承認欲求

京野 薫

第1話

 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

 

 普段であれば不快感さえ感じるほどのけたたましい音と赤い光。


 でも、この時だけは背筋をゾクゾクさせるような高揚感を呼ぶ。

 心震える雑音。目にうるさい官能的な赤。

 それらが響く、響く、響く……

 もっとちょうだい。もっともっと。シャワーのように……


 その時、隣の部屋からうめき声が聞こえる。

 確認のため覗きに行くと、父は苦しそうな顔をして布団の中で身もだえしている。

 顔色も悪い。

 私は駆け寄ると近くで様子を見る。


 父は私の顔を見て、何かにすがるような目を向ける。

 20分前に確認したときより元気そうだ。

 回復してきているのかな?


 私は大げさなため息をついた。

 そんなの嫌だ。

 もう、ちゃんと決まっているのに。

 明日の職場での立ち居振る舞いが。


 可哀想な私。

 身内の重い病気にも負けずに、気丈に振る舞う前向きで頑張り屋の私。

 最愛の父親が入院しても、いつも笑顔で明るい太陽みたいな私。


 そんな私で居れば、嫌な先輩も言うこと聞かない後輩も、好きなあの人も。

 みんな、私を心配してくれる。

 味方になってくれる。

 私は正しい人。素晴らしい人になれるのに……


「勘弁してよ。もうすぐ救急車来るんだよ。間が悪いなあ! もう!」


 そう吐き捨てるように言って、私は隣の部屋へ行く。

 そこで、引き出しから瓶を取り出す。

 赤い液体の並々と入った瓶を。


 全くもう。

 急がないと救急隊が来ちゃう。

 現実は厳しすぎるよ。

 今度使おうと思ったストックなのに。

 急ぎ足でパパの元に行き、目の前に突きつける。


「新しい血を集めてきたよ。緑地公園に居るホームレスの血。分けてもらうのに苦労したんだから。高かったんだよ」


 パパが恐怖に顔を歪める。

 良かった。しゃべれないようにしておいて。

 高価な薬だったけど、奮発した甲斐があった。

 こういう言葉を聞かせて追い込むと、この後が上手く行きやすいことも学習済み。


 私はパパの口の周りにビニールを敷き漏斗ろうとを優しく……傷が付かないよう口に差し込み、瓶から血液を流し込む。

 ゴホゴホと吐き出しそうになるけど、練習の成果で吐き出させないように流し込むコツも覚えた。

 こういうのは得意なんだ。

 子供の頃から、私に暴力や暴言を与え続けたパパ。

「無価値」と言う言葉を、醜い焼き印のように押しつけたあなた。

 せめて、可愛い我が子をお姫様にくらいさせてよ。


 注ぎ終わると、パパの口から嘔吐物が吹き出した。


 オッケー。バッチリ。

 しかも……嘘でしょ! 痙攣けいれんしてる。白目まで向いて

 想像以上だ。

 明日、職場で話す材料がまた増えた……嬉しい!


 ビニールと漏斗ろうとと瓶を急いで部屋に片付けたタイミングで、サイレンの音と赤い光が自宅の前に来た。

 それはまるで、祝福のファンファーレの様に鳴る、鳴る、鳴る。光る、光る、光る。

 演奏するのは、救急隊と言う名の天使。

 私を「正しい人」にしてくれる祝福の天使。


「患者はこちらですか!」


 いらっしゃい。

 お待ちしてました。お忙しいところ申し訳ありません。


 私は目から涙を溢れさせ、嗚咽おえつを漏らしながら切れ切れに言った。


「はい……父が……嘔吐が止まらなくて……助けて下さい」


 翌日、職場に父が急変し嘔吐と痙攣けいれんが止まらない旨、連絡をした。

 上司は心配そうに「大丈夫か?こっちは気にせず、お父さんについていてあげてくれ」と言ってくれた。

 背筋に心地よい鳥肌が立つ。


 今日最初の「いいね」だ……


 でもまだまだ。

 私は泣きながら言う。


「いえ、皆さん頑張ってるし、忙しい時期なので出勤させて下さい。……父も大事ですが、職場の皆さんも同じくらい……大事です」

「お前って奴は……本当に大丈夫か?」

「はい。お願いします。今、忙しい時期ですよね? こんな時に頑張らなくていつ……」


 話してる内に、涙で声が出なくなった。

 凄い、今日は何か降りてきてるよ。


「……すまない。無理しないようにな」


 その言葉を聞いたところで、私は小さくはい、と返事をして電話を切った。

 ボロが出る前に、課長の気が変わる前に切るのが最善手。


 職場に行くと、みんなが私に心配そうな顔を向ける。


「神崎さん、有り難う。ホントに大丈夫?」

「悪いな、神崎も大変なのに。無理するなよ」


「いいね」が大量に降ってくる。

 私は、全身に鳥肌が立つのを感じた。

 みんなの言葉や表情。

 ああ……全部! 全部! スマホで録画したい。せめて写真だけでも。


 しかも……祝福の天使は「正しい前向きな私」にさらなるプレゼントをくれた。

 仕事の帰り、先輩の山口さんから交際を申し込まれたのだ。


「お父さんが大変なときに……ゴメンな。でも、君を見てると気持ちが抑えられなくて……」


 ああ……神様は見てくれているんだ。

 頑張ってきた私の味方だった。

 私はもちろんオッケーした。


 そして……その半年後結婚した。

 その前の月に父は亡くなったけど、もう充分。

 今まで我が子に協力してくれて有り難う。

 嬉しかったよ。


 そして1年後……


 私はマンションのベッドに横になったまま、山口さん……愛する主人を見ていた。

 正確には「ベッドに縛られたまま」「凝視ぎょうししていた」のだ。

 彼は、動けない私を忌々いまいましそうに見つめながら、手に持った瓶の中身を注射器に入れた。


「なんで回復するかな。愛する夫のため、とか思わないの?」


 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。


【完】

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