50マイルのフラグ

大隅 スミヲ

50マイルの笑顔

 タブレット端末の画面越しに見る彼女の顔は、どこか疲れているように見えた。

 会わなくなって約半年。僕たちは画面越しの遠距離恋愛を楽しんでいる。


「来週の日曜日が楽しみすぎて、いまからワクワクしているよ」

「そうだな。本当に楽しみだ」


 来週の日曜日。僕たちはひさしぶりに会うことが出来る。

 彼女の仕事が一段落するため、一週間ほどの休みが取れたのだ。


 車で熱海駅まで向かい、そこで彼女を拾うという約束をした。

 東京から熱海までの距離は、約80キロ。俗に言うところのというやつだ。


 三年前、日本政府はある発令をした。

『東京から80キロ圏内への立ち入りを禁止とする。また、東京から80キロ圏内に住んでいる者は、その圏内から許可なく出ることを禁止する』

 これは国家非常事態宣言として、時の内閣総理大臣であった篠田しのだ未来みくるによって発令されたものであった。


 原因不明の奇病、デッドマン・ウイルス感染症。デッドマン・ウイルス。それは、人が人を襲う前代未聞の奇病であり、一部の学者たちからはカニバリズム・ウイルスなどとも呼ばれたりもした。

 ウイルスに感染したものは24時間以内に発症し、デッドマン化する。デッドマンというその名の通り、心臓は停止し、感染者は一度死んでしまうのである。死亡から24時間以内の発症で、感染者は起き上がる。その際にはデッドマンとなっており、人を襲うようになってしまっているのだ。

 デッドマン・ウイルスは体液感染であり、ウイルス保持者と接触しない限りは感染はしない。ただ、厄介なことにウイルス感染者は、非感染者を襲うようになってしまうため、感染の拡大はなかなか止めることが出来なかった。


 特に感染爆発がひどかったのは、東京である。朝の通勤ラッシュ、大勢の観光客、どこへ行っても、人、人、人、人。これで感染爆発が発生しないわけがない。

 日本政府の対応はすべて後手後手であった。

 国家非常事態宣言を発令した時点で、東京はデッドマンに支配されている状態となっており、宣言をした篠田未来も京都府にあるとされている政府のセーフティーハウスからであったとされている。


 僕の彼女は看護師だった。デッドマン・ウイルスに効くとされているワクチンを接種して、彼女はいまでも東京の病院で働いている。

 僕たちが会うことが出来るのは、半年に一度だけ。彼女が唯一、東京を離れることを許される時だけなのだ。この東京を離れるにも色々な手続きや、デッドマン・ウイルスに関する検査を受けなければならなかった。

 そんな面倒な手続きを踏んでも、彼女は僕に会いに来てくれる。それだけでも、僕は幸せものに違いない。こんな良い彼女を手放しちゃいけない。僕は常々、そう思っていた。

 だから、今度彼女と会う時に、僕は彼女にプロポーズをしようと思っている。そのために、指輪も用意していた。


 東京から80キロ圏外。ちょうど、新幹線の熱海駅が存在する。

 そこは50マイルの境界線と呼ばれており、東京から来た人たちを出迎える大勢の人で賑わっていた。

 ちなみに東京から50マイルという距離は、米軍の定めたデッドマン・ウイルス境界線というものに則っているらしい。


 東京からの新幹線が来るというアナウンスが流れた。

 大勢の人がホームへと詰めかける。

 新幹線がホームに入ってくると歓声が上がった。

 東京からやってくる人たち。それは医療従事者であったり、警察関係者、自衛隊関係者といった人たちであった。


 彼女はどこにいるのだろうか。僕は辺りを見回した。

 あ、見つけた。

 彼女もこちらに気づいたようで手を振りながら駆けてくる。

 最高の笑顔。この熱海駅で見られる笑顔はといっても良いだろう。


「デッドマンだっ!」


 誰かが叫んだ。

 ホームが大混乱になる。逃げ惑う人々。人の波が揺れ動き、大勢の人がパニックに陥る。


 もう少しで彼女に触れられるところまで来た時、彼女が人の波の中へと消えてしまった。

 どこだ、どこへ行った。


「痛い、痛い、痛い、痛いっ」


 どこかから叫び声が聞こえる。

 ホーム上で緊急を知らせるサイレンが鳴る。

 武装した警官や警備員たちがやって来ようとするが、逃げ惑う人々に押し返されてしまう。


 僕は、スーツ姿の中年男性が、目の前でデッドマン化した若い女の人に首筋を噛まれて、血まみれになりながら倒れていく姿を呆然としながら見ていた。


「逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ」


 誰かが叫ぶ。

 その声に我に返った僕は、彼女の姿を探す。

 しかし、彼女の姿はどこにも見当たらない。


 どこだ、どこにいるんだ。

 僕は必死に彼女を探したが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


 誰かが僕の肩を強く掴んだ。

 彼女か?

 僕は期待を込めて振り返る。


 そこにいたのは、彼女だった。

 僕は彼女を抱きしめた。

 彼女も僕を抱きしめる。強い、強い力で抱きしめる。

 骨が軋む。そして、彼女は僕の首筋に噛みついた。

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50マイルのフラグ 大隅 スミヲ @smee

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