2話 乱闘

 

 「やれ。」

 

 手を挙げた紫藤の号令と共に黒服たちが一斉に武虎に向って攻撃の姿勢をとった。

 無論、この黒服たちも吸血鬼である。

 まず武虎に向かって殴りかかったのは初めドアの近くにいた一人であった。

 尻もちをついていた状態から立ち上がりつつ武虎のがら空きになっている顔面に右ストレートを放った。

 当たる!

 黒服はそう思った。

 もう眼前に拳があるというのに武虎が動かなかったからだ。

 拳骨が武虎の鼻先に触れ──

 

 「へっ…?」

 

 空を切っていた。

 間違いなく触れたはずなのに、目の前から武虎が消えていた。

 身体が前に大きく泳ぐ。

 何故だ。

 黒服はそう思うのと同時に後頭部に強烈な衝撃を感じていた

 ゴキリ、と嫌な音が耳の後ろから鳴り身体が前に吹き飛ぶ。

 何故だ。

 何故だ何故だ何故だ。

 重力が消え去ったような浮遊感が身体中を包む。

 後ろに吹き飛ぶなら分かる、目の前にいた武虎がやったのだろうと。

 だが何故自分が前に吹き飛んでいるのか。

 理解できぬまま身体は宙を泳ぎドアの無くなった出入り口を越え、顔面がコンクリートの壁面にぶつかり潰されたとき黒服は意識を失った。

 

 「まず一人。」

 

 そう言ったのは武虎であった。

 肌に触れる程まで拳を引きつけ、身体を回転させながら受け流しつつ軸足を移動させながら黒服の後頭部に後ろ回し蹴りを放ったのだ。

 熟達した見切り、そして凄まじい技のキレ味が無ければ成立しない業である。

 足を地に降ろし、武虎が他の黒服に向って駆ける。

 まだその両の手はポケットに手を突っ込まれたままだ。

 武虎の前に二人の黒服が立ちはだかる。

 左右から同時に攻撃を仕掛けようとした二人の内、武虎は左にいた黒服に向って右足を上げる。

 左の黒服が防御の姿勢を見せ、右の黒服は構わずに突っ込んでくる。

 武虎は視線は左の黒服に向けたまま、右足を右の黒服の膝に横から叩き込んだ。

 左の黒服に足を上げたのはフェイントだ。

 靭帯が引きちぎれる音を響かせながら右の黒服がたまらず床に膝を着く。

 一拍遅れて左の黒服の腹に武虎の左前蹴りが突き刺さっていた。

 フェイントにかかってしまったことに気づき動揺した間を見事に突かれていた。

 

 「おげぇッッ!!!」

 

 まともに前蹴りを喰らった左の黒服は口から大量の血を吐き出しながら地面にうつぶせに倒れ伏した。

 おそらく内臓が破裂している。

 前蹴り、というと華やかな回し蹴りに比べ地味で軽視されがちな技である。

 喧嘩キック、ヤクザキックなどとも呼ばれるが足の裏全体で突き飛ばすように蹴るこれらと相手を倒せる前蹴りは一線を画す。

 足の指の付け根の分厚い部分──母指球の一点に力を集中させ突き刺すように放つのだ。

 とある空手家が腕利きの拳法家を相手に放った前蹴り一発で腸を断裂させたことは有名な逸話である。

 

 「三人。」

 

 武虎が膝を潰されながらもしがみつこうとしてきた黒服の顔面に膝蹴りを放ち、仰向けに倒れたところを踏みつけ首を砕きながら言った。

 この段階で残った黒服たちは気圧されていた。

 やはりモノが違う。

 全員で商品になるはずの銃を使えば手傷くらいはと、そう思いながらもこれから金になる商品だ。

 その躊躇いを振り払おうとしている内に武虎は間合いを詰めている。

 

 四。

 

 シンプルな回し蹴りが一閃すると、黒服の一人が防御した腕を叩き折られながら吹き飛ぶ。

 

 五。

 

 下段蹴りで体勢を崩したところに上段蹴りで首を──

 そう思って足を上げようとした瞬間、武虎の背筋に悪寒が走った。

 

 「ひゅうっ」

 

 武虎がその場から跳ぶ。

 一瞬前まで武虎がいた場所に銀の光の筋が煌めいた。

 紫のスーツに身を包んだ痩身の男、カンが背後から不意を打って来たのだ。

 その手には鉈のような大型ナイフ、マチェーテが握られていた。

 さらに──

 

 「ハイヤぁぁっス!!!」

 

 避けた先を狙い、ポンが攻撃を放ってきた。

 その手には鉄製であろう鈍い光沢を放つ棍が握られており頭上から真向に振り下ろしてくる。

 武虎は咄嗟に半身を切り体軸をずらしながら避けたが、間髪入れずに首筋に向って横薙ぎの一撃が襲い掛かる。

 それも身をかがめ膝のバネを使い潜り抜けるように避けることができたが、さらに肋骨に向って振るわれた一撃は避けようがなかった。

 止む無く左足を上げ脛の部分で棍を受け止める。

 背まで響いて来る強烈な衝撃に武虎は思わず笑みを浮かべた。

 さらにカンが地を這う様に迫り、右足一本で立っている武虎のその足首に向ってマチェーテを振るおうとしている。

 絶体絶命。

 

 「ちぃッ!」

 

 武虎は跳んだ。

 しかしただマチェーテを避ける様に跳んだのでは宙にいる隙にポンの棍に叩き落とされる。

 故に武虎は棍の上に脛を乗せたままを前転をするように跳び越えた。

 跳び越えながらカンの背に右足を乗せ、踏み台にしながら大きく距離を取り、二人に向き直った。

 黒服たちはポンとカンの邪魔になることを恐れているのか遠巻きに三人の戦いを見守っている。

 銃器を使おうものなら誤射は避けられないということもあるだろう。

 ポンが棍を振るう

 またしても真向からの振り下ろし。

 武虎が斜めに踏み込んで避ける。

 しかしポンはそれを見越していたかのように瞬時に巧みに棍をしごき、持ち手の位置を変えながら跳ね上げた。

 だが武虎はさらにその先をゆく。

 武虎はポンが跳ね上げようとする棍の先端を側面から蹴り、軌道を変えたのだ。

 棍を空振ったポンの脇腹が空いた。

 勝機。

 しかし武虎はそこで不意に振り向いた。

 

 「来ると思ってたぜ。」

 「ぬぅッ!!?」

 

 いつのまにやら背後に回り込みマチェーテを振りかぶっていたカンと武虎の目が合う。

 カンの表情が歪んだのと、その腹に後ろ蹴りが叩き込まれたのはほとんど同時であった。

 痩身ながらもしっかりとした体格をしているカンの身体がその一撃で軽々と宙に浮き、吹き飛ぶ。

 

 「こ、こんのぉっス!!」

 

 武虎が前を向くのとポンが棍を再び振り下ろすのは同時であった。

 斜め上から斜め下──袈裟懸けに放たれる一撃。

 その一撃の動きに合わせる様に武虎が頭を下げていく。

 下げながら地を蹴り、身体を回転させながら棍を避けつつ同時にポンの首筋めがけて蹴りを放った。

 胴回し回転蹴り。

 棍が地面を打つのと同時に武虎の踵がポンの首筋にめり込んでいた。

 捨て身ながら攻防一体の一撃である。

 首が折れる音が響き、ポンが地に伏せる。

 武虎が曲芸師の様に片足で地面に着地する。

 その手は未だ、ポケットに突っ込まれたままであった。

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