第61話 助けなければ“いけない”

 最近、あまり眠れていない。夜中に起きる回数が極端に増えた。でも原因はわかっている。


 常に目の違和感がある私は目頭を何度も触っていた。


 松野さんと話し合ってそろそろ1週間が経つ。もしかしたら明日にでも世奈ちゃんに連絡を送るかもしれない。


 そうすればあの雰囲気を再度味わうことになる。


 またあの人に会わなければならないと思ってしまうと、余計に眠れなくて怠い気持ちが大きくなった。


「……世奈ちゃん」


 リビングに1人で居る私は無意識に名前を呼ぶ。世奈ちゃんは今、お風呂の時間だ。


 何だか無性に寂しくなってくる。お風呂へ突撃に行ってしまおうか。


 でもそんなことしたら怒られるし嫌われる。けれど寂しさは増す一方だ。


 結局、気持ちが収まらなかった私はソファから立ち上がる。


「はぁ」


 この状態の私を世奈ちゃんに見せてはいけない。切り替えるように深呼吸をして脱衣所へ向かう。


 別に一緒に入ろうなんて思ってない。ただ一言だけで良いから世奈ちゃんの声が聞きたかった。


「世奈、ちゃん?」


 とりあえず脱衣所の前で声を掛ける。返事が無いということはまだお風呂に入っているのだろう。


 小さく扉を開ければやはり世奈ちゃんの姿は無かった。


「世奈ちゃ……」


 続けてお風呂に向かって世奈ちゃんを呼ぼうとする。しかし途中で私の耳には鼻を啜る音が聞こえてきた。


 一瞬、意識が途切れそうな感覚になってしまう。耳を澄ましてみればやはり世奈ちゃんは鼻を啜っている。


 世奈ちゃんは今、1人で泣いているのがわかった。


「世奈ちゃん大丈夫?」

「り、凛奈?」

「そうよ」

「何でここに…?」

「えっと、シャンプーが切れそうな予感がしていたから」

「シャンプーなら大丈夫です。まだあります」


 世奈ちゃんは泣いていたのを誤魔化したいのだろう。咄嗟に考えた言い訳に早口で返事をして私が出ていくのを待っている。


 でも恋人が泣いているのを知っていながら放っておくことなんて出来ない。


「世奈ちゃん?」


 私はお風呂への扉に手を当てて優しく問いかけてみる。


 世奈ちゃんは必死に隠そうとしているのか鼻を啜る音さえも聞こえなくなった。


「何か不安なことがあるなら言って欲しいな」

「……」

「迷惑だなんて思わないよ。私が全部受け止める」


 “だって私はこの子を助けなければいけない”


 すると次の瞬間、全身に鳥肌が立ち始めた。


 私は何を思ったのだろう。頭の中で先程の文章を繰り返す。


 “助けなければいけない”は、まるで義務のように唱えていた。それと同時に今の発言がアイドルの篠崎凛奈とリンクしているのに気付く。


 アイドルの篠崎凛奈から出た言葉は全て作り物だ。それと同じような感覚になってしまった。


「凛奈?」


 遠くの方から世奈ちゃんの声が聞こえる。実際は近いはずなのに何かが邪魔して聞き取りにくい。


 その代わり、世奈ちゃんと私を邪魔するかのように松野さんの指摘が脳内に響き渡る。


『“世奈を守りたい”って言葉で自分が上げている悲鳴を隠しているんじゃないのか?』


 何も喋れない私は、記憶の中の指摘に反論することも出来なかった。


 一気に身体から力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまう。


 扉越しに私が蹲るのが見えたのだろう。世奈ちゃんは慌てたような声で私を呼んでくれる。


 勢いよく立ち上がったのか、お風呂のお湯が揺れている音がした。


「凛奈!?大丈夫ですか!?」


 本当は私が世奈ちゃんを心配しなくてはならない。でもこの心配も私の本心なのだろうか。


 “ならない”と思っている時点で本心じゃないのかも。そう疑い始めればキリがない。


 次第に気持ち悪さが込み上げてきて、吐きそうになってしまった。


「凛奈?凛奈?」


 世奈ちゃんは私の様子を見ようと扉に手を掛ける。しかし私はこんな姿を見られたくなくて、開かれないように力を入れた。


「ごめん……」

「え?ちょっと凛奈、扉開けてください!」


 私は世奈ちゃんが好き。けれどその好きさえも義務のようになってしまったのだろうか。


 胸の高鳴りや熱くなる体温は本物だと信じたい。でも何かを自覚した私には全てを疑うことしか出来なくなってしまった。


 ポロポロと涙がこぼれ落ちる。しゃがみ込むのも辛くなってきた。


 全部の神経が馬鹿になってきている。やがて視界は白黒になり平衡感覚を失った。


「やだ…」


 意識が途切れる最後に呟いた言葉は、何に対してのものなのだろう。私はその意味を知ることなく脱衣所の床へ倒れていった。

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