第三話 俺と一緒に来い


「見つけたぞ。お前が、噂にあった牛の頭をもつ娘か」

 ごくりと、未世は唾を飲み込む。

 未世が何も答えられないでいると、男は視線をあげて鉄格子をぐるりと見渡した。

「こんなとこに閉じ込められてたら、焼け死んじまうだろ。ったく、閉じ込めまま見捨てて逃げちまうとか酷でぇ話だよな」

 そう言ったかと思うと、彼は小声で何かをブツブツと呟いた。すると、彼の右足の周りに小さな風が起こったように見えた。床に落ちた灰が舞い上がる。

 彼はその右足をあげると、未世を閉じ込めている鉄格子の戸を勢いよく蹴った。

 ガシャンと大きな音がたつが、人間の力で鉄の鍵が壊れることはない。

 ……はずだった。しかし、彼が二度三度と強く蹴ると鉄製の戸が段々ひしゃげてくるでないか。最後には蝶番ごと戸ははじけ飛んだ。

 未世はただ、目の前の光景を驚きのあまり目を丸くして眺めるしかできなかった。

 男は鉄格子をくぐって、座敷牢の中へと入ってくる。

「ほら、出るぞ」

 彼は手を差し出してきた。

 未世は警戒して身を固くする。

 彼も軍人なのだろう。未世を捕まえにきたのだろうか。

 しかし、屋敷と運命をともにすると決めたのだ。いまさらここから出るつもりはなかった。

 ふるふると首を横に振る。

「ここにいては危険です。あなた様はお逃げください」

 そう伝えるのが精いっぱいだった。

「お前はここに残るってのか? 間違いなく死ぬぞ?」

 今度は何も超えず、再び頭を横に振る。

「……そうか。死ぬ覚悟ってことか」

 彼はため息とともに吐き出す。わかってくれたんだろうか。未世は内心ほっと胸をなでおろす。だが、彼は未世の傍までくると、おもむろに未世の顎に手をあててくいっと顔を上げさせた。

「俺がみすみす見逃すと思うか?」

 赤い瞳が強い色をたたえてじっと未世を見つめる。未世は彼の赤い瞳に吸いつけられたように彼から目が離せなくなった。

「俺は煌大こうだいという」

「こう……だい……さん?」

 掠れた声で繰り返す未世に、煌大は小さく口元に笑みを浮かべた。

「ああ。お前は何という」

「くだん……」

すぐさま煌大はぴしゃりと言い捨てる。

「それはお前の本当の名前じゃないだろ?」

「お前の本当の名を聞いている」

 名を聞かれて未世は戸惑った。もうずっと未世の名を呼ぶものなどいなかったのだ。

 ずっと『くだん』と呼ばれてきたのだ。

 じわりと、未世の瞳が潤む。

 彼が、奇怪な牛の被り物を被って座敷牢に閉じ込められている自分のことを、一人の人として扱ってくれていることがわかったから。

「み、未世」

 応えると、彼ははっきりと告げた。

「未世。俺と一緒にこい。お前をどんなものからも守ってやる」

 彼は未世の手を握るとぐいと引いた。未世は抗うこともできずにつられて立ち上がる。

 そのとき、外から別の男の声が聞こえた。

「若! 大丈夫ですか! やばいですよ、この建物! いつ崩れてもおかしくない! 早く出てきてくださいよ!」

 その声に、煌大は声を張り上げて「わかった」と戸口の方に向けて応えると、未世の手を引いて座敷牢から出ようとした。

 しかし、

「あっ」

 長期間の監禁生活で足腰の弱り切っていた未世はすぐにふらついて、ぺたんとその場に座り込んだ。

 それを見た彼は、

「ちょっと我慢しろよ」

「きゃ、きゃっ!?」

 未世の腰を掴んで未世の身体をひょいっと肩に担いでしまう。

「煙を吸うな。息を止めてろ」

「は、はい」

 彼は人一人担いでいるなど思えないほどの素早さで、座敷牢のあった小屋から駆け出た。

 小屋の外に出ると、周りにいた十人ほどの若い軍服姿の者たちが駆け寄ってくる。そして、肩に担がれている馬の被り物をかぶった赤い着物の少女を見て、みな一様に息を飲んだ。

「若! 大丈夫ですか!? そ、その娘が例の……」

 一番手前にいた、金髪に青い瞳をした軍人が訝しげに言う。

 煌大は安全なところに未世を降ろすと、ふぅと大きく息をついた。

「ああ。あの中の座敷牢に閉じ込められていた」

 それを聞いて、他の者たちはざわつく。

「なんてむごい……。間一髪でしたね。でも、若! 一人で燃える建物に飛び込むなど正気の沙汰ではありません! もしあなたの御身に何かあったら!」

 苦言を呈しようとした金髪の青年だったが、煌大がすっと手でそれを制した。

「文句ならあとでたっぷり聞く。いまはそれどころじゃない」

 金髪の青年はまだ何か言いたそうだったが、しぶしぶ口を噤む。

 煌大は腰をかがめると、ふらついてその場にぺたんと座り込んでいた未世と視線を合わせた。

「これ、とってもいいか?」

 これと煌大が指さしたのは、未世がかぶっている牛の被り物だった。

「で、でも、お父様が……」

 未世は慌てふためく。この被り物を被るように強いられてからいままで、誰にも素顔を見られたことがない。

 恥ずかしさのあまり、どうしていいかわからなかった。

 被り物の裾をきゅっと両手で掴んだ。顔が熱い。

 すると、煌大は未世の頭にぽんと右手を置いた。

「これかぶってたら息がしにくいだろ。煙に巻かれたんだ、ちゃんと息を吸え。お前の言う『お父様』が山澤洋三のことなら、そいつは俺たちが捕まえた。国家反逆罪の罪でな」

「こっか、はんぎゃくざい……?」

「そうだ。数日前、帝都で皇国に対してクーデターを企んだ一団がいた。もちろん、全員捕えたが、山澤商会はそいつらに外国製の武器を大量に売りつけていたんだ。それで謀反の共犯者として会社関係者と一族郎党を捕縛した。だからもう、お前がその被り物をとったとて何か言う奴はいないだろ」

 もう山澤商会はなくなり、山澤家の人たちももうここにはいない。座敷牢は燃え盛っている。

 誰も、未世に被り物を強いることも、座敷牢に閉じ込めることもない。

「お前は、これから未世として生きればいい」

 煌高の声が優しく胸に響く。

 しかし、ぎゅっと被り物を掴む手が小刻みに震える。

 こんな沢山の人の前で、被り物を脱ぐのは恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 何度も深呼吸をして気持ちを整えて、両手を握って胸に当て、小さく未世はこくんと頷いた。

「よし、いい子だ」

 煌大はぽんぽんと二度未世の頭を軽く撫でるように叩くと、被り物を掴んで、未世の頭からひょいっと剥がした。

「きゃっ」

 未世は思わず両手で顔を覆い隠す。指のあいだからちらと煌大を覗くと、彼はニカっと気持ちのいい笑みを浮かべていた。

「上出来だ。よくやった」

 今度は優しく頭を撫でてくれた。さっきから彼に撫でられてばかりな気がする。

 彼の手は大きくて、あたたかかった。

「さて、これからどうするかな。お前は捕縛リストに入っていなかったが無関係とも言えないしな。見なかったことにしてこのまま逃がしてやってもいいが、その調子じゃ歩くのも難しそうだな」

 少し考えてから、煌大は未世の体を再びひょいっと抱き上げる。今度は、お姫様抱っこというやつだ。

「ひゃっ!?」

 高さに驚いて慌てて彼の胸に捕まったせいで、顔から両手を離してしまう。

 二人のやりとりを見守っていた周りの者たちは、未世の素顔を見てどよめいた。それがまたちょっぴり恥ずかしい。

 そこに、さらりとした黒髪を馬の尻尾のように頭の後ろで束ねて、軍帽をかぶった者がそばまでやってきた。恭しく煌大に尋ねる。

「煌大様。この娘をどうされるのですか?」

 軍服を着ていて背が高いので初めは男性かと思ったが、声を聞いて女性だとわかる。

「一応重要参考人ではあるが、弱ってるみたいだからな。うちの屋敷に連れて帰ろうと思う」

「お屋敷にですか!?」

 女性は驚いた声をあげた。それに構わず煌大は続ける。

「ああ。同性の方がいいだろうから、友江、お前に任せる。屋敷のモノは好きに使って構わん。医者も呼んでやってくれ」

 友江と呼ばれたその女性は少し迷う顔をしたもの、すぐに軍靴を鳴らして敬礼をした。

「……仰せのままに」

 そのあと未世は煌大に抱えらえたまま庭に置かれていた屋根のない車の後部座席に車に乗せられた。前の運転席に友江が座ると、煌大は車の外から未世に話しかける。

「先に屋敷に帰ってろ。俺はここでやらなきゃならん後始末が山ほど残ってるからな」

 こくこくと未世が頷けば、煌大はすっと手を伸ばして未世の頬を指でなでる。

「未世。今は一応身柄を預からせてもらってはいるが、お前は本来自由だ。これからはたくさん美味い物を食べて、たくさん美しいものを見て暮らすんだ。幸せになれ。いいな」

「……は、い」

 戸惑いながら答えると、くすりと煌大は笑う。

「まだ、何言われてんだかわかんない顔してんな。いいさ。これからおいおい知ればいい。それじゃあ、友江、彼女を頼んだぞ」

 友江が「はい」と答えて車を出すと、「じゃあ、またあとでな」と軽く手をあげた煌大の姿がどんどん遠ざかっていく。

 車はすぐに山澤家の門を出た。

 顔を上げれば、いまもまだ屋敷の燃える煙がもくもくと空に上っていた。

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