7話 怪物

 

 「ちィッ!!」

 

 武虎が少女の胸に軽く掌底を放った。

 一体何がこの人間の少女の身に起きているのか理解できないが、殺すわけにはいかないと加減はした。

 胸骨がハッキリと見える程痩せている胸元に掌底が当たり少女が突き飛ばされる。

 見た目相応に驚く程軽い体は易々と吹き飛び地面に転がるが、何事もなかったかのようにすぐさま身を起こすと再び武虎に飛び掛かる。

 武虎が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。

 加減はしたが並の人間なら十分ダメージを与えている掌底であった。

 それが痩せこけた少女相手であるならば猶更である。

 それならばと武虎は別の手段を講じる。

 飛び掛かってくる少女に押し倒されるように自ら地面に倒れ込みながら両足で胴体を挟み込み、両腕を十字に交差させながら少女の手術着の襟を掴み首を絞めた。

 引き込みからの十字締め。

 空手の技術ではなく、ブラジリアン柔術の寝技の一つである。

 首を絞めると言うと非道な技に聞こえるが、実際は相手を傷つけることなく制圧することができる非常に安全な技だ。

 的確に頸動脈を圧迫することができれば十秒もかからずに相手の意識を奪うことができる。

 入った!

 武虎は綺麗に少女の頸動脈を圧迫したことを確信した。

 このまま締め落とそうと両腕に力を籠めるが、その瞬間信じられないことが起こった。

 

 「なにっ!?」

 

 武虎の背が、地面から離れた。

 少女が武虎ごと自分の身体を起こし立ち上がったのだ。

 武虎の体重はおおよそ七十五キロ前後はある。

 その武虎を少女は枯れ枝のような細い手足で易々と支えて見せたのだ。

 さらに少女は力づくで上体を武虎から引き離し十字締めを外すと、右手で武虎の首を強引に掴んだ。

 

 「ぬ…ぐぁ…ッ!?」

 

 恐ろしい力が武虎の首を襲っていた。

 技ではない、力だ。

 握力のみで無理やり武虎の首を絞めている。

 しかもその指先が徐々に武虎の首筋に食い込み、爪は皮を突き破って血を滴らせた。

 武虎は咄嗟に少女の胴体に絡めていた両足を外し、巴投げの要領で強引に少女を蹴り剥がし後方に投げ飛ばした。

 少女は開きっぱなしになっていたドアを越え、通路に投げ出される。

 武虎は瞬時に体勢を立て直すと躊躇うことなく追撃に走った。

 

 このままでは殺される。

 

 そう武虎は確信しながら首筋に手をやった。

 首筋から血が滴っている。

 頸動脈を抉られる程ではないが、手のひらに生温い血の感触をしっかりと感じ取ることができる。

 武虎には最早目の前の少女が怪物にしか見えなかった。

 吸血鬼でも人間でもない怪物クリーチャー

 またしても獣のように飛び掛かってくる少女──いや、怪物の首筋に容赦なくカウンターの右回し蹴りを打ち込んだ。

 頸椎が呆気なく砕ける感触が脛に伝わり、怪物が人形のように通路の上を転がる。

 だが怪物はそれでもスッと起き上がった。

 まるで熟睡した休日の朝、清々しく寝台から起き上がるかのように易々とだ。

 折れた頸椎が瞬く間に修復されていく。

 首の周囲の筋肉が一人でに動き、元ある姿に首を戻そうと伸縮を繰り返す。

 さらなる追撃を加えようと武虎が身を沈めたとき、通路を覗く人影に気づいた。

 それは施設を警備する兵士たちであった。

 兵士は目の前の光景に困惑したのかライフルのサイトから目を外し、二人を見る。

 

 「逃げろ!そいつは普通じゃねえぞ!!」

 

 思わず武虎はそう叫んでいた。

 兵士が更に困惑した表情が浮かべる。

 怪物は兵士に気づいたのか、まだ歪んでいる首からゴギゴギど不気味な音を鳴らしながら振り返る。

 怪物が笑う。

 歯を剥き出しにして。

 昏い瞳を兵士の首筋に向けた。

 

 鮮血が舞う。

 

 一人は喉仏をえぐり取られ。

 一人は首筋の肉を噛み千切られ。

 一人は顔面を叩き潰された。

 

 瞬く間の出来事だった。

 あまりにも呆気なく、兵士三人が命を失っていた。

 残っていた一人がようやくライフルを怪物に向けて放った。

 脇腹と胸に二発。

 ライフル弾が貫通し、肉片と血をまき散らしたが怪物は意に介さず兵士に飛び掛かり、ライフルを支えていた左腕に食らいついた。

 

 「いぎゃッッ!?ああああああ!!!!!!」

 

 兵士が服ごと左手の肉を食いちぎられ悲鳴を上げ、思わずライフルから手を離し傷口から噴き出る血を押さえようとしてしまう。

 さらに怪物が容赦なく追撃を──

 

 

 「だから逃げろって言っただろうが!!」

 

 武虎が怪物の背後から襟首を掴み、強引に引き寄せ兵士から遠ざける。

 そして体重自体は軽い怪物の身体を易々と担ぎ上げると、後方に向って思い切り投げ飛ばした。

 本来であれば地面に頭から叩きつけるところであったが、その程度では死なないということは先ほど首を叩き折った蹴りで学んでいる。

 余計な血を流させないために距離をとったのだ。

 再び正中線を庇う様に構えながら、振り向かずに後ろの兵士に声をかける。

 

 「そこのあんた、分かったろ、こいつは普通じゃない。」

 「お…お前…っ?」

 「後ろからあたしを撃ちたいってんなら好きにしろ、そんときゃ一緒にあの世行きだろうさ。」

 「……すまん…っ!」

 

 兵士はそう言い残し、その場から撤退していく。

 その時には投げ飛ばされた怪物は立ち上がっていた。

 しかしその動きがややおぼつかない。

 先ほどは武虎の蹴りを受けても平然と起き上がったが、今の怪物の動きは重々しい。

 下手糞な操り人形のように不安定な動きで歩き出そうとするが、がっくりとその場に膝を着いた。

 武虎は焦らずに怪物の動きを観察していた。

 膝を着いた怪物は朧げな眼で周囲に目をやり、傍らの兵士の死体に目を止めた。

 

 「まさか…!?」

 

 武虎が呟くと同時に、怪物は兵士の死体に喰らいついた。

 バギ

 ボギ

 ニチュ

 ブチ

 骨がかみ砕かれる音と、肉が噛みちぎられる音が鳴る。

 噛み千切った肉を咀嚼しながら手で肉を引きちぎり口元に持っていく。

 嫌な音だ。

 武虎が顔をしかめる。

 怪物は貪るように露出していた首筋の肉を喰らいつくし、丹念に指先に残った血まで余すことなく舐めとった。

 まだ血の残る舌をゆっくり口内に戻しつつ、怪物が武虎を見つめる。

 来るか──!

 武虎が開いていた右掌を握りこんで拳に変える。

 だが怪物はこちらに向かってこなかった。

 それどころか呆然としている様子で武虎を見つめ返している。

 その瞳は先ほどの様な昏さは無く、牙を剥くような笑みは鳴りを潜めている。

 怪物にしか見えなかった姿から一転、ただの少女のような顔立ちになっていた。

 怪物──少女は周囲を見回し、それから血と唾液に濡れた自身の両手を見るとカタカタと震え始めた。

 

 「ねぇ。」

 

 少女が声を発した。

 

 「なんだい?」

 

 武虎は構えを崩さぬまま答えた。

 

 「どういうことなの…これ?」

 「はぁ?」

 「私が…これ、やったの?」

 

 抑揚のない声で少女が問いかける。

 

 「…覚えてないのか?」

 「じゃあ、これって…。」

 「お前が殺したんだよ、こいつらを、ついでにあたしも殺されかけた。」

 「…。」

 

 少女は絶句し、その場に崩れ落ちた。

 それを見た武虎はゆっくりと構えを解く。

 同時にコートの懐に入れていた携帯電話が震え、着信を知らせていた。

 おそらくは仕事の終わりを告げる連絡であろう。

 武虎は一つため息を吐くと目の前にいる少女に目を向け、右手を差し伸べた。

 

 

 「…来るか、一緒に?」

 

 

 

 

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野良吸血鬼、大阪で拳を振るう。 いおりん @YURIDOU_IORIN

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