6話 少女
「そらよッ。」
コートの裾が宙に線を描くようにはためき、後ろ回し蹴りが一閃する。
施設の警備員はジュラルミン製の盾を手にしていたがその蹴りの前には何の意味も為さず、盾ごと吹き飛ばされ壁に叩きつけられるとその場に倒れ伏した。
武虎は軽く一息つくと、後ろを振り返る。
武虎が通って来た施設の通路、そこには既に十人以上の警備員が倒れ伏していた。
あちこちでけたたましく警報器から音が鳴り響いており、緊急事態を知らせる赤いランプが通路を照らしている。
全員所持しているのは盾に警棒、そして足首の隠しホルスターに備えられた拳銃であった。
その拳銃も一発も発砲されることはなく、拳銃を取り出せたものすら少数という有様で、武虎は退屈そうに足首と肩を回す。
おそらく彼らは表向きの、人間の犯罪者相手にも対応する必要のある警備員なのであろう。
武虎は銃には詳しくなかったが、彼らが所持している拳銃が吸血鬼を相手にできるような拳銃でないことは理解できた。
拳銃でも映画でよく見るデザート・イーグルのようなものであれば十二分に武器になるが、足首に隠せる程度の拳銃では吸血鬼を相手取るには厳しい。
的確に急所を──それも一か所ではなく数か所撃ち抜かなければ戦闘が不可能な状態に陥らせることは不可能であろう。
壁に背を預けながらそんなことを考えていた武虎であったが、不意に目線を上げた。
「…ようやくメインディッシュのおでましか。」
警報音と赤いランプ、聴覚と視覚が乱される状況の中、武虎は何者かが近寄ってくる気配を察知していた。
それは第六感──という超能力じみたものではなく、嗅覚や触覚といったあらゆる感覚を含めて感じ取ったものだ。
大勢が動くことで生じる空気の動き、微かな金属の臭い、そのようなものを無意識に感じ取れるようになった結果である。
今武虎が立っている場所はなんの遮蔽物もない通路であった。
もしポンの話していた通り相手がライフルで武装していたなら危険である。
流石の武虎も隊列を組んで連発ができるアサルトライフルのような武器で斉射されれば避けることも耐えることもできないであろう。
そう考えると武虎は床に横たわっている警備員二人の後ろ襟を右手と左手でそれぞれ掴み、掲げるように目の前に持ち上げた。
武虎が掴んだ二人の隙間から通路の奥を見ていると感覚通り武装した警備員が姿を現した。
通路の奥はT字型に分かれており、一人が銃を構えたまま顔を覗かせ、間を置いて背後からもう一人が銃を構えながら通路を横切る。
その手に持っているのはポンが行っていた通りアサルトライフルであった。
その姿はもはや警備員と言うより兵士であった。
手にしている武器だけでなく、警備員の服装の上からアサルトベストを着こみヘルメットとゴーグルを着用している。
構えや身のこなしからしてもかなり手慣れている様子だ。
数百メートル先の相手でも殺傷できるアサルトライフルの射程圏に入っているが発砲はされない。
それは勿論、武虎が盾にするように二人の警備員を掲げているからである。
非道な吸血鬼に対し、苦々しい表情を浮かべる兵士の顔が思い浮かんだ武虎は悪辣な笑みを浮かべていた。
「受け止めてやれよ。」
武虎はそう呟くと、掴んでいた警備員を通路の両脇で銃を構えている兵士に対し、放り投げた。
軽く見積もっても七十キロはあるであろう成人男性の身体が、ボールでも放り投げられたかのように軽々と宙に浮く。
ただ盾を使うだけならばジュラルミン製の盾でもよかった。
そうしなかったのは心理的な効果を狙ってというだけではなく、相手に投擲する気があったためである。
盾ならば避けることもできよう、しかし投げ飛ばされる仲間を見捨てることはできない。
武虎の狙い通り投げられた警備員二人を通路の両脇にいた兵士二人は咄嗟に身体で受け止めようとしたが、衝撃に耐えきれず突き飛ばされた。
壁と警備員の身体に挟まれ、後頭部を打ち付けたのか二人ともその場に崩れ落ちる。
瞬時に背後にいた別の兵士が身を乗り出すが、既に武虎は距離を詰めていた。
銃声が響く。
黒い怪物の正中線に対し躊躇いなくアサルトライフルが火を噴くが、武虎が銃身を蹴り上げる速度が勝った。
銃弾は天井に穴を穿ち、返す刀で振り下ろされた武虎の踵が兵士の鼻っ柱に叩き込まれる。
手加減はしたが鼻骨を折り、膝を着かせるには十分な一撃であった。
武虎は膝を着いた兵士の肩に足を乗せ、T字路に宙を浮きながら文字通り飛び込んだ。
通路にバックアップとして備えていた兵士の反応が遅れる。
よもや相手が宙を浮いて姿を現すとは思っていなかったせいだ。
そして武虎が飛び込んだ先は壁であった。
壁に向って飛び、勢いそのまま壁を蹴って反転し、宙に浮いたまま兵士に蹴りを放った。
三角跳びからの蹴りが正確に顎を捉え、脳を揺らし昏倒させる。
武虎は瞬く間に四人の兵士を無力化してみせた。
しかも全員生かしたままである。
力の差がなくてはできない行為であった。
「さて、あたしの仕事は陽動だったよな。」
一人呟き、悠々と通路を歩き出す。
今の戦闘の銃声を聞いたのか、はたまた兵士の誰かが無線で連絡を取ったのか続々と兵士たちが此方に向かって来る気配を感じる。
武虎は両手をポケットから引き抜いた。
「いっちょ、派手にやってやろうか…!」
気配のする方向に向かって施設の通路を駆ける。
曲がり角を曲がった瞬間、兵士の一チームと鉢合わせた。
四人で隊列を組んでおり、距離が近い。
目測で三メートル程度。
先頭の兵士がすぐさまライフルを発砲する。
胴に向けて二発、間をおいて頭に一発。
これを武虎はなんと至近距離で半身を切り、頭を動かして避ける。
そして掌底で銃身を払おうとしたが、目の前の兵士は咄嗟に銃を引いて自分の胸に抱える様に構え直していた。
同時に背後にいた兵士が一人、武虎を撃つために斜め方向に身を躍らせる。
正面と、右斜め前から同時に銃口が向けられる。
武虎は勢いを止めず、一気に斜め前に向って身を屈めながら踏み込んだ。
二人の兵士に挟み込まれるような場所に身を置いたのである。
だがそれによって両者の射線が重なってしまい、反射的に二人は引き金を引くことを躊躇った。
その隙を突き、武虎が右にいた兵士の銃身を左手で掴みつつ引っ張り、右手を両手の間に差し込んで胸倉を掴むと後ろに向って振り回した。
振り回した先にいるのは、先頭にいた兵士。
互いの身体を思い切りぶつけられ兵士二人の意識が途切れる。
武虎は胸倉を掴んだ兵士を離さず、そのまま後ろにいた兵士二人に対して盾にしつつ前に踏み込んだ。
武虎の行動に対し、前から三番目にいた兵士は後退し、最後尾の兵士は先ほどの兵士と同じく回り込む。
そして二人共ライフルから手を離し拳銃をホルスターから抜いた。
おそらくは先ほどの行動を見て貫通力に優れるライフル弾による同士討ちを避けるべく、拳銃に切り替えたようだ。
拳銃弾でも人体を貫通することは容易ではあるが、人間よりも頑丈な吸血鬼の肉体が相手であれば──という考えがあってのことであろう。
仮に貫通して仲間に銃弾が当たってしまったとしても致命傷を負わせるリスクは限りなく低い。
仲間を撃つ覚悟、そして仲間に撃たれる覚悟、それを両者ともに備えているからこそ咄嗟にできた行動であった。
武虎の背筋にゾクゾクとした痺れが奔る。
面白い。
同じ戦法は使えそうもない。
同じことをしようものなら武虎は銃弾を確実に喰らう。
咄嗟に武虎は盾にしていた兵士から銃をもぎ取り、回り込んでくる兵士に向って投げた。
ほんの一瞬だが兵士の意識が武虎から自分目掛けて飛んでくる銃に意識が向く。
反射的に兵士が頭を伏せて銃を避けるが、ほぼ同時に武虎の左掌底が兵士の顎を掠める様に叩いていた。
ぐるりと顎が動き、脳を揺らした兵士が意識を失う。
残る兵士は一人。
拳銃を構えた兵士と武虎が正面から相対する。
武虎の頭を狙った銃弾二発は壁に穴を空け、兵士の腹には武虎の正拳が深く沈みこんでいた。
ライフルを手放したことで武虎に決定的なダメージを与えるには胴ではなく、頭に狙いを絞らざるを得なくなった結果、武虎は頭を下げながら正拳突きを放つことで銃弾を避けることができたのだ。
だが結果としてその状況に兵士二人を追い込んだのは武虎の戦いぶりによるものである。
武虎が拳を引くと兵士は口から胃の中身をまき散らしながら地面に倒れ、芋虫のように身体を丸まらせながら地面で悶えている。
「よし、次…って──やべえッ!?」
武虎はそう声を上げ、地面に這いつくばるように伏せた。
その頭上をライフル弾が通り過ぎてゆく。
通路の奥からいつのまにか別のチームが姿を現していたのだ。
目の前の兵士に集中しているせいで気配を察知できなかったのだ。
このままではマズい、と先ほど兵士が手放したライフルを止む無く引っ掴み、通路の奥に向って適当に撃ちまくった。
無手を身上とする武虎にとっては屈辱であったが、それだけ相手が手練れなのだと自分に言い聞かせる。
屈辱を甘んじて受け入れた甲斐があり通路の奥にいた兵士は身を隠し、武虎はその隙に立ち上がるが適当に乱射していたせいですぐに弾が切れる。
しかし後退して通路の曲がり角に身を隠すには十分であった。
忌々しいライフルを捨て、体勢を立て直すために踵を返してその場から離れる。
通路を走り、どこか一旦息をひそめられる場所は無いか探す。
あちこちの通路から人が大勢動く気配がした。
いくつか通路にある部屋のドアを開けたが、どれも狭い部屋ばかりであった。
もし相手が手榴弾のようなものを持っていた場合、発見されれば逃げ場がなくなると判断し別の部屋を探す。
そうして施設内を駆けまわっていると、武虎はふと足を止めた。
「血の…臭い…?」
微かに血の臭いを嗅ぎつけたのである。
先ほど兵士を片付けた際に数人は出血していたが、その血とは違う臭い。
新鮮な血ではなく、空気に触れて酸化した少し古い血の臭いであった。
思わず、その臭いに惹かれる様に足が動く。
たどり着いたのは一際大きな一室だった。
ドアにはカードリーダーが備え付けられており、普段は電子ロックで閉ざされているのであろうが武虎が手を掛けると易々と開いた。
恐らくは緊急事態の警報がなっているため電子ロックの類が解除されているのであろう。
そう納得しながら武虎は部屋に足を踏みいれる。
「なんだ…この部屋…!?」
まず感じたのは強烈な血臭。
武虎が吸血鬼という性質上、人間より血の臭いに敏感なこともあるが思わず顔をしかめる程であった。
部屋はいかにも何かの実験室といったもので、PCに繋がれた大きな顕微鏡と推測できる機械から武虎には何がどのようなものなのか理解できない実験器具まで様々なものが並んでいる。
そして一番武虎の目を引いたもの、それは部屋の中央に設置された大きな手術台のようなものと、横たわる一人の少女であった。
「人間?」
手術台に横たわる少女には病院着が着せられいくつかの管によって機械や点滴に繋がれており、手足は拘束用のバンドによって台に縛られていた。
瞳を閉じ、眠っているように見える。
その手足は驚く程に細い。
顔も頬がこけており、髪はくすんだ灰色をしていた。
凄愴な姿に武虎は思わず目を逸らす、そしてその周囲に備えられた器具を見て眉をひそめた。
「これって医者が使うメスとかハサミ…だよな?ノコギリみてえなのもあるし。」
それはメスやハサミに整形手術等に用いられる電動ノコギリやドリルであった。
これらが使用されていたならば漂ってきた血の臭いにも納得がするが、武虎は今いる部屋が手術を行う部屋だとは思えなかった。
そもそもここは実験施設だと話に聞いているうえ、詳しい知識がある訳ではないが手術を行うには衛生的な管理が杜撰すぎると感じたからだ。
ならばこの部屋で一体どのような実験が行われていたのか──
ガタン
不意に音が響き、武虎が音がした方向に目を向けると、昏い光が灯った瞳が武虎を見つめていた。
横たわっている少女が目を覚ましていた。
少女はジッと武虎を見つめ、武虎もまた少女を見つめたまま動くことができなかった。
深く、昏いその瞳はブラックホールのような引力があり、目を外すことができなかった。
武虎の背筋に嫌な悪寒が走る。
喧嘩の最中に沸き起こる痺れるような悪寒とは違う、冷水をぶっかけられたかのような身が縮こまる悪寒。
思わず武虎は一歩後ずさっていた。
すると少女の口がゆっくりと開いた。
薄い唇の隙間から白い歯が覗く。
その歯は吸血鬼の様に牙が発達しておらず、人のものと相違ない。
少女の唇の端が吊り上がり、笑顔を浮かべたように見えるが、その目は笑っていない。
その表情を言葉に例えるならば一つ、牙を剥いた。
ガタン
ガタンガタン
ガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタン
少女の身体が激しく動き、手足を拘束しているバンドがギチギチと音を立てる。
「なんなんだよ…コイツ!?」
思わず武虎は身構えていた。
両手の掌を開き顔面と鳩尾、即ち急所が並ぶ正中線をカバーしながら前足の踵を上げ猫足立ちになる。
守りを意識した構えであった。
少女がついに拘束具を引きちぎり、勢い余って手術台から転げ落ちるがゆっくりと立ち上がる。
そして再び武虎を見るや否や、大きく口を開きながら獣が獲物に飛び掛かるように武虎に襲い掛かった。
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