3話 一騎打ち
「そろそろあんたの出番じゃねえか、紫藤たては。」
「どうやらそうみたいだね…二人はまだやる気みたいだけど。」
武虎の言葉に紫藤はそう言った。
言葉通り、カンとポンはまだ立ち上がろうとしていた。
カンは口から滝のように血を流しながらも目に爛々と闘志を宿しながら震える足で立とうとしている。
ポンは折れているであろう首を両手で無理やり抑えながら武虎を見ていた。
人間なら死んでいる。
これでも生きているのは吸血鬼という生物が常軌を逸した生命力と再生力を持っている証左に他ならなかった。
それにしても黒服たちと違い、これほど負傷しながらもまだ闘う意思を失わないのはこの二人の精神力が並ではないからなのだが。
「ポン、カン、もう充分だよ、あとはぼくがやる。」
フリルを揺らしながらゆるりと紫藤が前に出る。
ただ歩く。
その動作が、美しい。
一流のモデルはランウェイの上をただ歩くのみで人々を魅了する。
ぶれず
力強く
脱力し
等速で
歩く。
血の滲むような努力の末に一流と認められた者にのみ見せることのできる華。
武虎が両の手をポケットから引き抜く。
いや、紫藤の華に魅せられ引き抜かされたと言ってもよいかもしれない。
「強いね、君。」
「これしか能がねえんだ。」
「本当にどこの組織にも属していないのかい?」
「野良さ、首輪をつけられるのもつけるのも趣味じゃないんだ。」
「へぇ…でもポンとカン…あの二人を相手にただ勝つならまだしも、蹴りのみで勝つのは驚いたよ。」
「何度かヒヤッとしたけどな、危うく手を使いそうになった、まぁ──」
武虎が腰を落とし、構える。
左半身を前に、両手は緩く開いて鳩尾ほどの高さに上げ、左掌を前に大きく突き出している。
「あんたが相手なら蹴りのみってのは厳しそうだ。」
楽し気に武虎が笑う。
その構えを見て紫藤は苦笑した。
「でも、無手なんだね、得物は使わないの?」
「あんたが使うならご自由に。」
「なら遠慮なく。」
紫藤がスッと手を挙げる。
その動きに反応した黒服が二人がかりでカウンターの裏に置かれていたものを持ち上げ、力いっぱい放り投げた。
紫藤が放り投げられた己の得物を手に取る。
それは二メートルを超える西洋のハルバートに近い、斧槍であった。
しかし武虎は一目見て通常のハルバートと違う点を見抜いていた。
ハルバートは槍に斧を組み合わせたような武器であるが、紫藤の斧槍が違う点は斧の部分に当たる刃の形であった。
斧の上部が刃になっているのである。
しかもそれが柄の両側から生えているため、パッと見れば羽を広げた蝶々のようなシルエットを描いていた。
西洋のハルバートというよりも巨大な刃を持つ日本の十文字槍と言えるかもしれない。
柄の部分は紫藤の衣服と同じ、濃紺で彩られていた。
紫藤が斧槍を下段に構える。
左半身を前に、右手を腰骨の当たりに置き左手は緩く肘を曲げて自然に下げていた。
武虎が攻撃を誘う様にわずかに間合いを詰める。
端から見れば動いたのかどうかもわからないような距離だ。
しかし向かい合っている当人同士はその間合いの駆け引きを理解している。
足の位置を動かさず、重心のみを前にずらす。
紫藤は穂先を揺らすこともなくただじっと、無造作に下段に構えている。
その顔が険しい。
間合いの理は確実に紫藤が手にしている。
背丈は武虎が百八十五センチ、紫藤は百五十八センチ。
素手であれば理があるのは武虎であるが紫藤は斧槍を手にしているのだ。
突きを避け間合いの内に入れば、と思う者は槍術というものを甘く見ている。
一歩下がり柄を持つ持ち手の位置を変えればすぐさま間合いを調整することができ、穂先でなく石突──柄の先端部分を用いて攻撃することも可能だ。
肘や背を用いての体術とて選択肢になる。
例えば日本で著名な中国拳法である八極拳は肘や背を使った体当たりが多いが、その基になっているのは槍術である。
槍は穂先の内に入ってしまえば無力──そのような武器ではないのだ。
そう理解しながらも紫藤は攻めあぐねている。
様子を見る様に軽く突きを振るうとそれが命取りになると直感が訴えている。
そして何よりも躊躇わせるのは武虎の顔だ。
「楽しいなぁ。」
笑っている。
今から遊園地のアトラクションに乗る子供の様に。
メリーゴーランドに乗り、お化け屋敷に行って、レトロなゲーム・センターで景品を取り、さあ本命のジェットコースターだ。
愛おしさすら感じさせる笑みであった。
ひゅッ──
その笑みに吸い込まれるように紫藤が武虎の胴に向け突きを放っていた。
武虎が右足を引きつつ左掌で斧槍の側面を弾き、避ける。
間髪入れずに再度突きが放たれた箇所は左足首。
これは左右の足を組み替える様に左足を下げ、避けた。
三発目の突きが再び武虎の胴に向って放たれる。
今度は斧を水平にしながらの突きであった。
斧の上部に備えられた刃が鋭く煌めいていた。
半身を切るだけでは避けられない。
大きく跳べば避けられるであろう、しかし避けたところで体勢を整えぬままにまたしても突きを避けねばならぬ。
このままではいずれ追い込まれ蝶の羽のような刃か、蜂の毒針のような穂先に捕らえられてしまう。
「しぃッッ!!」
故に武虎は逃げなかった。
逃げずにその穂先を受け止めた。
右肘と右膝で穂先の側面を挟み込んだのである。
凄まじい突きであったが一息に三度も放てば流石に三度目の突きは一度目の突きに比べて鈍るものがある。
「くっ…!!」
紫藤は強引に突きこもうかとも思ったが、穂先を引いた。
体勢を立て直すことを優先したためである。
武虎がその隙に前に大きく踏み込む。
紫藤は左足を引きつつ手の内を左右入れ替え、間合いを変えつつ袈裟懸けに斧を振るった。
踏み込んだ武虎の首元目掛けて的確に斧の刃が振り下ろされる。
その柄を武虎が右の掌打で弾き飛ばし、斧槍を跳ね返した。
間合いが詰まった。
武虎は掌打の勢いのまま踏み込んだ右足を軸に、左後ろ回し蹴りを紫藤の腹目掛けて放った。
紫藤も咄嗟に斧槍を跳ね返された勢いに任せ石突を武虎の顔面目掛けて放つ。
ゴツン、と硬いもの同士が衝突する音と、ぐちゃりと肉が潰れる音が鳴ったのはほぼ同時であった。
紫藤の身体が浮く。
武虎が額から血を流しながらも両の足で地を踏む。
紫藤が口の端から血を流しながらも着地する。
武虎が踏み込む。
紫藤は反撃しながらもまともに蹴りを喰らった。
武虎は左手で額をカバーしわずかながら石突の衝撃を殺した。
故に武虎の方が体勢を立て直す速度で上回った。
武虎が紫藤の間合いの内に入る。
手の内を変えて穂先を振るにも石突を振るにもできない間合いに入り込んだのだ。
武虎の右正拳が紫藤の顔面を捉えた。
頬肉越しに頬骨がひび割れ、奥歯の砕けた感触が伝わる。
痺れるような快感が武虎の身体を駆け巡る。
同時に凍えるような恐怖が背筋を駆けのぼった。
顔面を打ち抜かれた紫藤の目が、まだ生きていたからだ。
快感と恐怖。
嗜虐心と被虐心が同時に暴れだし気が狂いそうになる。
武虎が続けて左正拳を放つ。
その正拳の軌道が紫藤の顔面から逸れた。
紫藤が斧槍から手を離し、右前腕で正拳を受けたのだ。
しかも受けた右手でそのまま武虎のコートの袖口を掴んでいる。
紫藤が武虎の左腕の動きを封じながら踏み込み顔面に向って左拳で突きを放つ。
武虎は右掌で咄嗟に顔面をカバーしたが、不意に紫藤の左手の動きが止まった。
フェイント──
かかってしまった、武虎がそう気づいた時には紫藤の身体が懐で回転し背を向ける。
右手で袖口を掴んだまま、左手を武虎の左肘に被せるように絡め、腰を跳ね上げた。
武虎の身体が綺麗な弧を描いて宙を舞う。
一本背負いの要領で紫藤が武虎を投げた。
実際は武虎がわざと跳び投げられたと言っていい。
紫藤は柔道の一本背負いと異なり、左手で武虎の左肘の関節を極めていた。
投げられなければ武虎はその場で左腕を折られていたところであった。
背中からまともに地面に落とされる。
一瞬息が詰まる。
柔道場のような畳の上ではない、固い床の上に落とされたのだ。
紫藤が武虎の上に覆い被さり、
武虎は咄嗟に膝を上げ馬乗りを避ける。
その膝を除けようと紫藤の意識が移った瞬間、武虎の上半身が跳ね上がり、右拳で紫藤の顔面をぶん殴っていた。
普通であれば寝た状態から無理やり放ったパンチなど意味を為さないが、紫藤は先ほどまともに顔面に正拳突きを受けている。
紫藤が怯む。
その隙に武虎が紫藤の胸を足で押し、空間を作って紫藤の下から脱出した。
両者の距離が開く。
紫藤は片膝立ちのままその場で身構え、武虎は立ち上がった。
紫藤が立たない理由は一つ。
すぐ目の前に自身の斧槍が転がっているからだ。
互いに動かない。
武虎が間髪入れずに紫藤の顔面を蹴り飛ばしていれば斧槍は拾われなかったかもしれない。
だが蹴りに行った足を紫藤が座したまま捕らえ関節を極めに来るかもしれない、その恐怖と期待が武虎の動きを止めていた。
先ほどの投げは柔道ではない、古流柔術の投げ技の応用だ。
柔道は関節を極めながらの投げをルールで禁じている。
古流柔術には座した状態から相手を組み伏せる技術が数多の数存在する。
ほとんどは互いに座した状態からの不意打ちに対処する技術であるが、油断することはできない。
静寂が満ちる。
互いの呼吸音も聞こえない。
隠しているのだ。
呼吸を読まれれば、動きを読まれる。
武虎が微かに重心を前に動かす。
紫藤は動かない。
武虎が重心を戻す。
紫藤は動かない。
武虎が重心を前に動かす。
紫藤は動かない。
武虎が踏み込む。
紫藤が斧槍を手に取る。
武虎が踏み込む。
紫藤が構える。
武虎が飛ぶ。
紫藤が突く。
武虎の蹴りが紫藤の脳天に叩き落とされた。
紫藤の斧槍の穂先が空を突いた。
一か八かの胴回し回転蹴りであった。
座した状態から最速で突きを打つならば胸から下であろうと腹を決めて踏み込んだ末の一撃であった。
互いに立ち合っている状態であれば決して放てなかった捨て身業である。
紫藤の膝が崩れ膝立ちになり、武虎が起き上がる。
決着がついた。
ぐちゃり
武虎が紫藤の顔面に膝蹴りを叩きこんでいた。
ひび割れていた頬骨が、この一撃で砕けた。
仰向けに紫藤が倒れる。
その顔面にさらに正拳を打ち下ろす。
一発
二発
三──
「やめろぉ!!!」
声と共に銃声が鳴り響いた。
武虎の頭上を銃弾が奔る。
ゆっくりと武虎が顔を上げ、銃声がした方向を見た。
紫のスーツに身を包んだ女、チーが震える手で銃を手にしていた。
その前にポンとカンの二人が立っている。
二人とも足取りがおぼつかない。
それでも両足で立っていた。
ただの人間に、まともに身体が動かない吸血鬼二人。
紫藤を倒した武虎に敵うはずもない。
死を覚悟しての行動であった。
「馬鹿が。」
ぼそりと武虎が呟くようにいったのは三人の無謀さにではなかった。
紫藤の身体が不意に動いた。
武虎が打ち下ろした正拳を掴み、下方から両足を絡め関節技を仕掛けてきた。
「せいやぁッッッ!!!!」
その声はとどめを刺す気合か。
それとも恐怖に絞り出されたものか。
武虎の正拳が紫藤に打ち下ろされる。
この一撃で紫藤の手が武虎の腕から離れ、武虎が腕を引き抜くと両足が力なく地面に横たわった。
武虎は拳を腰だめに構えゆっくりと後ろに下がりつつ、斧槍を蹴り飛ばし紫藤から遠ざける。
それから十秒ほど経ち、ようやく武虎は構えを解く。
そして息を吸いながら眼前で両手を交差させ、大きく吐きながら両手を開いた。
空手の息吹である。
同時に張り詰めていた身体の緊張が解けたのか、武虎は肩で息をしはじめ紫スーツの三人組の方を見た。
「まだアイツは負けてなかったんだよ…馬鹿ども。」
その言葉に三人は息を呑んだ。
「あたしと喧嘩をしたいなら付き合ってやる、そうでないなら怪我してる奴を連れてとっとと失せろ、ここに救急車が来るまでの間にな。」
その言葉に逆らえるものはこの場にもういなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます