バクエンコス:アメン大司祭(パセルの後任?2))

●セタウ:副王(ヌビアの行政担当)

●アメンエムイペト:海外使節

●アシャエブセド:アブ・シンベル建設工事の監督


文献を変えると、もっといっぱい出て来ます。宰相だけでも全部で8人いますから。

きっと彼らも、大王さまの為にがむしゃら働いたんでしょうね。


個人的な意見が続いて申し訳ないのですが、ラムセス二世って、すごく人に恵まれた王様だったんじゃないかと思うのです。

嫁も息子も官僚も、有能な人ばかりです。しかも、ラムセス二世をちゃんと支えているんですよ。

これはラムセス二世の仁徳なのか、ただただラッキーだったのかは私には分りませんが。


――あ、そうだ。

もし古代エジプトの宰相に興味を持たれてネットでお調べになる場合は、英語版ではVizer(ヴィジエ)と打って下さい。

日本語の『宰相』を普通に翻訳してしまうと、Prime minister『首相』になってしまいますので。

それだとあまりヒットしません。

古代エジプト語では宰相を『チャティ』といいます。



【和平条約】

元々、ヒッタイト側はこういった条約を属国と結んでいました。

宋主権条約そうしゅけんじょうやくというのだそうです。

『戦争が起きたら軍隊派遣しろよ』とか、『貢物よこせ』とかいった内容ですね。

それをベースに作ったのが、エジプトとヒッタイトの和平条約でした。


条約はエジプトが草案。それをヒッタイトに送り、ヒッタイトが正式な条約文に書き直し、銀のタブレットとしてエジプトに持ってきたと言われています。


では、その和平条約には何が書かれてあったのか。

ざっくりで申し訳ありませんが、カルナク神殿の壁に書かれてあるものを以下にまとめました。


●条約が締結された日について

治世21年 播種期(冬) 第一の月 21日(おそらく11月10日)


ラムセスがぺル・ラムセスの神殿で神々を称えていた時に、先にヒッタイトのハットゥシャへ赴いていたエジプト人三名と、ヒッタイトの使節団三名計六名が到着した事。

銀のタブレットが持って来られた事。


●両国の歴史

<ヒッタイト側>

ハットゥシリ三世

ムワタリ二世

シュッピルリウマ一世


<エジプト側>

ラムセス二世

セティ一世

ラムセス一世


このように、ヒッタイトとエジプトの王達の名前(歴代3名)が記されており、三代の歴史を振り返りながら、何故我々は戦ったのかという話。


●条約の内容

相互不可侵:何かを奪う為に、どちらもどちらの領土を侵さない。

軍事援助:軍事援助が必要な時には、お互い軍を派遣する。

亡命者の扱い:亡命者はお互いの国へ返す。

(アムル国について:アムル国はヒッタイトの属国である)


●銀のタブレットについて

この協定の内容は銀のタブレットに記されてあるということ。


●証人となる神々の名前

ヒッタイトの神々とエジプトの神々の名前。


●神々の呪いと祝福

この条約を認める時には両国の神々の祝福がもたらされ、認めない時には呪いがもたらされる。


こんな感じだそうです。


前の回にも書きましたが、銀のタブレットはまだ発見されていません。

エジプトにあるのは、カルナク神殿の壁に刻まれた、いわゆるコピー。

ヒッタイトからは、楔形文字で書かれた粘土板が見つかっています。


また、Youtubeをされている考古学者の先生のお話によると、この条約には色々裏話があります(というか裏話だけでなくこの項目自体、その先生のyoutubeを参考にしているのですが)。


●カルナク神殿の壁に刻まれた文には、ヒッタイトの使節団員の名前もきちんと書かれてあり、それがなんと、ラメセスという名前だったとか。

●ヒッタイト側の条約文にはアムル国の支配権について書かれてあるのに、エジプト側の条約文にはそれがシレッと消されている事とか。

●嵐と暴力の神セトが、嵐の多いヒッタイトでは大人気だった為に、証人となるエジプト神まで『○○のセト神』とセト神ばかりにされてしまったとか。

●書記が間違えたのか、条約文の最後にもう一度亡命者について同じような記述があるとか。


いやはや条約一つでもお国がらというか、人間味を感じますね。


ちなみに、エジプトはアムル国支配を断念する代わりにウピを手に入れました。そのため、ウガリットまでのルートの行き来は自由になったのです。1)


さて、この和平条約で欠かせないエピソードがもう一つあります。

それが、ヒッタイトの王女様との政略結婚なのです。


およめさ~ん、いらっしゃ~い。



【ヒッタイトからのお嫁様】

和平条約締結の後、エジプトの第一王妃ネフェルタリとヒッタイトの王妃プドゥケパは何度も近況を知らせ合い、親善訪問が繰り返されました。

両国の関係は安定してゆきます。

そこで、最後の一手が打たれました。


ハットゥシリ三世の長女サウシュカヌの輿入れが決まったのです。


実はこのサウシュカヌ姫、ラムセス二世に一目惚れされて結婚に至ったという伝説があります。


60過ぎのおじいちゃまが、30歳以上も年下の王女様に一目惚れですってよ。

元気だなあ。


『ちょめちょめ大王』は幾つになっても現役です。

(『ちょめちょめ大王』の由来は、第4話 ラムセス二世~パパとじぃじのスパルタぶり。および、ラムセス少年の結婚とチョメチョメについて~ をご参照ください)


サウシェカヌ姫がラムセス二世の元に輿入れしたのは、文献2)によると、Bc1245年の2月。

治世37年目、ラムセス二世61歳の時です。


両国の安定に力を尽くしたネフェルタリはこの頃、既にお亡くなりになっています。彼女が亡くなったのは、ラムセス二世の治世25年あたりだと言われています。2)

彼女が亡くなったのは、長男アメンヘルケプシェフの没年と同じです。


ラムセス二世は新妻サウシュカヌにエジプト名を与えました。

マアトホルネフェルラー(日本ではマアトネフェルラーと書かれている事が多い)。

「ラーの目に見えない輝きであるホルスを見る者」という意味です。


二人の結婚式は、エジプトとヒッタイト両軍が入り混じり、食って飲んで兄弟のようにうちとけたのだとか1)。


エジプト語とアッカド語(バビロニア語)という言葉の壁はあったでしょうが、そんなものは酒の力と可愛いお嫁ちゃんの存在が吹き飛ばしてくれたことでしょう。


マアトホルネフェルラーは、しばらくぺル・ラムセスの王宮で他の王妃たちと過ごした後、やがてメルヴェル(現在のファイユームオアシスあたり)のハーレム王宮に落ち着いたそうです。

でも側室ちがいますよ。ちゃんと正妃扱いです。


彼女はラムセス二世との間にネフェルラーという名の娘を一人産みましたが、ご本人は残念ながら出産でお亡くなりになってしまいました。



【ヒッタイトからの無茶ぶり】

さて。この輿入れの時のエピソードで、考古学者の先生がyoutubeでとても面白いお話をされていました。


これは、アブシンベル神殿にある、婚礼についての碑文に書かれてあるエピソードだそうです。

サウシュカヌ姫御一行様は、エジプトに向かう途中の国境付近で雨と雪に見舞われ、立ち往生していまいます。そこで、ヒッタイトがエジプトに連絡を送りました。

その内容は


「お前のところは魔術大国であろう。このどうにもならん状況、なんとかせい」


なんたる無茶振りでしょうか。

これが今から親戚になりましょか、という相手に言う事でしょうか。

魔力でお天道様のご機嫌をどうにかできるなんて、ヒッタイト側は本当に思っていたのでしょうか。


しかしラムセス二世は、この要求に応じました。

アジアの天候を司るのはセト神だということで、セト神殿に向かったラムセス二世は呪文を唱えます。


古代エジプトの呪文は、西洋ファンタジーの『ファイアー!』とか『サンダー!』とか一発シャウト系とは全く違っていて、祝詞に近いものです。


『天はなんじの手の中にあり地はなんじの下にあり汝のいうことは全て成し遂げられる。セト神よ天候を鎮めたまえウンタラカンタラ……』


そしたらあら不思議。

雨雪は止み、ヒッタイトのお嫁さんは無事に国境を通過し、エジプトに来る事ができましたとさ。

めでたしめでたし。


なんだか、『カデシュの戦い』の碑文の悪乗り(わが父アメンよ!の下り)と同じ匂いがぷんぷんするなと感じているのは私だけでしょうか。


余談ですが、ヒッタイトからのお嫁様はマアトホルネフェルラーさんだけではありません。

ラムセス二世は治世40年にもう一人、ハットゥシリの娘を妻に迎えています。

この時はマアトホルネフェルラーさんほどの反響は無かったそうで、名前も見つけられなかったのですが。

ラムセス二世64歳の頃の事でした。



さて、ヒッタイトのお嫁さんも無事に到着した事ですし、『カデシュの戦い』から『和平条約』までのお話はここまでにさせて頂きます。

読んで下さった皆様には、心よりお礼申し上げます。



最後にすみません。

以下の項目は私の非情に個人的なメモなのですが、お許しください。



【3男プレヒルウォンメフと、6男ネベンカル】

私の小説『新・砂漠の賢者』では、第3王子プレヒルウォンメフは9歳の時にカエムワセトを助けて亡くなっています。

また、『第二幕~オリエントの覇権闘争~』で第6王子ネベンカルは、ラムセス二世の妹ヘヌトミラーの息子であり、カエムワセトに敵対しながらも、ダプールの戦いでカエムワセトのチームに引っぱりこまれてしまいます。


史実通りに書くならば、この二人については大幅に修正しなければなりません。


まず、プレヒルウォンメフ。

彼は確かに第2王子ラメセスが死去した頃には既にあの世におりました。しかし、『カデシュの戦い』にはしっかり出陣しているのです。

だから9歳で死んだなんていう設定は無しにしなければなりません。

カエムワセトを助けて命を落とす役割は、別のキャラクターに要変更です。


次にネベンカル。

彼の母親はヘヌトミラーではありません。文献2)には、正妃の子ではなく側室の一人の子であろうと書かれています。

ヘヌトミラーに子供がいたという文献は、見つかっておりません。


そして困った事に、ネベンカルは史実ではダプールの戦いには出ていないのです。指揮官の中に彼の名前がありませんでした。

ああ、なんということでしょう。

彼はとても優秀だけど超絶マザコンで、ママが言うままカエムワセトの命を狙うちょっとイタイ子、というとってもオイシイキャラクターなのに。

『第二幕~オリエントの覇権闘争~』には、彼は無くてはならない役どころなのです。

ちゃんと調べて書かなかった私が悪いのですが……困ったな。



【まとめ】

最後の項目のぼやきはかなり余計でした。すみません。


さて次回は、もうちょっと軽いテーマを取り上げたいと思います。

まだ具体的には考えておりませんが。


投稿した暁には、もしよろしければご一読いただけたら嬉しいです。



【参考文献】

1)  神になった太陽王の物語 ラメセス2世

  ベルナデット・ムニュー:著

  吉村作治:監修

  創元社


2) wikipedia日本語版と英語版


3) その他のネットのホームページ


4)youtube


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オバタリアンの古代エジプト考察記 みかみ @mikamisan

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