2章 偶然の運命 〜松野世奈〜
第3話 再会
突如支えが無くなるってこんな感じなんだ。ここ数年は凛奈が居てくれたから“あたしには何も無い”と思うことが少なかった。
でも現在はマジで何も無くなっている。
地元の市街地に佇むバイト先の本屋で、単純作業をしているはずなのに手が進まない。
大きな出費のためにやっている本屋のバイト。ここのバイト代をいくら凛奈に注ぎ込んだだろうか。
そう思っていると新刊の芸能雑誌があたしの目に入る。
「チッ…」
キラキラとした男性芸能人は色気のあるポーズで表紙を飾っていた。何だか今はそれが無性に気に入らなくてイラついてしまう。
現実的じゃないポーズして何が面白いのか。色気なんて感じずむしろ吐き気がする。
あたしはその雑誌を隠すように上から単行本を乗せてやった。
「松野さん。次のシフト表って提出した?」
「えっ?ああ、まだです」
「そろそろ出して貰うと助かるな。松野さんの学校って夏休みはどんな感じなの?」
「別に普通です」
「そっか。それじゃあよろしくね」
急に後ろから店長に声をかけられて内心びっくりした。雑に本を扱った所を見られたら怒るに決まっている。
実際はシフト表の話だったから良かったけど、雑に扱うのは人目につかない所だけにしておこう。
「ごめん松野さん!」
「今度は何ですか?」
誰から見ても敬意も可愛さも無い返事。でもこれがあたしにとっての通常運転だ。
引き返して来た店長はあたしの返事を気にせずに1枚のメモを差し出してくる。
「これって在庫あったっけ?」
「旅行雑誌……確認します」
「そちらのお客様がお求めなの。もし確認出来たら教えてあげてもらっても良い?」
「はい」
チラッと店長の後ろを見ると涼しそうなノースリーブのワンピースを着るマスク姿の女性が居る。
本棚によって顔は見えないけど若い人だと確信した。
市街地の本屋でも寂れたここに来るのは随分と物好きなお客様だ。もう少し先の中心部に行けば大型の本屋があったのに。
あたしは店長から受け取った紙を持って書庫へと向かう。この字は店長が書いたものではない。きっとあのお客様が持ってきたものだろう。
確かメモに書かれている旅行雑誌はこの県の有名スポットから隠れスポットまでもが記載されている最新の本だ。
先月辺りに発売されて地元民の人達が買っていたのを目撃している。
住んでいる県なのに何故欲しがるのかは理解出来なかったが、あの女性は見るからに観光だろう。
「雑誌買わなくてもスマホで調べれば出てくるのに」
誰にも聞かれないから文句を言っているとお目当ての旅行雑誌が見つかる。県の名産品や風景を表紙にした雑誌はさっきの芸能雑誌よりよっぽど良い。
これには吐き気を感じなかった。
「多分これであってるはず……っ」
手に持つ雑誌を眺めながら書庫を出ると目の前に誰かが居て肩が跳ねる。危うくぶつかりそうになったけど寸前の所で止まれた。
何で書庫の前に居るんだよと睨むように顔を上げればノースリーブマスクの女性が立っている。
なるほど、店長に言われて着いてきたのか。
「…これですか?」
「これです。ありがとうございます。お会計お願いしても良いでしょうか?」
「レジご案内します」
いくら相手がマスクをしていてもあたしは目を合わせない。目を合わせて会話するなんて凛奈意外にしたくなかった。
あたしは無言で女性と一緒に店内のレジへ向かおうとする。しかし途中で女性は本棚の前で止まった。
今度は何だと思いながら後ろを振り向けば音楽雑誌のコーナーを見ているようだ。
「もしあれでしたら会計する時にまた声をかけてください」
「………」
「それではあたしはこれで」
ぶっきらぼうでも良いから返事くらいしろよ。あたしでもしているぞ。
そう心の中で嫌味を吐き散らしながら女性の前を立ち去ろうとする。
後どれくらいでバイトが終わるのだろう。本屋のエプロンに入れていたスマホを取り出すのと、立ち去ろうとする私の足が止まったのは同時だった。
「ん?」
腰にあるエプロンの紐が引っ張られている。ノースリーブマスクの女性によって。
突然のことに驚きを隠せず振り返ると女性はあたしを見ずに雑誌に顔を向けていた。
「お客様?」
体はあたし側を向いているのに音楽雑誌に取り憑かれたかのように女性は顔を動かさない。
あたしは不審に思いながらエプロンの紐を掴んでいる手に触れた。
「えっ…」
その瞬間、あたしの脳内で記憶が蘇る。以前にも触れたことのある感触が手を伝って全身へと響いた。
女性はゆっくりと芸能雑誌から目を離すとあたしの顔を見つめてくる。そして紐を握っていた手で、触れていたあたしの親指だけ掴んだ。
あたしはこの手を知っている。でも偶然の可能性だってある。素早く脳内に言い聞かせているのに、体には制御不能の熱が溜まり始めた。
「あの…」
さっきの無愛想さは嘘だったみたいに恐る恐る女性の目を見れば心拍数が極端に上がり出す。本当におかしくなりそうだ。
女性は付けていたマスクを下げるとあの時の笑顔とは程遠い表情が現れる。
「り、凛奈?何で…」
あたしの前には夏の本番を迎える7月の下旬、大人気アイドルグループスターラインを卒業した篠崎凛奈が立っていた。
あたしは何も考えないまま凛奈の片手を両手で包み込む。嘘じゃない。現実だ。
「何で?何でここに?」
「……とりあえずお会計お願いしても良い?」
「で、でも」
「ここまで顔を曝け出しといて逃げないわよ。仕事が終わるのはいつかしら?」
「えっと、後15分くらいです」
「なら店内で待たせてもらうわ。15分くらい居座っても問題ないでしょう?」
「全然構いません!」
ハッと自分の声の大きさに気付いて口を固く閉じる。
しかし周りを見渡してもお客様どころか店長の姿も無い。もしかしたら離れた本棚で作業している可能性が高かった。
「歴史本のコーナーで待ってもらえれば…」
「歴史本?」
「多分、この後はそこで作業すると思うので。歴史本コーナーは滅多に人来ないし」
「わかったわ。なら貴方の近くで待ってる」
「は、はひ…」
あたしは何か変なことを言ってないだろうか。
数秒前の会話を思い出そうとしても頭が真っ白になって何が何だかわからなくなる。
凛奈がエプロンの紐とあたしの親指を離せば、自然にお互いの体温が消えていく。夢のようで夢でないのがあたしの身に起こっていた。
凛奈は再度マスクを付けてあたしの隣で歩き出す。
あたしよりも少し身長の高い彼女は元芸能人でトップアイドルのエースだったはず。なのに現在は覇気やオーラさえも感じられなかった。
「どうしたの?」
「いえ何も…」
無意識に凛奈の顔を見てしまう。それを遮らせるかのようにレジ前に顔を向けるとまた男性芸能人と目が合った。
さっきまでイラついて嫌なはずだったのに今は吐き気なんて感じない。むしろ色気があるとわかってきている。
もしかして凛奈があたしの目の前に現れてくれたことによって精神が安定しているのかも?そう考えると推しの力って凄まじいと改めて思った。
感心して小さく頷いていると、男性芸能人が飾られている表紙の文字に目が入る。
“ファンと夢を叶えたい”
ご立派なメッセージだ。よく見る決め台詞なのかもしれない。
でも興味はないので、この言葉の意味を想像するのをすぐにやめてレジに立つ。カウンター越しでも推しは美しくて倒れてしまいそうだった。
ありがとう店長。あの時あたしを書庫に連れて行かせてくれて。
しかし、呑気にバーコードリーダーを使うあたしには何も見ていなかった。旅行雑誌を差し出す凛奈の指先が微かに震えていることを。
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