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  • エピローグへの応援コメント

    ご無沙汰しております
    更新の通知があったので覗いてみましたが、
    色々書いたコメント全部消えちゃったんですね。少し残念です。

    そういえば高野山は行かれましたか?
    私は昨年の夏季休暇を利用して高野山参拝して来ました。

    人の信仰への心がそれぞれであるように、お遍路の仕方もそれぞれで良いと思います。
    僕は全部バイクで回りましたが、少し距離を歩くとすぐ足を痛めるので、歩き遍路の方は尊敬しかないです。でも、きっといい出会いも多いんでしょうね。
    コロナの頃と違って宿泊割が無いのが残念ですが(ものすごく活用しました笑)、健康でいるうちにまた回ってみたいかなと思います。

    ちなみに今年は閏年で逆打ちにいいみたいですよ〜。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    3つのエピソードは非公開設定にしていたのですが、頂いたコメントのやりとりがあるので公開しようと考えております。

    高野山はまだ訪れたことがありません。しかし、いずれ奥の院を訪ねて「満願」したいなあと思ってはおります。実は、そのついでと言っては怒られそうですが、和歌山県の熊野古道を歩きたいとも思っていて、現在そのための計画中です。この秋か、あるいは来年の春以降になるかもしれません。

    うるう年は逆打ちなのですね! はじめて知りました。

    私がお遍路の最中に出会った「リピーター」さんは逆打ちを避けている方も多かったです。曰く「道標の有無を確認するために、電柱を見ると毎回振り向くかなきゃならないんだよ。だから全然楽しくない」のだそうです(笑)

  • 4への応援コメント

    焼山寺の難所と聞くと、『水曜日どうでしょう』と言うテレビ番組思い出します。
    あちらは車で移動しでしたが、やはり歩いて人と触れ合うのは趣きありますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    その番組は観た事がないのですが、四国八十八か寺を全て回られたのでしょうか? 人によって移動手段も色々で、自由度が高いのもお遍路の特徴なのだと思いますが、同じようにお遍路を回っている方と話ができるのは歩き遍路ならではかも知れませんね(団体バスツアーという手もありますが)。その趣きを求めて2度目、3度目と再び歩き始めてしまう人も多いようです。

  • 1への応援コメント

    野栗@徳島生まれ です。
    新町橋付近のアーケード街はかなり前からシャッター街化していて、昨年法事で訪れた時も、一軒ぐらいご飯食べられるとこあるやろ、と思ってうろうろしましたが、結局私も駅前で食事する羽目に。
    程度の差はあれ、地方の商店街の状況はどこも深刻だと聞いています。このままでなるようになっていったら将来どうなってしまうのか、と思うところがあります。

    作者からの返信

    コメントをくださりありがとうございます!

    私が生まれ育った長野県でもシャッター街と化してしまった商店街はよくありますし、首都圏でも商店街にあるお店が営業をやめてしまい、シャッターを下ろしているという光景は珍しくありません。

    商店街を訪れたのは夕飯時でしたが、地元の方の姿もほとんど見かけませんでした。曜日や時間帯によっては、もっと多くの方が買い物などに訪れるのでしょうか? 広い駐車場を備えた大型ショッピングモールなどしか残らないというのは、効率性の観点からは仕方ないのかもしれませんが、やはり寂しいですよね。

    商店街に並行する国道439号線沿いには飲食店をいくつか見付けました。特に「徳島ラーメン」は試してみたかったのですが、ホテルが駅前に近いこともあり、結局は駅前で夕飯をとりました。


  • 編集済

    7への応援コメント

    コメント失礼します。
    途中で専門的なお話が入ったので少しハッとさせられました。勉強になります。

    作者からの返信

    コメントをくださりありがとうございます!

    専門店というのは恐らく経済学についてのくだりでしょうか。経済学を規定するのは分析対象ではなくその分析手法である、と述べたのは1992年にノーベル賞を受賞したゲイリー・ベッカーですが、彼の言葉には「インセンティブに注目して人々の行動を分析する」という経済学のエッセンスがよく現れています。

    でも、大学1年生向けの経済学入門の授業で経済学のイメージを学生に問うと、「お金」「株」「投資」といった単語が多数を占めます(笑)。恐らくこれが普通の、世間的な経済学のイメージなのだと思います。

  • 2への応援コメント

    文章の途中の型どおりではないという言葉に感銘を受けました。難しいことはよくわかりませんが、何かすとんと落ちるものがあるような気がしました。

    作者からの返信

    コメントをくださりありがとうございます!

    お遍路を始めようと決めた時に、本やインターネットの記事で色々と情報を集めました。それらの情報には「作法」や「礼儀」を解説したものも多く、知らず知らずのうちに頭の中に型ができあがっていたんです。でも、実際に歩き出すとやはり頭の中の型とは違いがあることに気づきます。

    実際に経験することが重要なのだ、という気付きが得られたのは大きなことだったなあと今も思っています。

  • 1への応援コメント

    楽しそうな旅だあ〜
    自分は旅行記が好きなんだということにいまこれを読んで気付かされました。ありがとうございます

    作者からの返信

    コメントを頂きましてありがとうございます! もしお気に召したら「続編」もお読みいただければ幸いです。区切りうちの2回目(夏)、3回目(冬)、4回目(春)を公開しております。


  • 編集済

    2への応援コメント

    四国に住みながら巡礼はしたことがないので、チャレンジ精神に頭が下がります。
    昔はらい病(ハンセン病)の人たちは多くの地域で存在が認められず、疎まれ閉じこめられて一生に終えるよりはと、存在を許された遍路になる人がおられたと聞いています。
    そのせいでしょうか、自分などは子どものときに、「悪い子はお遍路さんに連れて行かれてしまうよ」という脅しを親戚から受けたおぼえがあります。
    お遍路さんは親切にしてあげたほうがよい人たち、だけど実はコワいかもしれない人たち。
    自分が子ども心に親戚たちから教わった、お遍路さんに対する認識はそんな所でしょうか。
    今の時期であれば、どこに行ってもこれでも食っていけと柑橘を渡されることでしょう。
    みかんだか紅マドンナだかはれひめだか……普段買ったことがないような品種を味わうよい機会です。
    柑橘を頬張りすぎて、お腹をたぽんたぽんにしながら頑張ってほしいです。
    (*´ω`*)

    作者からの返信

    興味深いコメントを寄せて頂きましてありがとうございます!

    上原善広さんの『四国辺土』によれば、らい病を患った方が治癒を祈願してお遍路を始めることもあったそうですね。病人や罪人、あるいは「訳ありの人」がよすがを求めてお遍路さんになることもある。お遍路さんが「コワい人たち」であるというのは、そのことをよく理解している地元の方たちならではの感覚なのだと思います。

    ところで、現代の子どもたちも「悪い子はお遍路さんに連れていかれてしまうよ」といって叱られた経験があるのかどうか、個人的には興味を覚えました。

    お遍路の最中、とりわけ愛媛県に入ってからはたくさんの柑橘をお接待して頂きました。もっとも私にはそれがミカンなのかポンカンなのか、はたまた別の〇〇カンなのか区別が付かず、お接待してくれた方に尋ねると「確かに普通の人は分からないかもなあ」と首を傾げていました(笑)。柑橘類はちょっとした水分補給にもちょうどよいですよね。


  • 編集済

    14への応援コメント

    お疲れ様でした。

    高知は広いから大変ですが、
    愛媛南部もなかなかの難所だと思います。
    寺と寺の距離が遠かったり、
    焼山寺のような山の中だったり…
    ともかくまずは足摺を目指す旅ですね。
    室戸が見えたかどうか覚えていませんが、
    あちらから同様絶景です。

    また良いときに四国にお越しください。

    作者からの返信

    ありがとうございます! 「修行の道場」高知県は文字通りの難所が多いですし、札所間の距離が長い場所も2か所ありますよね。でも、確かに「菩提の道場」愛媛県も決して楽ちんではないですよね。

    もう1度歩いて回るかと問われたら、答えはたぶん「いいえ」なのですが、いずれ、次は公共交通機関を使ってのお遍路をしてみたいと考えています。

    「カクヨム」で続編(区切り打ちの2回目、3回目、4回目)を公開していますので、もし宜しければご笑覧ください!


  • 編集済

    13への応援コメント

    高知の西の方にある山の上の洋風の城、謎の建物ですよね。行ったことはないけど、遠くからでも目立つので何だろ…といつも謎に思っていました。

    国分寺は正方形か長方形の中に綺麗に整理整頓されたようなお寺だったなという記憶。竹林寺は中心部から近いからか割と賑わっていました。お遍路じゃなさそうな方も多かったです。車やバイクで行くと、通路が珍しく一方通行でした。進行方向が限定されていたのはここと焼山寺くらいだと思います。

    追伸:おそらくですが、竹林寺が高台の上にあって道が広くなく、尚且つ参拝客が多いため、行き違いのための待避で詰まる渋滞回避が目的かなと思いました。バイクだと狭くても対面通行可能のことは多いですが、車同士だと道幅によって1台しか通れない道、多かったです。
    お寺なので、どこか似ていると感じる寺はそれなりにあるかも知れません。そういう寺は正直印象が薄いですね。ダントツで印象に残っているのは愛媛県の岩屋寺ですが、
    私が好きなのは善通寺、石手寺のような「歴史ある寺」という趣のあるところだな、と思いました。

    作者からの返信

    やはり気になりましたか! 気になるのですが、遍路道沿いにある訳ではないのできちんと調べることもせず、今に至ります。結局今も調べていません。

    自動車、オートバイ向けの道が一方通行なのは道幅が狭いからでしょうか? 写真で国分寺の境内を振り返ると小ぎれいな札所ですね。確かに整理整頓という言葉がぴったりと当てはまります。けれども、歩いている時はあまり印象が残りませんでした。途中から、お寺はどこも似ているなあ、などと思い始めるのですが(もちろん、特徴的な札所もたくさんありますが)ほかの方はどうなのでしょうか?

    竹林寺は植物園を抜けていくという一風変わった特徴があるので記憶がはっきりと残っています。

  • 6への応援コメント

    鶴林寺、太龍寺は歩き遍路大変でしょうね。
    因みに太龍寺ロープウェイ目指してGoogleマップにナビをさせると、とんでも無いところに案内されます。おそらく上の駅に行こうとして、獣道に誘導されるのかな…と。250kg超のバイクを斜面で滑りそうになりながら転回させるのがしんどかったです。
    因みに転回終わったところに別のバイクが同じように迷い込んでました笑

    作者からの返信

    鶴林寺から太龍寺までは遍路道のアップダウンそのものもさることながら、「ここまで降りたのに、どうしてまた登らなきゃいけないんだ……」というある種の徒労感に見舞われます。緑の中を歩くのはそれなりに楽しいんですけどね。

    自動車やバイク向けの道標は少ないので、ナビの提案が頼りなのでしょうね。それにしても2台も同じ場所に迷い込んだのですね(笑)。ロープウェイのおかげで徒歩でのアクセスはかなり良くなったそうですが、「バイク遍路」に対してはまだまだフレンドリーな札所ではないのかもしれません。

  • 5への応援コメント

    常楽寺の石庭?は不思議な場所ですね
    あんな地形がなぜこんな場所に…?
    それなりに流量のある川の淵などであればともかく、そうでもない場所になぜ…?

    しかもこんな場所にわざわざ寺を建てる…?と不思議に思いました。

    作者からの返信

    むき出しの岩肌からは何とも無残な印象を受けましたが、インターネットには「ワイルド」と評しているサイトもあります(笑)。人により受け止め方は違うでしょうが、それでも強い印象を与える境内だというのは間違いないと思います。

    お寺を建立した当初も風景が今と同じだとしたら、確かになぜあの場所を選んだのかは不思議ですよね。私にとって、お寺を始め、宗教施設には心安らぐ憩いの場所だという感覚があるのですが、修行道場だと思えば多少は腑に落ちる……でしょうか。

  • 4への応援コメント

    焼山寺踏破お疲れ様でした
    私が行ったのはバイクだったので歩きに比べれば苦労というほどのことはしていないのですが、予定日の台風直撃で出発を繰延べしたものの、通過直後ということもあり路面に折れた枝葉が山ほどあり、通過も一苦労でした。

    作者からの返信

    ガイドブックを読んで気づいたのですが、藤井寺から焼山寺まで自動車やバイクで行くと40キロほどの距離がありますよね。「遍路ころがし」とは違っていても、1番から順打ちで行くと、乗り物を使っていてもやはりここが最初の難所なのでしょうね。

    冬に大宝寺へ向かった際、雪の重みで倒れた樹木が道路をふさいで通行止めになっていた場所がありました。台風直後の枝葉まみれの道路の様子は想像がつきます。通行出来てよかったですね!


  • 編集済

    3への応援コメント

    >「是より三三三段」を擁する切幡寺が序盤の山場として注目されないのが不思議である

    1番初めの階段の多いお寺ですね
    ここまで平坦な場所を進まれているからこその感想だと思います。私も同じことを思いました。

    ただ遍路を進むとわかるんですが、ともかく階段の多い寺が多い…!だからそこまで注目されないのだと思います。

    お遍路バスは徳島県内で何回か見かけました
    こっそり後ろをついていくと解説らしき話が少し聞けたりしていいのですが、その後他県では見かけなかったです。たまたまだと思いますが、そもそも観光バスが入れると思えない道しかないところもあったりしますし、それこそ切幡寺のように階段の多いところ、お年を召された方々歩けるとも思えず…


    健康祈願で遍路されている方もいると思いますが、そもそも体力ないと(階段だけで)躓きかねないな、体力無い人はそうそう遍路も回れないよな、と思いました(ただタクシーの場合はお寺の方専用の道が通れるようです)

  • 2への応援コメント

    霊山寺は1番札所だけあって、なかなか品揃えが良いですよね。

    そして何というかコンパクトな境内に池やら伽藍やらがギュッとまとまっている気がします。

    お遍路、だいたい予想通りには進まないから、意外とのんびり見てられない、観光もあるはずなのに次行かなくちゃと気が焦ったりしますよね。特に雨なら尚更だと思います(日数をかけるとだいたいどこかで降られます)。油断して納経帳に水が染み込んだりすると、筆で書いていただいた文字が滲みかねないので、気をつけないといけませんね。

    作者からの返信

    霊山寺に設えているのは正に「お土産屋」という感じですが、ここが1番札所で最初に訪れるだけに、2番以降でその簡素さにむしろ拍子抜けしますよね。

    お遍路では「早く次に行かなきゃ!」という、ある種の強迫観念がすぐに芽生えてきますが、宮田珠己さんも『だいたい四国八十八ヶ所』で同じことを書いています。多くの人に共通する感覚なのかもしれませんね。

    私は納経帳は何とか無事に守り切りましたが、道中で読もうと思って持参した本がびしょ濡れで無残な形になってしまいました。2回目以降は防水用にチャック付きの透明袋をいくつも用意しましたよ。


  • 編集済

    1への応援コメント

     去年バイクでお遍路をしたので楽しみにしつつ読み始めました。

     唐突に出てくる瀬戸大橋ですが、神戸から徳島に渡るときに渡る橋は瀬戸大橋ではなく、明石海峡大橋と鳴門大橋ですよね。
     でも大小の島々が見えるのは瀬戸大橋で、明石大橋からは見えません。
     文中に表現されていないのでわかりにくいけど、これは書き間違いではなく、おそらく作者さんが昔通ったときの思い出と、「瀬戸大橋を通ると思ったら明石大橋だった」ってことかなと思いました。
    徳島の食べ物といえば、鯛、徳島ラーメン、スダチ、というイメージですね。わかめうどんは食べたことがないうどん県の人間ですが、美味しいなら一度食べてみたいかなと思いました。


    追伸:返信ありがとうございます
    Googleマップなどてみていただくと周りに島がないのが確認出来ると思います

    バイクだとだいたい1週間あれば回り切れるのですが、17時で納経所がしまってしまうので結構焦ってしまうんですよね。本当はもっとゆったり回れると良いのですが。
    駐車場あたりでお声がけいただくことは割とあって、色々お話もさせていただきました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます! バスからの風景は記憶が混同しているかも知れませんので、改めて確認します。ご指摘くださり、ありがとうございました! 私もバイクや自転車で四国を回っている方を何度も目にしました。ただし、彼らは道の途中で休憩する回数が歩き遍路よりも少ないようで、あまり会話できなかったのが残念です。バイクから見るお遍路の光景はまた違うでしょうね!

  • 4への応援コメント

    焼山寺までは相当キツいですよね。藤井寺のミニ八十八ヶ所の途中から別れる遍路道を少し行くと「遍路ころがし」洗礼を受けそこから700メートル級の山を2つ越えて3つ目の頂上我が意志が試される難所中の難所ですね‼️

    作者からの返信

    コメントありがとうございます! 藤井寺を出発し、写し霊場を横目に歩いていた時は気力十分だったのですが、遍路ころがしにかかるとすぐに息があがってしまいました。歩き遍路を通じて充実した時間が得られましたが、もう懲り懲りです(笑)