応援コメント

2」への応援コメント

  • 文章の途中の型どおりではないという言葉に感銘を受けました。難しいことはよくわかりませんが、何かすとんと落ちるものがあるような気がしました。

    作者からの返信

    コメントをくださりありがとうございます!

    お遍路を始めようと決めた時に、本やインターネットの記事で色々と情報を集めました。それらの情報には「作法」や「礼儀」を解説したものも多く、知らず知らずのうちに頭の中に型ができあがっていたんです。でも、実際に歩き出すとやはり頭の中の型とは違いがあることに気づきます。

    実際に経験することが重要なのだ、という気付きが得られたのは大きなことだったなあと今も思っています。


  • 編集済

    四国に住みながら巡礼はしたことがないので、チャレンジ精神に頭が下がります。
    昔はらい病(ハンセン病)の人たちは多くの地域で存在が認められず、疎まれ閉じこめられて一生に終えるよりはと、存在を許された遍路になる人がおられたと聞いています。
    そのせいでしょうか、自分などは子どものときに、「悪い子はお遍路さんに連れて行かれてしまうよ」という脅しを親戚から受けたおぼえがあります。
    お遍路さんは親切にしてあげたほうがよい人たち、だけど実はコワいかもしれない人たち。
    自分が子ども心に親戚たちから教わった、お遍路さんに対する認識はそんな所でしょうか。
    今の時期であれば、どこに行ってもこれでも食っていけと柑橘を渡されることでしょう。
    みかんだか紅マドンナだかはれひめだか……普段買ったことがないような品種を味わうよい機会です。
    柑橘を頬張りすぎて、お腹をたぽんたぽんにしながら頑張ってほしいです。
    (*´ω`*)

    作者からの返信

    興味深いコメントを寄せて頂きましてありがとうございます!

    上原善広さんの『四国辺土』によれば、らい病を患った方が治癒を祈願してお遍路を始めることもあったそうですね。病人や罪人、あるいは「訳ありの人」がよすがを求めてお遍路さんになることもある。お遍路さんが「コワい人たち」であるというのは、そのことをよく理解している地元の方たちならではの感覚なのだと思います。

    ところで、現代の子どもたちも「悪い子はお遍路さんに連れていかれてしまうよ」といって叱られた経験があるのかどうか、個人的には興味を覚えました。

    お遍路の最中、とりわけ愛媛県に入ってからはたくさんの柑橘をお接待して頂きました。もっとも私にはそれがミカンなのかポンカンなのか、はたまた別の〇〇カンなのか区別が付かず、お接待してくれた方に尋ねると「確かに普通の人は分からないかもなあ」と首を傾げていました(笑)。柑橘類はちょっとした水分補給にもちょうどよいですよね。

  • 霊山寺は1番札所だけあって、なかなか品揃えが良いですよね。

    そして何というかコンパクトな境内に池やら伽藍やらがギュッとまとまっている気がします。

    お遍路、だいたい予想通りには進まないから、意外とのんびり見てられない、観光もあるはずなのに次行かなくちゃと気が焦ったりしますよね。特に雨なら尚更だと思います(日数をかけるとだいたいどこかで降られます)。油断して納経帳に水が染み込んだりすると、筆で書いていただいた文字が滲みかねないので、気をつけないといけませんね。

    作者からの返信

    霊山寺に設えているのは正に「お土産屋」という感じですが、ここが1番札所で最初に訪れるだけに、2番以降でその簡素さにむしろ拍子抜けしますよね。

    お遍路では「早く次に行かなきゃ!」という、ある種の強迫観念がすぐに芽生えてきますが、宮田珠己さんも『だいたい四国八十八ヶ所』で同じことを書いています。多くの人に共通する感覚なのかもしれませんね。

    私は納経帳は何とか無事に守り切りましたが、道中で読もうと思って持参した本がびしょ濡れで無残な形になってしまいました。2回目以降は防水用にチャック付きの透明袋をいくつも用意しましたよ。