水晶の砂漠にて

守宮 靄

白い廃墟でうたうもの

  涸るる白浪しらなみ、蒼天を呑まんとす 

  きしる音さえ透きとおり消ゆ




 くにを発ってはや数ヶ月、私は白い砂漠の中にいた。どこまでも続く白い砂丘と雲ひとつなく広がる天の対比。『抜けるような青空』という言葉はこの空のためにあるのだと知った。駱駝らくだの柔らかい足が地に触れるたび、砂粒たちが擦れ合う。悲鳴にも嬌声にも聞こえるその微かな音と駱駝の背の揺れが緩やかで単調な音楽となった。視線を遠くへ飛ばし、白と青の境を見つめる。永遠に続くかに思えるこの景色は、実際のところ一日足らずで越えられるほどの広さでしかないらしい。世にも珍しい純白の砂漠。これを構成する無数の砂粒すべてが、極小の水晶であった。


 方形の白い影がぽつりぽつりと立ち現れる。日干し煉瓦で組まれた家々だ。多雨多湿の私の故郷では決して見られない建築である。角砂糖に小さな穴を開けたような建物が白い海にうずまりかけ、環状の街並みをつくる。しかし歩けども歩けども、あるはずのものが見えてこない。それは空の色を映す青。足元は変わらず白い光を乱反射するだけで、そのようなものの痕跡もない。家々に囲まれた円形の窪地、その中心で立ち止まる。駱駝を借りた街で小耳に挟んだ噂のとおり、この小さな都の生命の泉はもう、涸れ果ててしまったようだ。


 乾燥と熱砂とに慣れているはずの草木でさえ、今はその残骸を侘しく晒すのみ。人間については言うまでもない。死の都を放棄したのか共に滅んだのか分からないが、ここが廃墟となって久しいことは確かだろう。窪地の中央、かつての泉の底から離れる。そのまま都を横断して次の宿場町を目指すつもりだったが、一風変わった建造物が目を引いた。それは他の家々と同じ大きさ、そっくりの輪郭を持っているが、奇妙なのは窓の数であった。小さな窓を一つ二つ控えめに持つだけの他の家と違い、大きな正方形の穴が整然と並べられている。好奇心をそそられた私は近くに駱駝を繋ぎ(そうしないと勝手に帰ってしまうらしい)、その建物へ足を踏み入れた。


 家の中は思いのほか明るかった。それもそのはず、頭上には天窓が規則正しく並び、空を矩形に切り取っている。地面には色とりどりの割れた 硝子ガラスが散乱し、足の踏み場もない。赤、青、紫、緑、黄、橙、紺……。かつてはこの家の窓という窓すべてにこの色硝子が嵌められていたのだろう。硝子の原料は外に幾億とも知れず転がっているのだ。四方の壁に沿うように、枯死した植物が散らばっている。朽ちて縮れた葉や茎を見るに、砂漠で生きる種でないことは明らかだった。一列に並んだ小さな煉瓦や装飾のある焼き物の破片が隅の方に残っている。花壇や鉢の痕跡だろうか。かつてのこの家の主は、白い砂漠の中心の小さな箱の内に、緑鮮やかな楽園を造ろうとしていたらしい。めいめいに腕を伸ばして繁茂する草木と、それを照らす七色の光条の虚像を見る。それほど上手くいったかどうかは定かでないが。


 しかしこの廃れた楽園の主役は、植物でも窓の透過光でもなかった。部屋の中心に、硝子でできた細長い八角形の箱がある。十数年前の私なら入ることができたかもしれない程度の大きさだ。縁の絢爛な装飾には白っぽい砂埃が積もり、透き通っていたはずの箱の上面は砕けた色硝子と白砂に隠され、中にある黒い影の輪郭をなぞることはできない。

 そして箱の傍の腰掛けには、等身大の人形がもたれていた。いまや襤褸ぼろに成り果てているが、かつては上質であったろう服を纏っている。しかし装飾品の類は一切見られない。それは形のよい細い首を晒して項垂れ、居眠りしているようにも見えた。足元に跪いて顔を覗き込む。顔の表面は細かくひび割れ、ぽっかりあいた眼窩が私の眼を欲していた。かつてその暗がりを埋めていたものは人形の膝の上と右足の傍に転がり落ち、静止している。膝の方にある瞳がこちらを向いていた。この土地の空と同じ色。細かな砂で覆われたそれを布で拭い、そのまま旅の供にしたい衝動に駆られたが、いくら廃墟とはいえ盗みを働くのは憚られる。


 立ち上がり、もう一度よく人形を眺めていると、うなじにツマミがあることに気がついた。指の先ほどの出っ張りの周りをぐるりと一周するように、矢印が描かれている。矢印の長さと同じだけツマミを回すと、カチチチ、とゼンマイを回すような音がした。一瞬の静寂ののち、人形が歌い始めた。


 人間の声ではない。高く細く硬い、金属質の響き。ときどき音が躓いたり、不協和音を混ぜたりするのは経年劣化ゆえだろう。冷たくも柔らかく、どこか物悲しい調べ。聞き馴染みのないはずの異国の音楽に、どうしてこうも郷愁を掻き立てられるのだろう? 何度も繰り返される印象的な節回しが不意に、忘れていた記憶を掬いとった。子守唄だ。ねえやの歌ってくれた、あの。私を育てた子守唄は切なく、物悲しかった。私が姐やと呼んでいた子守娘──今の私よりずっと幼かった少女が、故郷を離れて歌わなければならなかったのだ。望郷の念を呼び覚ますのも当然である。


 それにによく似た響きをもつ歌が、目の前の人形の口から漏れ出ている。そのひび割れた顔に姐やの面影を重ねてしまったのは、いささか感傷的過ぎたかもしれない。演奏の終わりには穏やかなアルペジオが尾を引いて、乾燥した空気に溶けていった。余韻と寂寞。いずれ砂の底で眠りにつく、滅びた都に捧げる曲としても相応しいが、私はこの歌が誰のためのものなのかもう知っている。

 これは部屋の中央の、硝子の柩で眠る子のための歌。




  曇りなき眼はすでに地に落ちて

  わが追憶よ挽歌とおどれ

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