1話 便利屋
大阪、十三。
古くから続く、どこかレトロな雰囲気の漂う歓楽街。
年季の入った佇まいの居酒屋から少し洒落た雰囲気のショットバーまで様々な店が立ち並び、商店街には色褪せながらも華やかな情景を彩るネオンの光に包まれている。
難波や梅田に比べれば煌びやかな雰囲気こそ劣るものの下町情緒が残っており、街全体が懐かしさで包まれているような魅力に満ちた街だ。
これこそが本来の大阪だという者もいるのではないだろうか。
行きかう人々も仕事帰りであろうスーツや作業着姿の年配の人間から、リーズナブルな飲み屋をはしごしているのであろう顔を赤くした学生たちまで、年齢こそ幅広いもののこの町に溶け込んでいる人間がほとんどだ。
その人ごみの中に一人、やや異質な存在がいた。
濃紺に彩られたゴシックロリータファッションに身を包んだ少女だ。
歩くたびにワンピースにふんだんにとりつけられたフリルが揺れるさまは、蝶がふわふわと宙を舞っている様だった。
その顔立ちは例えるならば猫のロシアンブルーの様な愛らしさと美しさが融和したもので、幼げながらしっかりとメイクが施されている。
黒い髪はボブカットに整えられ、青いメッシュが入っていた。
このようなファッションの人間は日本橋のようなサブカルチャーに馴染み深くガールズバーが多く立ち並ぶ場所なら特に物珍しくもない。
ただここ十三にはまだそのような店舗はそれ程多く存在はしない、故に少々目立っているという訳だ。
少女が人ごみの中を歩く。
その動きに淀みがない。
右に左に身を躱すことはあるが、止まらないのだ。
人影の中から不意に少女の目の前に人が現れてもふわりとフリルが躍ったかと思えばすり抜ける様に横を通り過ぎている。
そうして人波をすり抜け、商店街からわき道に入り、ほの暗い裏路地を通り抜け、やがて古ぼけた小さな雑居ビルの前に辿り着いた。
端から見れば廃ビルにしか見えない。
周囲が薄暗いせいかほとんど人通りがなかった。
ネオンに照らされる繁華街の中にぽつりとできた暗い空間に立つ廃ビル。
その中に少女は足を慣れた様子で踏み入れる。
明かりの灯っていない中ビルの階段を上り、看板もなにもない一室のドアに手をかけた。
「ただいま。」
ドアをくぐり、少女がぼそりとそう言う。
「おかえりなさい!
部屋中から一斉にそう声が響いた。
廃ビルと思わしきビルの一室、元は大きめのバーであったのだろうカウンターとテーブル席が四つも設けられている広々とした空間。
そこには十人ほどの柄物のシャツと黒いスーツに身を包んだゴツイ男たちがいた。
見るからに、サラリーマンではない。
そのスジの人間であることは見た目と身に纏う雰囲気から明らかであった。
そんな男たちに紫藤──そう呼ばれた少女は頭を下げられていた。
紫藤は軽く手を挙げ、男たちに礼を解くように促す。
男たちが一斉に顔を上げ、それぞれの作業へと戻っていく。
男たちの前にあるのはノートパソコンやタブレット類、そしてテーブルの上に丁寧に並べられた大量の銃器であった。
数にして三十挺以上はある。
紫藤は銃器を横目でちらりと見ながら小さくため息をつくと、奥のテーブル席に腰かける。
そのテーブルにはほかに三人の男女が座っていた。
男が二人、女が一人。
他の黒スーツを身に着けた男たちと違い、その三人は落ち着いた紫色のスーツを着ていた。
「銃の質はどう、チー?」
「全部コピー品で質も微妙、売るにしても高くは売れない。」
紫藤にチー、と呼ばれたのは女だった。
パンツルックのスーツが似合っている黒髪の美人である。
端的に事実を伝える言葉遣いからもその性格がどのようなものか伝わってくる。
その言葉に紫藤は改めてため息をついた。
「そっちの方は思ったよりも稼ぎにならなさそうだね…ポン、カンあっちの方は?」
紫藤が男二人に目を向ける。
「ポンが何度か連絡をとってますがまだ答えは決まってないそうですよ、もうそろそろ限界でしょうに。」
男のうちの一人──カンがそう答えた。
ひょろりとした痩身の肌の白い男だが、骨格はがっしりとして肩幅が広く、ひ弱な印象は受けない。
「あの様子を見りゃ分かると思うっスけど、明日まではもたないっスねありゃ。」
そう言いながら部屋の隅を指さすのはポンであろう。
カンとは対照的に丸々とした肥満気味の体型をしている、愛嬌のある男だ。
ただカンと同じ点があるとすれば同じように肌が白い事であろうか。
その指が差す部屋の隅、そこには縛られた人間が五人いた。
手足を縛られた状態で力なく地面に横たわっている。
全員、目が虚ろで力がない。
肌も唇も渇ききっており、ひび割れた唇に微かに血が滲んでいるものもいる。
髪もあぶらぎっており、中には小便を垂れ流したまま力なく息をしている者までいた。
もう数日間縛られたままでいるようであった。
「見張りを付けてトイレくらいはさせてやってたんっスけど、もうそんな気力もないやつもいるっスね。」
「何日だっけ?」
「あの日からもう三日っス、人間がだいたい水なしで生きられる限界っスね。」
ポンが肩をすくめながら言った。
「しっかしあいつらも運がないっスね、俺らがチンピラ連中から銃を奪うって聞きつけて止めようと来てみれば紫藤さんがいるなんて思わなかったはずっスよ。」
「この頃ちょっと運動不足だったからね、気晴らしだよ。」
紫藤が退屈そうに答えた。
噂話にもなっている十三にて密輸された銃器を一人の女が奪い取ったという話はこの紫藤が行ったもののようであった。
だがその口ぶりからすると、どうやら縛られた者たちは紫藤が銃を強奪したという連中とは別の組織に属している様であった。
「しかも身代金もとい迷惑料を払えば返すって言ってんのにさんざん渋られてるんっスよ、そんな貧乏なんっスかねえーっと"アンカッツ"でしたっけ?」
「ちげえよポン…どういう間違い方だ。」
ポンの言葉にカンが眉をひそめる、その隣でチーが小さく口を開いた。
「
「対吸血鬼戦術部隊。」
紫藤が皮肉めいた笑みを浮かべながらそう答えた。
その隙間からは大きな牙が二本、生えているのが見える。
そしてポンとカン、肌が白いこの二人の口からも大きな牙が生えているのが確認できた。
ただチーと呼ばれた女のみ、人間と変わらない犬歯が生えている。
そのとき、微かに部屋のドアが軋む音が聞こえた。
「む?」
紫藤の目がスッとドアに向けられる。
それに気づいた黒服が一人、ドアに近づいた。
バキャッ!!!!!
乾いた音が部屋中に鳴り響いた。
同時に防音のために分厚く作られている木製のドアがゆっくりと前にいた黒服に向って倒れて来る。
「おわっ!?」
黒服がその場を慌てて飛び退き、尻もちをつきながらドアを避けた。
大きな音と小さな木片をまき散らしドアが床に倒れる。
黒服たちは呆気にとられた様にドアのあった方向を見つめ、ポンとカンは席を立って身構え、紫藤はチーを庇う様に傍らに抱き寄せる。
倒れたドアの向こう側には女が一人立っていた。
身に纏っているものは黒い革のロング・コート。
黒コートの女は部屋を見渡すと安心したように頷いた。
「よかった、ここで間違いねえな。」
女はそう言うとコートのポケットに手を突っ込み、悠々とした足取りで部屋に足を踏み入れる。
そうして奥にいる紫藤に顔を向けた。
「紫藤たては──だろ、あんた。」
「ぼくの名前ならそうだけど…何の用だい?」
女の言葉に紫藤が答え、問いかける。
紫藤はその女に見覚えがなかった。
だが身に纏った雰囲気で察することはできる。
この女は吸血鬼だ、女の吸血鬼なのだ。
男の吸血鬼を束ね夜を支配する女王に足る存在であるのだ。
故に女吸血鬼というものは名を知られていることが当たり前である。
紫藤たてはとてそうだ、大阪を支配する吸血鬼の重鎮として他府県にも名を知られている。
もしなんの知らせもなく他府県に足を踏み入れれば一斉にその地の吸血鬼とANVATSが動く。
それほどまでに大きな存在なのだ。
「仕事で来たんだ。」
女が首を軽く回しながら答えた。
「仕事?」
「ああ、そこで縛られてるやつらを助けてくれとさ。」
「…ほぅ。」
紫藤の目が細まる。
「吸血鬼のように見えるけど…君、もしかして──」
「いんや、ご名答、あたしは吸血鬼だ。」
「なのに人間の味方をするのかい?」
「別にそんな訳じゃあないよ、あんたらに営業が遅れただけでね。」
言いながら女はスッとポケットから手を抜いた。
ポン、カン、紫藤の三人がわずかに腰を落とす。
抜いた手に武器を握っていることを警戒してであったが、その手に持っていたのは一枚の紙片。
女が紙片を紫藤達が座っていたテーブル席に投げる。
しかし紫藤は女から目を離さない。
それを確認してから傍らにいたカンがテーブルの上に投げられた紙片を確認した。
紙片は一枚の名刺であった。
「便利屋
カンの声に黒コートの女──黒崎武虎が頷いた。
「あたしは人間の味方でも吸血鬼の味方でもねえ、あんたたちの依頼でも喜んで聞くよ、気に入りさえすればな。」
「気に入れば?随分と主観的な決め方だね。」
「安心しな、あたしが依頼を気に入る理由は単純だ。」
武虎が再びポケットに手を突っ込みながら笑みを浮かべる。
その笑みのなんと鋭い事であろうか。
純粋で
無邪気で
嗜虐的。
まるで子供のような笑みだ。
無垢が故に抱く残虐性がそのまま浮き出たような笑みであった。
「喧嘩ができるか、そんだけだ。」
武虎がそう答えるのと、紫藤が手を挙げるのは同時であった。
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