第4話 推しの体温

 凛奈だ。凛奈があたしの隣に座っている。


 腰近くまである長い黒髪にスタイルの良い体。そしてキリッとしながらも優しそうな瞳。

 

 握手会や画面越しに見ていた人がこんなにも近くに存在している。息をするのも忘れてしまいそうだった。


「暑くない?」

「は、はい!大丈夫です!」


 あたしはバイトが終わった後、約束通り凛奈と話すため近くにある運動公園に来ていた。


 暑い夏だから外に居るのは危険かとも思われたけど凛奈にとって1番安全なのがこの場所だ。卒業したとはいえ元トップアイドルがカフェやファミレスでマスクを外していたら1発でバレる。


 ただでさえアイドルの肩書きが無くても凛奈は注目されそうな容姿をしているのに。


 だからこそ運動公園だ。数人の子供が走り回っているだけで他は誰も居ない。


 そんな運動公園のオアシスとも言える木の下のベンチは日光を遮るのにピッタリだった。


「あの……失礼かもしれませんが何故ここに?」

「単なる逃避行よ。この県に来たのも適当に選んだだけ。なのにまさか入った本屋で貴方に会えるなんてね。世奈ちゃん」

「名前覚えて…!」

「握手会でも名前で呼んでいたじゃない。この呼び方は、嫌?」

「全然っ嫌じゃないです」

「良かった」


 お金も払ってないのに名前を呼んで貰えるなんて贅沢。バチが当たらないだろうか。

 今日まで生きていて良かったと心から思える。


「ん?逃避行ってことなら、また何処か別の場所に行っちゃうんですか?」

「事前に考えた予定はね」

「そうですか…」


 ということはこの会話が全て終われば本当にさようならになってしまう。それは仕方ないことだし、アイドル卒業後に偶然会えただけでも十分だ。


 凛奈推しのオタクなら絶対に望むシチュエーションをあたしは味わっている。


 それでも明らかに声のトーンが下がったあたしを見て凛奈は小さく笑った。


「あくまで予定よ。明日のこともこの後のことさえも考えてないわ」

「えっ」

「何しようかなって考えた時、とりあえずこの県の旅行雑誌を見てみようって思ったの。少しだけ中身を見てみたけど……今のところピンとくるものは無いわね」

「じゃあ泊まるところも決めてないんですか?」

「旅館や観光ホテルに泊まろうとも考えたわ。でも今の私では楽しくも何も無いって思って。もしかして泊めてくれるの?」

「いやぁ、あたしの家はやめた方が良いかと」

「そう。残念ね。まぁ今日は適当にビジネスホテルに泊まるとするわ」

「凛奈がビジネスホテル…」

「おかしい?」

「今までのを見ていると信じられないなって思っちゃいました」


 凛奈が所属していたスターラインは大手の芸能事務所が支援をしている。だから地方のライブに行けば高級ホテルに泊まることが普通なはずだ。


 旅館や観光ホテルが楽しくないと言っても、凛奈なら結構な貯蓄を持っているはずだし…。


 そう考えてしまうからこそビジネスホテルに違和感を持った。


 すると凛奈は旅行雑誌を手に取りまたペラペラと捲り始める。隣に座るあたしも旅行雑誌に顔を向けながら凛奈のご尊顔をチラ見していた。


「ねぇ」

「はい。何でしょう?」

「今までの私ってどんな感じだった?」

「というと?」

「さっき言ってたじゃない。今までの私を見ているとビジネスホテルに泊まるのが信じられないって」

「確かに言いました」

「スターラインの篠崎凛奈はどんな人だったか教えて欲しいわ」


 凛奈の問いかけにあたしは手を顎に当てて考えてしまう。浮かばないわけではない。


 ただどんな言葉がピッタリかを考えているのだ。


 何も言葉を選ばずに話してしまえば抽象的な表現しか出来ない。こういう時、ちゃんと国語の勉強を理解していればと後悔してしまう。


「模範的で大人っぽいお姉さん?」

「うん」

「沢山の経験積んでるから頼り甲斐がある感じ?……ごめんなさい。伝えたい感覚はあるんですけど言葉にするのが難しくて」

「ありがとう。ファンの目線から見た私の姿は自覚していた通りだったみたいね」

「あたしが言ったこと自覚していたんですか?」

「ええ。グループ内ではそういうポジションだったから」


 凛奈は旅行雑誌を読みながら淡々と話す。まるであたしが言うことを予測していたような態度だ。


 驚きもしない、喜びもしない。自覚しているのは事実のようだった。


「……演じてたってことですか?」

「何でそう思うの?」

「全然詳しくはわからないです。でも芸能界って素を隠して売れやすいキャラ演じることがあるのは知っているので。声とかも作っている人いるみたいだし」

「そうね。そういう人達には沢山会ったわ」

「じゃあ凛奈も…?」

「私は当てはまらないわ。だって自分でも素が知らないんだもの」

「素が知らない?どういうことですか?」

「聞きたい?」

「聞きたいです」

「何で?」

「えっ?何でって言われても、気になるから?」

「そうよね。ここまで言われたら気になるわよね」


 凛奈は途中まで読んでいた旅行雑誌を閉じて膝の上に置く。


 そして運動公園を駆け回っている子供たちに冷ややかな視線を向けた。


「明日会える?」

「明日も会ってくれるんですか!?」

「ええ。バイトはあるの?」

「一応入ってます」

「なら休んで。休んで私に会いに来て」


 あたしの手に凛奈の手が重なる。


 今日で2回目の接触はあたしの肩をピクっと揺らした。


 細くて白くてあたしよりも少し大きな手は誘惑するように密着してくる。凛奈の方を見れば何を考えているか読めない表情をしていた。


「良い?世奈ちゃん」

「は、はひ…」


 帰ったら速攻店長に連絡を入れよう。休む言い訳なんて沢山ある。バイトなんてどうだっていい。


 それよりも大事な用事が出来てしまったのだから。


 夏が進む8月2日。炎天下の中重ねた2人の手はやけに冷たい。


 あたしの中で止まりかけていた歯車がまた静かに動き出した瞬間だった。

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