第四話 一条家の御殿

 車に揺られて連れていかれたのは駅だった。

 いや、最初はそれが何なのか、十歳から座敷牢に監禁されていた未世の乏しい知識ではさっぱりわからなかったのだが、友江に教えてもらってそれが『駅』というものだと知ったのだ。

 さらにそこに鉄でできた長い乗り物がいくつも置かれていた。

 それも、友江が『汽車』というのだと教えてくれた。

 未世には知らないことばかりだ。

 さらに驚いたことに、この『汽車』という乗り物は馬よりも車よりも早かった。

 もくもくと大量の煙を吐き出しながら、飛ぶような速さで進んで行く。

 友江と未世は向かいあわせの席に座った。客はまばらだった。

 窓を開けていると、めまぐるしく移り変わる外の景色が面白かった。しかし、山間まで汽車が進むと、トンネルの中で窓を開けていると汽車の煙突が吐き出す煤が流れ込んできて大変なことになるので窓を閉めておくように言われた。

 友江は口数は少ないものの、必要なことはちゃんと教えてくれる。話しかければ簡潔にではあるが、答えてくれる。そこには、山澤家の家人たちのような蔑みも、山澤家の使用人たちのような恐れも感じられなかった。

 途中で買ってくれた弁当を膝の上に広げて、未世は一つ一つ箸で口に入れる。

 どれも、びっくりするほど美味しかった。

 向かいの席で友江も黙って弁当を食べている。彼女は所作も静かでとても美しい。

 食べながら、未世はずっと胸に浮かんでいた疑問を口にした。

「あの……なんで、こんなによくしてくれるんですか?」

 友江は箸をとめて、ちらと未世を見たあと淡々とした口調で応えた。

「すべては煌大様のご指示だからです」

「煌大様の……」

 世間のことに疎い未世であっても、山澤家の屋敷でのことを見ていただけで煌大が彼らを率いる立場にあり、しかもかなり偉い人なのだということは想像がついた。

「あのお方は、あなたを世間の目から隠したいのでしょう。だからこうやって軍部からも離して、こっそりご自分の屋敷にあなたをお連れすることに決めたのだと思います。私たちは煌大様に使える部隊ですから、秘密が外に漏れることはありません」

「そうですか……」

 煌大はなぜそこまでして未世を自分の屋敷に連れて行こうとするのだろうか。

(あの人は、私が『くだん』であったことを知っていた……)

 彼は未世を初めて見たとき、未世のことを『噂にあった牛の頭をもつ娘』と呼んだのだ。

 未世のことを山澤家の人々が外部にどう言っていたのかは知らない。座敷牢に閉じ込めるくらいだから、おそらく隠していたのではないかと思う。

 しかし、山澤家には沢山の使用人が働いていた。その人たちが、未世の話を聞きつけてあることないこと外で話して、それが噂となっていたとしても不思議ではない。

 そうなると、煌大は未世の先読みの力のことを知っていた可能性も高い。

 未世は箸を持ったまま手をぎゅっと握る。

(あの人も、お父様やお姉さまと同じかもしれない。私の先読みの力がほしくて……)

 もしかしたらまた、どこかに閉じ込められるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、顔に出ていたのだろう。泣きそうな顔をしていたかもしれない。

 未世の様子を見かねた友江が、静かな声で宥めるように語り掛ける。

「あなたが心配するような何もありません。あの方はただ、あなたのことを考えてこうしただけのことでしょうから」

 それから会話らしい会話もないまま時は過ぎ、夜が更けてそのまま座席で眠り、朝が来ると汽車はとても大きな街に着いていた。

 駅を出ると迎えの車が来ており、それに友江とともに乗り込む。

 車は大通りを進むが、人の多さと建物の大きさに未世は驚きっぱなしだった。沢山の馬車や車が行き交い、歩道には洋装や和装の男女が歩いている。通りを縁どるのは赤レンガづくりの三階建てや四階建ての大きな建物だ。

「帝都に来たのは初めてですか」

 友江に聞かれて、未世はこくこくと頷く。十のときに養父母の住む小さな漁村から、山澤家の屋敷のある光部へ連れていかれたときも街の大きさにびっくりしたものだが、帝都の賑やかさと華やかさはその比ではなかった。

 車はやがて繁華街を抜けて、山手の閑静な一帯へと進んで行く。周りには、大きなお屋敷の白壁や立派な門が連なっていた。

 その一番奥のひと際立派な門の中へと車は吸い込まれていく。

 門をくぐると、道の両側に美しい竹林が続いていた。門の中に入ったのに、また外の道に出たのかと錯覚しそうなほどの景色だ。その道を車に乗ったまま進むと、突然視界が開ける。

 そこには、山澤家とは比べ物にならないほど大きく堂々とした屋敷が佇んでいた。

 表玄関の前に、十人ほどの使用人たちが頭を深く下げて車の到着を待っている。

 女性は着物姿に白エプロン、男性は三つ揃え姿の者が多い。

 車が止まると、若い男が丁寧な動作でドアを開けてくれた。

 友江が車から降りたのに続いて、未世もドアの外に出る。

 すすっと友江の前に進み出てきたのは、初老の男だった。こげ茶の三つ揃えが良く似合っており、白髪を後ろに撫でつけ左目には片眼鏡がはまっている。

 男は恭しくお辞儀したあと、さっそく話を切り出した。

「煌大様から電報はいただいております。到着時間を予想して、医師も呼んでおります」

 友江は頷いた。

「それは話が早くて助かります」

「そちらが、電報にあったお嬢様ですね」

 彼の視線が未世に向く。片眼鏡がキランと光った気がした。

 片眼鏡の人を見たのは初めてだったので、驚いて未世はつい友江の背に隠れてしまう。しかし、彼は柔和な笑顔を浮かべて歓迎の意を示した。

「家令の吾妻あずまと申します。長旅に諸々お疲れでしょうが、もうしばらくご辛抱ください」

「は、はい……」

 すぐに屋敷の中へと連れていかれたのだが、歩くとすぐにふらつくので体格のいい人夫に背負ってもらって廊下を移動することになった。ちょっと……というか、かなり恥ずかしい。

 人夫の背中に揺られながらも辺りを見渡した。屋敷はかなり歴史を感じさせる佇まいをしていたものの、手入れが行き届いているように見えた。

 柱や廊下は年代を感じさせる黒みを帯びているものの、日々磨きこまれることで重厚な艶を生み出している。部屋によっては洋室などもあるようで、和洋折衷が取り入れられているようだった。

 未世が案内されたのも洋室の応接室らしきところだった。そこで待っていた医師の診察をなされるがままに受ける。医師が出した診断結果は「栄養失調ぎみで発育不良と運動不足からくる筋肉の少なさもあるが、健康には問題がない。おいおいしっかり栄養を取れば正常な発育に戻るだろう」というものだった。

 診察が済むと未世は風呂に入れられ、女中たちに全身を洗われる。

 風呂上りには良い香りがする乳液を身体に塗られ、つるりとした肌触りの襦袢に着替えさせられると、次に連れていかれたのは和室だった。

 その部屋の真ん中で友江が待っていた。

 しかも彼女のまわりには何台もの衣桁いこうが置かれ、そのすべてに見目麗しい華やかな振袖が掛けられていた。

 水色地ものに、黄色、赤、黒地に桃色のものもある。

 そのどれにも華やかな花々や鞠、熨斗柄など縁起の良い柄が描かれていた。

 畳の上には、鮮やかな帯も何本も並でいる。

(友江さんのお着物かしら。すごい……)

 人夫におろしてもらったまま未世が和室の入り口でぼんやり見惚れていると、友江はパッと立ち上がって未世の手を引いた。そして着物が並ぶ真ん中に連れてきて、予想外のことを口にしたのだ。

「どれがいいですか? 未世さんにはどれも似合いそうだから迷うんですよね」

「……へ?」

 何を言われたのかすぐには理解できずにいる未世。

「だれに……似合いそう、ですか?」

「だから、未世さんです。どれでもお好きなのをお召しになってください。煌大様は未世さんのためなら屋敷のものを好きに使っていいとおっしゃってましたから。家令の吾妻さんにも確認してあります」

「え、でも……こんな素敵なお着物を、私なんかが……」

 口からこぼれた落ちた言葉を、友江は見逃さなかった。

 きりっとした眉をきゅっと寄せ、少し強い口調で断言した。

「この屋敷にいるからには、それ相応の格好をしていただきます」

「……はい」

 そう言われれば、抗うことなどできなかった。

 内心、本当に大丈夫? こんな素敵な着物に私なんかが袖を通したら穢れてしまうのでは……と心配になったが、口にしたら友江に怒られそうなので心の中にしまっておく。

 そんな未世の内心を他所に、友江が選んだ一着の振袖を着つけられた。

 薄桃色の地に、白や葡萄色の花柄があしらわれた上品で可愛らしい着物だった。

 金糸で刺繍が施された白地の帯に、銀色の組みひもを合わせる。

 着付けが終わると、

「さあ、お次は御髪おぐしも整えないと」

 友江は再び未世の手をとり、今度は部屋の隅に置かれていた化粧台のところへと連れていく。

「え、え? で、でもさっき脱衣所で拭いてもらって……」

 もうそれで充分なのでは?と未世は思うものの、その間にも友江に手際よくブラシで髪を梳かされていく。

「私はそんなに手先が器用ではありませんが、これくらいならできますから」

 未世の長い髪を丁寧に梳き上げると、上の方を少しとって後ろで一つに結び、それを小さな三つ編みにしていく。三つ編みの上のところに、ふわふわとした薄桃色の大きなリボンもつけてくれた。

 未世の顔にも薄く化粧をほどこすと、鏡に映る友江は満足げに頷いた。

「お綺麗ですよ。未世さん」

 鏡の中には、見たこともない可愛らしい少女が座っていた。

 未世がいままでずっと見てきた自分の姿は、牛の被り物を被った姿だ。

 何年も水桶の水面にうつる牛の顔をずっと見てきた。牛の顔が自分の顔だと錯覚するほどに。

 未世が指で自分の頬に触れると、鏡の中の可憐な少女も頬を触る。

「これが私……なんですね……」

「はい。未世さんです」

 視線をあげると、未世の後ろに立つ友江がわずかに視線を潤ませているように見えた。

「友江さん?」

 心配になって振り向くと、友江ははっとなって顔をそむける。すぐにこちらを向いて、

「なんでもありません」

 といつものキリッとした表情にもどったが、さっき顔をそむけたときにそっと目じりを拭ったようにも見えた。

 しかし、それ以上追及するのも悪い気がして、未世はそのまま見なかったことにする。


 その日から未世は煌大の屋敷で暮らすことになった。自らに与えられた個室も、食事のたびに通される大きな座卓のある部屋もどこもかしこも広くて、狭い座敷牢で長年過ごしてきた未世にとっては戸惑うことばかりだった。

 友江は屋敷に来た翌日には再び軍での任務に戻るために光部へもどってしまったたが、屋敷の人たちが未世に優しく接してくれたので、いつしか未世も屋敷の生活に馴染んでいった。

 そうしてこの屋敷で過ごして一週間が経った頃、ようやく煌大が屋敷へと戻ってきた。

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