その年、慶応三年の十一月十五日に、龍馬は上野撮影局を訪れなかった。人づてに聞いた話によると、今頃は京にいるだろう、ということだった。

「坂本さま、やっぱり忙しかとやな。来年のバァスデイには、来てくれるやろか」

 お登女は仕事の合間に、龍馬の写真の焼き増しをした。原本となるガラス板に鶏卵紙を張りつけ、四半刻ほど(約十五分間)日の光に当てる。白黒の逆転した原本から鶏卵紙に写し取ると、もとのとおりの明暗を呈した写真になるのだ。

 撮影を任されるには、まだほど遠い。だが、焼き増しのコツはつかんでいる。仕上げにきっちりと薬液を落としてきれいな柿渋色を定着させるのもお手の物だ。

 ところが、その日の焼き増しは珍しく失敗してしまった。銀づけをするときに、紙がよれていたのかもしれない。

「ああ、口元が……」

 への字に引き結ばれた龍馬の口元が、うまく感光しなかった。

 ぼやけてしまった唇の形は、うっすらと微笑んでいるようにも見えた。


 それから数日経って、お登女は知った。

 龍馬が京で刺客に襲われて死んだらしい。

 奇しくもその凶事が起こったのは、十一月十五日。龍馬が生まれたのと同じ日の夜だったという。

 お登女は、指切りをした小指のじんわりとした熱を思い返し、失敗した写真を胸に抱いて、そっと泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バァスデイ・ポトガラヒー 馳月基矢 @icycrescent

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ