第八話 九条家の陰謀


 目が覚めると、煌大は深い森の中にいた。

 上半身を起こして、まだぼんやりとする頭を軽く振る。

(なんで俺、こんなところにいるんだ……?)

 思い返してみても、高俊の別邸で月を眺めていたことしか思い出せない。

 多少酒は飲んだが、あの程度の量を飲んだところで酔っぱらう煌大ではない。

(そうだ。なぜか、耐えがたい眠気を覚えて……)

 目が覚めてみたら、うっそうと木々が多い茂る森の中にいたのだ。

「やっと起きたか。まぁ、そうじゃないとつまらないからな」

 声がした方へ弾かれたように顔を向けると、木々の合間から差し込む月光に照らされて見知った顔の男が立っていた。

 九条高俊だ。

 高俊は、うっすらと冷たい笑みを浮かべて煌大を見下ろしていた。

 その目にはいつもの親しげな様子はなく、かわりにいまは軽蔑したような色が浮かんでいた。

「……お前、俺に何か盛ったのか?」

 何かの間違いであってほしいと心の中で願いながら尋ねる煌大だったが、期待を裏切るように高俊はくつくつと楽しそうに笑った。

「睡眠薬だよ。お前はもうすこし他人を警戒することを覚えなきゃな。どんな状況であっても毒見をつけるようにしないとダメだろ。とはいえ、もう手遅れかもしれないけどな」

 その態度は、煌大の知っている従兄とはまるで別人のようだった。煌大の良く知る従兄と同じ姿かたちなのに、中に別人が乗り移ったような錯覚をおぼえる。しかし、これが奴の本性だったのだろうと思い直した。

 それにいままで気づかず、のこのこと一人で誘いにのってしまった自分のうかつさに腹が立つ。

「なぜ、こんなことをする」

 唸るように尋ねる煌大を、高俊はハッと嘲笑った。

「なぜ? なぜと問うか。こんな状況になってまで、おめでたいな。お前を亡き者にするために決まってるだろう。お前は私の別邸から帰る途中に、不幸にも強大で邪悪なあやかしどもに遭遇して命を落とすことになるんだよ。可哀そうになぁ」

「強大で邪悪な妖?」

 煌大はゆっくりと立ち上がる。薬の影響か、まだ少し足に力が入りにくいが問題はないだろう。

 高俊は、ジャケットの内側に手を入れると、二枚の紙を取り出した。

 陰陽術で使われる符とは違う、正方形の紙だ。

 そこには何やら円形の魔法陣らしきものが描かれていた。

「舶来品はいいな。便利なものが多い。これもそうだよ。西洋魔術というやつだ」

 高俊は手に持った紙を自身の左右に撒くと、何やら外国語のようなものブツブツと唱えはじめた。すると、地面に落ちた紙の魔法陣からむくむくと黒い煙のようなものが立ち昇りだす。

 煙は高俊の背よりも高く昇って柱のようにまとまると、その中から黒くて巨大な躯体が出現した。

 ヒグマのような大きな身体に、狼のような顔がついている化け物が二体、高俊の左右に現れたのだ。

 化け物は大きく息を吸い込むと、遠吠えのような不吉な雄たけびをあげる。

 煌大はすぐさま後ろに跳んで彼らから距離をとる。咄嗟に左腰を触るが、そこには外出時にいつもぶら下げている軍刀はなかった。気を失っている間に、高俊に取り上げられたのだろう。

「ちっ」

 舌打ちをする。これでは、戦う術がない。煌大も術を使うが、煌大の術は身体強化に特化している。術そのもので攻撃することはできないのだ。

 二体の化け物を従えて、高俊は楽しくてたまらないと言った様子で語りだした。

「こいつらはワーウルフというんだ。可愛いだろう? 月の光を受けて、力を増すそうだよ。もうすぐ、皇帝は亡くなる。そうなれば次の後継者争いが始まるのは間違いない。だから、私は為光ためみつ様の側につくことに決めたんだ。為光さまの即位には、お前の存在が邪魔になるからな。邪魔なお前を始末したとなれば、為光派の中で私の地位は約束されたようなものだ」

 四条為光。煌大の腹違いの兄であり、皇帝の長男だ。

 華族や高級官僚の間で、為光の側につくか、煌大の側につくか、というゆるやかな派閥のようなものの兆しがあることは煌大自身も気づいてはいた。しかし、皇帝はまだ五十代。引退には程遠く、いずれは皇帝自ら後継者を指名するだろうと考えて、煌大はあまり大事おおごとには捉えていなかった。

 しかし高俊の口ぶりからすると、皇帝の失脚か暗殺すら企んでいるようにうかがえる。

 ワーウルフどもは歯茎をまくって、グルルルルと不気味な唸り声をあげていた。黄色く濁った瞳を爛々とさせて獲物を見る目で煌大を睨む。鋭く大きな犬歯の生えた口からは、よだれがぼたぼたと落ちて地面に染みをつくっていた。

「お前、正気か……?」

 会話を続けながら、煌大はズボンのポケットをまさぐる。幸い、その中のものまでは没収されなかったようだ。凶器の類ではないから見逃されたのだろう。それは、いざというときのために常にポケットに入れておいたものだった。

「煌大。知っていたか? 私はお前が大っ嫌いなんだよ。何をさせても優秀で、簡単に私を超えていくお前が憎くてたまらなかった」

「そうか。俺は別にお前と競う意識は微塵もなかったがな。お前のそんな感情に気づいたこともなかった……」

 その言葉が、高俊のプライドをえぐったようだった。彼は、ぎっと顔を歪めると忌々しそうに叫んだ。

「お前のそういう優等生ぶったところが、一番嫌いなんだよ! ワーウルフども、奴を八つ裂きにしてしまえ!」

 高俊が叫ぶとともに右手を横にふると、二体のワーウルフたちが待ちかねた様子で飛び掛かってきた。

 そいつらの顔に向かって、煌大はズボンのポケットに入れていたものを力いっぱい投げつける。

 キャウンと悲鳴をあげて、ワーウルフどもがひるむのがわかった。

 投げつけたのはコショウだ。ほんのわずかな時間稼ぎにしかならないだろうが、それでもよかった。煌大はワーウルフどもがコショウを振り落とそうと首を激しく振っている隙に、全速力で逃げ出す。

 後ろからは、高俊の高笑いが聞こえた。

「アハハハハ。さすがのお前も武器がなければその程度しかできないか。いいざまだな。そいつらは鼻が利く。逃げきれるはずがないだろう」

 煌大は森の中を走る。走りながら、自らの両足に術をかけた。

 これで常人よりははるかに速く走れるだろう。

 だが、あんな化け物どもから逃げ切れるだろうか。

(絶望的だよな……)

 相手は外見からして犬のような嗅覚と、熊のような機動力をもっているのだろう。体力だって人間を遥かに超えているにちがいない。

 敵わないのは明らかだった。

 でも、敵わないとわかっていても、逃げないわけにはいかなかった。

(帰ると、約束したからな)

 夕方、自宅を出るときに見送りに来てくれた未世の顔が脳裏に浮かぶ。

 つい数時間前の光景なのに、酷く懐かしく想えた。

 彼女の元に帰りたい。その一心で、煌大は逃げ続ける。

 しかし、ワーウルフたちとの距離は徐々に縮まり、一体があり得ない跳躍力で煌大の背中に飛び掛かってきた。

 気配を感じてとっさに横に転がり、ぎりぎりのところで避ける。

 すぐさま立ち上がろうとしたが、転がったときに変にひねったのだろう。足首に激痛が走った。

「っつ……!」

 痛みが動きを鈍らせる。隙をついて、ワーウルフ二体が仁王立ちになり一斉に襲ってきた。奴らの牙と爪が迫ってくる。

(やられる……!)

 そう覚悟したときだった。

 バンバンバンと銃声が複数、森に響き渡った。

 続いて、

 グオォォォォォォォォ

 唸るような悲鳴とともに、ワーウルフがのたうち回り始めた。

 何が起こったのかわからないままに、再び銃声が何発も鳴り響き、ついにワーウルフは力尽きて地面に倒れこむ。

 驚いて目を見開く煌大の背後の茂みから現れたのは、拳銃を構えた二人の部下だった。

 女性の友江と、金髪青目の頼素ランスだ。

「なぜ、お前たちが……」

 戸惑う煌大に、友江が口早に告げる。

「未世様の先読みのおかげで、間に合いました。未世様の話から、煌大様に危害を加えようとしているのが西洋の化け物の類だと判断しましたので、軍倉庫から魑魅魍魎討伐用の銀弾を持ち出させていただきました。報告書なら後で書きます」

「未世、が……?」

 ワーウルフの傍に跪いてその死を確認していた頼素が、顔をくしゃくしゃにしていまにも泣きそうな顔で続ける。

「未世様の案内があったからここにたどり着けたんですよ。本当に、未世様のおかげです。若、良かったぁ……ほんとに、よかった……」

「ま、まて。未世の案内って……彼女も近くにいるのか?」

 思わず煌大は、頼素の肩を掴んで強く揺すった。

「わ、わわ、は、はい。近くまで車で来たんで、その中でお待ちです」

こんな暗い森の中で一人で待っているだなんて。

「すぐに、彼女の元に連れて行ってくれ」

 煌大はいてもたってもいられなかった。


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