完結第11話 破邪の剣の霊力
「いざ、女同士、尋常に勝負!」
お菊は太刀を抜き、上段に振りかぶった。隙だらけの構えである。
女剣士は下段に構えながらも、驚愕した。
相手は真っ白い死装束で、しかも既に死んだように寂として瞼を閉じている。おそらくこちらの太刀が相手の膚にふれた刹那、太刀を振りおろしてくるのだ。
自分も死ぬが、相手も確実に殺さずにはおかないという、相討ち覚悟の凄まじい刀法であることは明らかであった。
それは、死を決した不気味かつ凶々しい異様な戦法である。
なおかつ、その奇々怪々、薄気味の悪さに加えて、波木井三郎の右腕を斬り落とした浪人風の男が、何をするでもなく女同士の対峙を半眼でじっと見つめているのだ。
女剣士の身に戦慄が走った。今まで味わったことのない恐怖と得体の知れぬ不気味さが背骨の髄を奔り、脳天を貫いた。
片腕を落とされ、地にうずくまる三郎の口から、かすかな呻きが漏れた。一刻も早く手当てをせねばならない。
焦った女剣士は、「きえええーいっ」と裂帛の気合い声を発し、お菊に揺さぶりをかけた。が、お菊の構えに揺らぎは微塵もない。
「なぜだ。何故に、この女は死のうとするのか。何故に相討ちをのぞむのか」
胸のうちでそう呟いた瞬間、女剣士は剣の切っ先で地面を摺り上げ、お菊の顔面にあやまたず土埃りを弾き飛ばした。精妙きわまる目つぶしであった。
だが、瞼を閉じているお菊にその手は通用しない。眉ひとつ動かさず、お菊は神経を研ぎ澄ましていた。
「そうか。そうであったか」
女の剣先から泥土が弾かれるのを見た瞬間、浅右衛門は得心した。
この荒っぽくも絶妙な目つぶし剣法に、紀州徳川家の手練れはことごとくしてやられたのだ。人を斬ったことのない道場剣法は実戦に弱い。まして、このような異形の技が仕掛けられるとは思いも寄らぬことであったに相違ない。
転瞬、運否天賦とばかりに、女剣士の太刀が一閃した。
が、その太刀は豊後国行平に高い金属音を立てて弾き飛ばされていた。勢いあまって、たたらを踏んだ女の懐中から横笛が転がり落ちた。
はて、何事かと、お菊が訝しげに瞼を開けた。
浅右衛門が女剣士に地を這うような低い声を出す。
「女、身籠っておるな」
無腰の女剣士が口惜しそうに唇を噛み、浅右衛門を睨んだ。
浅右衛門が女と目を合わせた。
「子を孕んだ女は殺せぬ。これでも人の子よ」
お菊が女剣士の腹を見た。なるほど、今まで気がつかなかったが、浅右衛門の言うとおり、女の腹部が膨らんでいる。
お菊が問うた。
「波木井三郎どののお子か」
女剣士はそれに応えず、「三郎様!」と男のもとに駆け寄り、自分の着衣の袖を口に咥えてビリリと引き裂き、血止めをした。
浅右衛門がお菊に声をかけた。
「もうよい。参ろう」
見れば、浅右衛門は数珠丸らしき太刀を携えていた。陰きわまりて陽生ず。波木井三郎が所持していた刀は、やはり紀州徳川家が探し求めていた天下の宝刀なのだ。
山麓への一本道を浅右衛門とお菊がたどると、途中の松林に留吉らが
浅右衛門の顔を見るや、留吉が頭を下げる。
「へへっ。たんまり稼がしてもらいやしたぜ。山賊の上前をはねる破落戸など聞いたことがありやせん。へへっ」
「久遠寺の宝物蔵はどうした?」
「あれは、今夜、盗っ人の八十吉がかっぱらっているはずでさぁ。助っ人に雲助の力蔵と手下の者、二十人つけてやりましたんで、へへっ、騒ぐ坊主や例の飼い犬は多少叩き殺しておりやしょうが、たぶん今頃はお宝を背負い、江戸に向けて、とんずらしておることでげしょう」
見れば、留吉のうしろには銭箱を積んだ大八車が三台。
浅右衛門が唇を歪めて命じる。
「そのままでは関所役人に見咎められ、面倒なことになるであろう。途中、百姓家から米俵が炭俵を貰い受けて、銭をその中に移し替えよ」
「へえ」
「では、江戸に戻る」
お菊が浅右衛門の袖を掴んで言う。
「まさか、生きて江戸に還れるとは、思うてもみませなんだ。旦那様に拾われたこの命、またいずれ捨て場所がございましょうや」
「ふふっ。生きるのも気鬱ではあるが、死ぬのも気怠いものよ。敢えて急ぐことはない」
後日、数珠丸は紀州徳川家の八十姫の枕辺に置かれ、その霊力の賜物か、姫はほどなくして本復し床上げに至ったという。
江戸に再び春が来て、吉原仲ノ町通りに植え付けられた桜が爛漫と花開いた。
その桜吹雪舞い散る吉原遊郭に、かつてない豪華な造りの
遣手婆が、遊女どもを舌打ちしながら叱責する。
「チッ。どいつもこいつも、淫らな腰づかいばかり先に覚えやがって、三味の弾き方ひとつ、なっちゃいねえ。いいかえ。この見世は吉原随一、
その新しい妓楼の名は「数珠丸屋」という。
――了
首切り山田浅右衛門season2「破邪の剣」 海石榴 @umi-zakuro7132
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