《補遺》鳴沙の白砂漠

 目に痛いほどに白い砂は、さざなみの文様を描きながら地の果てまで広がっている。斜めに照りつける陽光もまた白く、そして剃刀のように鋭く大地に突き刺さる。私のくにのものとは全く違う濃く深い青を呈した空が、一点の曇りもなくこれまたどこまでも高く広がっている。私は駱駝に跨り、前をゆくもう一頭の駱駝の背を追っていた。純白の海の上を滑らかに泳ぐように進む駱駝の乗り心地は悪くはなく、私はその上で左右にほんの少しずつ揺すられながら白い砂漠を進んでいた。




 宿場町の大通りには木の柱が立ち並び、柱の間には色とりどりの天幕が渡されている。天幕の下では果物やら繊細な模様のある織物やら、瓶詰めにされた中身の見えないものやらがいくつも並び、人々は立ち止まり、品物を手に取り、声高に言葉を交わし合う。砂漠の端の乾いた街、その中央のバザールは大いに賑わっているようだ。私は鮮やかな草花模様の絨毯や瓶詰めの薄荷水に後ろ髪を引かれながらも、誘惑を振り切って大通りを進んだ。

 通りの端にあった駱駝屋を訪ね、砂漠を渡りたいから駱駝を貸してくれと言うと、駱駝屋の男たちはにこやかに対応してくれた。駱駝のこぶの間にに鞍を載せたり、穏和な口元に轡を噛ませたりしながら、どちらからやってきたのか、などと愛想よく尋ねてくるので、私も悪い気はせず聞かれるままにこれまでの旅路のことを話していた。私の拙い大陸汎用語でどこまで伝わったのか分からないが、和やかな雰囲気だったと思う。そんな空気が一変したのは、私がこう言ってからだった。


「白い廃墟を見に行きたくて。干し煉瓦でできた、四角い家々の都を」


 それを聞いた二人の男は困ったような顔をして黙りこんでしまった。そして顔を寄せ合いひそひそと何事かを相談している。品がないと思いつつ聞き耳を立ててみても、それは汎用語ではなく彼らの母語であったようで、私には一単語も聞き取ることができなかった。やがて密談は終わり、やや若い方の男がこちらを向いて言った。


「お客さん、私も一緒に行きましょう」

「いや、駱駝は道を覚えているのでしょう? 人が乗っていなくても砂漠を往復できるって聞きましたよ。だから、駱駝だけ借りるつもりだったのですが」

「そう、そのとおり。うちの駱駝は人間よりずっとよく道を知っています。しかし駱駝にはできないこともあります。白い廃墟に行きたいなら、私がついて行きます」


 かくして、駱駝一頭に加えて案内人一人も頼むことになってしまった。向こうが言い出したのだから当然ただで、というわけにはいかなかったので案内分の料金もまとめて払いながら、もしや新手の押し売りに引っかかってしまったのではと悩んでいたが、先程の駱駝屋たちの困惑した顔を思い浮かべれば、そうとも思えないのだった。




 駱駝二頭を綱で繋ぎ、前の駱駝に案内人、後ろには私が乗り、砂漠をしずしずと進んでいく。駱駝に踏まれた砂が小さく鳴く。足元できらめく砂の一粒ひとつぶを目で追っていると、突然、低い音が辺りに響いた。長く尾を引く、巨大ないきものが唸るような音。私が驚いてきょろきょろと周囲を探っているのを見た案内人は微笑んでいた。


「砂が唸っているんです。砂丘のてっぺんから砂がこぼれ流れるときの音だと言う人もいれば、悪霊の声だと畏れる人もいます。私は砂漠そのものの鳴き声だと思っています。この唸り声は砂漠中に響くんですよ」


 砂が唸るなど初めて知った私はただただ感心していた。案内人がついていてよかったかもしれない。

 しばらくして砂の唸り声はやみ、二人と二頭はふたたび白い静寂の中を割って進んだ。唐突に前の駱駝が止まり、私の駱駝もそれに合わせて立ち止まった。


「ここですよ」

「何が?」

「白い廃墟です」


 私はゆっくりと周囲を見渡した。


「嘘だ」


 そこには何もなかった。道中と変わらぬ白い大地が波打ちながら広がるのみ。廃墟の影などどこにもない。


「嘘じゃありません」


 案内人は幼子を諭すような優しい口調で続けた。


「この砂漠は街を呑むんです。まず街の中心の泉を呑み干します。それからしばらくして、街を呑むのです。泉の水が消えた時点で人は街を捨て移動していますが、残されたものはすべて、家も店も家具も丸ごと呑まれてしまうのです。この砂漠では、こうしていくつもの街が消えていったといいます」


 振り向いて語りかける駱駝屋の向こうの白い砂漠が、大きくうねって広がる。砂漠はのたうち、唸り、吠えながら擂鉢状の口を大きく開く。白い方形の家々は砂漠の口を滑り降りながら地面に埋もれ、擂鉢の底につくころには影も形もなくなっている。壁が、屋根が、日干し煉瓦が、なつめやしの木が、名もない植物の死骸が、硝子片が呑みこまれていく。街のすべてを呑みほした砂漠は満足気に大きく唸ると、その口を閉じる。あとには静かな白の波だけが残されている。

 そんなまぼろしを見た。


 茫然自失の私を心配そうに見ながら、案内人は駱駝を進める。駱駝はのんびりと歩き、空想の中の小さな都とともに砂に埋もれる私を置いていくようだった。まだ信じられない思いで視線を周囲に彷徨わせていると、ふたたび駱駝が止まった。今度はなんだろうか。


「このあたりが、泉の中心だったところです」


 そう告げられなければ何も分からなかっただろう。駱駝の足元の白いさざなみをぼんやり見つめていると、ふと何かが一瞬、視界の隅できらりと光った。その色は頭上の空と同じ色をしているように見えた。

 私は駱駝から飛び降り、輝きを見た場所に駆け寄る。太陽に炙られた砂で手が灼けるのも厭わず、屈みこんで掘り返す。しかし掘り出したものは硝子の瞳でも、砕けた窓硝子でもなかった。ただの空き瓶だ。前の宿場町で、この瓶に甘く味つけされた薄荷水が詰められ、よく冷やされ売られているのを見た。この瓶はきっと、つい最近ここを通りがかった旅人が、飲み干したあとここに捨てて行ったものに違いなかった。


「お客さん、昼になりますよ。昼の砂漠は暑いです。あなたも私も茹だるか、焦げるかしちゃいますよ」


 振り返れば、駱駝から降りた案内人が傍で身を屈めていた。その顔は影になり、よく見えない。地につけた両膝に服を貫いて伝わる粒子状の熱が、既に痛みに変わっていることに今さら気がついた。

 案内人は私が駱駝によじ登るのを手伝ってくれた。何事もなかったように駱駝は進む。


「やはりついてきてよかった。少し前に、この砂漠で遭難しかけた人がいたんです。砂に呑まれる前の街を目印にしていて、見えないのを不安に思って彷徨ったとか。嫌がる駱駝を無理に進ませ、ついには駱駝を乗り捨てて歩いていこうとしたようで。熱さと渇きで倒れてしまったところを通りがかった隊商に助けられて大事には至らなかったと聞きますが」


 私はまだ空き瓶を握ったままだった。灼熱の瓶は私の手の中で熱を失い、じわじわと温くなっていく。


「あなたを一人にしていたら、もっと酷いことが起きていたかもしれない。砂漠に行く前に『街はもうない』と言ってみても、簡単には信じて貰えなかったでしょうから」


 案内人は前を向いたまま一息に喋り終えた。あとは何も語らない。駱駝の歩みに合わせて鳴く砂の高い声だけが、断続的に響いている。


 胸騒ぎがして、後ろを振り返った。はるか遠くで白い影がもやもやと動き、街の姿になった。白い箱型の住居が、白い布を纏った無数の人影が、青々としたなつめやしの葉が、そして青くきらめく泉があった。私は息を呑む。もっとよく見ようと目を凝らす。瞬間、砂漠があの低い声で唸り、一瞬にして街は掻き消えてしまった。


 残るは低く重い、灼けた大気の震えばかり。

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水晶の砂漠にて 守宮 靄 @yamomomoyan

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