2 んがむし様の正体
「それはもしかして、長虫のことじゃないかな」
そう言われても、私には「ながむし」が何なのかも分かりませんでした。
「長虫っていうのは、蛇のことだよ」
長い虫と書くんだ、と恵一君は実際に紙に文字を書いて説明してくれました。
ヘビは確かに長いけど、虫じゃあないんじゃないか、と私はそんなようなことを言ったと思います。そうしたら、恵一君はまた字を書いて説明してくれました。昔、ヘビは虫の仲間だと考えられていたんだよ、と。だから漢字が虫偏なんだ、と。
当然、私の次の疑問は、名前が似ているだけじゃないかということでした。恵一君はもちろんこれにも答えてくれました。
「天井から水が垂れてきたんでしょ?」
「うん」
「それに豊作になるって言ってた」
「うん」
「蛇っていうのは水神、つまり水を司る神様なんだよ。それで、植物は水がなきゃ育たないから豊作の神様でもあるんだ」
恵一君はまた、「作物を食べるネズミを退治してくれるっていうこともあるんだろうけど」とも説明を続けました。
しかし、後半部分はともかく、前半はあまりしっくり来ません。
「蛇がなんで水の神様なの?」
「一つは住む場所だね。蛇は沼とかああいう湿った場所によくいるから」
将棋が流行っていたというだけで、探検ごっこをしたり、昆虫採集をしたり、野山で遊ぶこともありました。だから、この話は納得のいくものでした。
「もう一つは龍の影響だよ。昔は雨が降るのは龍の仕業だと考えられていて、似た姿の蛇にも同じ力があると信じられていたんだ。これはむしろ、蛇が水神だから、龍も同じだと考えるようになったのかもしれないけど」
この話にも、私はすぐに納得していました。昔話の絵本だったでしょうか。「日照りに苦しむ村人たちが、龍神様に雨乞いのお祈りをする」という場面を見たことがあったからです。
こういう民俗学的な、該博な知識を持っているだけのことはあるということでしょう。恵一君は学校の勉強も得意で、将棋も非常に強かったです。ですから、んがむし様の次は、指し手についても助言をしてもらうことにしました。
ただほどなくして、裕二君のお母さんに呼ばれてしまいました。もう夕食の時間だそうです。
その日のメニューはすき焼きでした。気を遣ってくれたのかどうかは分かりませんが私の好物です。もっとも、他人の家族にひとり混じって食事をするというのは、いくら顔見知りが相手でもなんとなく居心地が悪くて、味はいまいちよく分かりませんでしたが……
そんな嬉しいような、そうでもないような夕食の席で、裕二君のお母さんは言いました。
「浩明君も、裕二たちも、今日は夜更かししちゃダメだからね」
わざわざ「今日は」とつけたくらいですから、一般的なしつけとして言っているわけではないのは明らかでした。
実際、彼女はそのあとこう続けたのです。
「明日はご祈祷の儀式があるから」
◇◇◇
翌日の、日曜日のことです。
昼前に母が迎えにきて、私は家に戻ることになりました。
しかし、一日ぶりの我が家の様相は、前日とはわずかばかりですが異なっていました。
庭に木組みの台座のようなものが設置されていたのです。
台座の両端には、それぞれ野草らしきものを活けた花瓶が飾られていました。また、中央には日本酒の瓶と、一羽まるごとの鶏肉も置かれていました。
この鶏肉は、おそらくスーパーではなく養鶏所か食肉加工場まで行って、直接買ってきたものだったのでしょう。別の大皿には、鶏の血がなみなみと注がれていました。
祭壇だ。子供の私にも、すぐにそのことが理解できました。
本当に儀式をするんだ。そう思いました。
事実、その直後に、宮司さんがやってきました。
台座の前に立った宮司さんは、
宮司さんの後ろには、私の家族が横並びになって、神妙な顔つきで祝詞に聞き入っていました。また、そのさらに後ろには、町内の大人たちや、佐伯兄弟のように親に連れてこられたと
かくいう私は、宮司さんのすぐ横に立たされていました。それも
長い祝詞――もっとも、子供の感覚なので実際は大したことなかったかもしれませんが――が終わると、参加者に
ここで言う「みんな」というのは、参加者みんなのことで、宮司さんはもちろん、私たち子供まで含めてのことです。おおらかな時代だったとはいえ、未成年の飲酒を咎める人がいなかったのは、きっとそれが必要なことだったからなのでしょう。なかには、嫌がる子供に対して、「一口だけだから」「これも儀式だから」となだめる親までいたほどでした。
一升瓶入りのものを少しづつ分けただけですから、お酒は随分余ってしまいましたが、これは元々その予定だったようです。残った分は、家の周りに撒かれることになりました。
次に、宮司さんは皿を手に取りました。そうです。鶏の血の入った大皿です。
まさかこれも飲まなくてはいけないのかと思って、今度はさすがに青くなりましたが、それは私の早合点でした。鶏の血はただ地面に撒かれるだけでした。
もっとも、宮司さんによれば、これは撒いているのではなく、んがむし様に奉じているのだそうですが……
そのあとは、祝詞がまた再開されました。ただし、今回のものはかなり短く、ほどなくして唱え終わりました。
二度目の祝詞が済むと、宮司さんは参加者の方に向き直って、「皆さま、お疲れ様でした」と礼をしました。よく分かりませんが、儀式が終わったようです。みんなが礼を返すのを見て、私も慌てて宮司さんに礼をしました。
それから、父は宮司さんを家の中に招いて、昼食をご馳走しました。店で買ってきたようで、お寿司やら天ぷらやら、メニューは豪勢なものばかりでした。
また、他の参加者たちも、祖父母が同じようにもてなしました。もう儀式は終了しましたし、ビールなんかも振る舞われたこともあってか、場の雰囲気は明るく騒がしいものになりました。私も和装から着替えて、裕二君たちと一緒にはしゃいだと記憶しています。
母ですか? 母は台所で、お供え物の丸鶏を切り分けていました。
これは参加者に配るためだったらしく、事前にいるかどうかの確認を取っていましたが、その時は確か全家庭が希望していたと思います。それどころか、「自分の分ももらってきてほしい」と欠席者に頼まれたという人もいました。
参加者たちに昼食を振る舞ったのは、儀式に出てくれたことへの慰労だけでなく、時間を潰してもらう意味もあったのでしょう。昼食が終わり、鶏肉も行き渡ると、ようやく一同は帰宅の途に就くのでした。
宮司さんや参加者たちがいなくなると、家の中には一転していつも通りの光景が広がることになりました。母と祖母は洗い物を始め、祖父は亭主関白にもテレビを見だしたのです。まるで儀式など最初から行われなかったかのようでした。
考えてみれば、宮司さんが祝詞を唱えたり、鶏の血を家の周りに撒いたり、今日あったことはどれもこれも現実感がありません。もしかして、私は白昼夢でも見ていたのでしょうか。
しかし、夢でないことは、すぐにはっきりしました。
庭にはまだ祭壇が残っていたからです。
父によれば、祭壇は年末に神社でお焚き上げをするとのことでした。そのため、それまでは我が家で保管しておくのだそうです。
そうして祭壇の解体を終えた父に、私は尋ねました。
「これで終わり?」
「ああ、もう大丈夫だ」
今日の儀式のために、いろいろ用意する必要があったからでしょうか。その時の父は、疲れたような安堵したような表情をしていました。
ただ私が本当に知りたかったのは、儀式のことではありませんでした。
「んがむし様って蛇なの?」
「ん? そうだよ」
大人たちが誰も詳しいことを説明しなかったのは、どうやら意図的なものだったようです。私の質問に対して、父は怪訝な顔をするのでした。
「誰かに聞いたのか?」
「恵一君がそうじゃないかって」
彼は「んがむし=長虫」という説を唱えるにあたって、いくつかの推論を重ねていました。ですから、今度はそれが正しいのかどうかを、私は確認することにしました。
「んがむし様は豊作の神様なの?」
「ああ」
「水を司る神様だから?」
「ああ」
推論がことごとく的を射ていることに、私は目を見張りました。やっぱり恵一君は頭がいいなと、中学生はすごいんだなと、友人のことを誇らしげに思っていたのです。
一方、質問を重ねるごとに、父の顔つきはどんどんこわばっていきました。今にして思えば、子供に教えるにはまだ早いと考えていたからなのでしょう。
けれど、興奮状態にあった私は、そのことにまったく気を払うことはありませんでした。
「水の神様だから、天井から水が落ちてきたの?」
この質問に、父は初めて首を振りました。
「あれは水じゃなくて
(了)
んがむし様 蟹場たらば @kanibataraba
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