第6話 上司と一緒だと気を遣います!
家の前に止められた黒いBMWの運転席には、サングラスを掛けたリカルドが座っていました。
「遅かったな……日光の下で吸血鬼を待たせるとか正気か?」
「すみません! ……ってあれ? リカルドさんもアーヴァインさんも、平気なんですか?」
「下位の吸血鬼ならともかく、私もリカルドも日光で滅ぶほど弱くはないよ」
「様をつけろ人間。にんにくも食べられるし十字架も触れるぞ……十字架は反吐が出るほど嫌いだが」
「は、はいっ! すみません!」
「はは、気にしなくていい。好きなように呼んでくれたら嬉しい」
後部座席に乗り込んだ二人がシートベルトを締めたところで車が動き出しました。
「マナは私の城がどこにあるか知ってる?」
「えっと……ごめんなさい」
「怒ってないよ。昨日もリカルドが魔術で呼び出したみたいだし」
アーヴァインの説明によると、吸血鬼の国は地図では偽装されているとのことでした。
世界地図で示すならばスウェーデンやフィンランドのさらに北、海を渡った先にあるスヴァールバル諸島という場所です。
アーヴァインはそこを治める国王で、リカルドは宰相でした。
当然ながら自動車でたどり着ける場所ではありませんが、世界中にある”拠点”に移動してから魔術で城まで飛ぶ予定でした。
「名目上はノルウェー領になってはいるが、人間と密約を結んでいてね」
紀元前の昔からいがみ合っていた吸血鬼と人間ですが、近代に入った頃に停戦協定を結んだのです。
領地の外に出て人間を襲ったりしない代わりに、領地内のことには口を出さないという契約です。
「えっと、血液はどうしてるんですか?」
「吸血鬼を信奉する人間が世界中に一定数いるんだ。献血を募って輸送することもあるし、スヴァールバルの国民から貰ったりもする」
「信奉」
「いつの時代も不老不死には魅力があるらしいな。著名人や権力者が多い」
そう言った者たちの寄付金が積み重なり、国民は労働を必要としないレベルで豊かになっていた。
とはいえ基本的に不老不死の吸血鬼は時間を持て余している。研究方面や芸術方面に注力する者も多く、寄付金無しでも相当に豊かだとのことでした。
「リカルドも戯曲づくりは得意だもんな」
「やめてくれアーヴァイン。あれは俺の黒歴史だぞ」
「そんなことはない。ハムレットもリア王も私は好きだよ」
「……え?」
「リカルドのペンネームはシェイクスピアなんだ。正確にはペンネームの一つ、だけどね」
まさかのビッグネームが出てきたことに目を丸くしたマナですが、アーヴァインにペンネームをバラされたリカルドは運転しながらも反撃を試みます。
「いやぁ意外です。『愛の歌』や『恋の技法』を書いたオヴィディウス先生はてっきり恋愛モノが好きなのかと。おっと、恋愛マスターすぎて他者の書いた恋愛は児戯に見えてしまうんですかね」
「ぐっ……! あ、あれは確かに調子に乗っていたが……それを言うならば――」
「画家としての話をするならアーヴァインだって――」
騒がしく、しかしどこか楽しげに言い合いを始める二人を前に、マナは置いてけぼり状態でした。
(ベラスケス……? ワーグナー、イヴァン4世? 別名が多すぎて分からない……!)
吸血鬼であることを隠すために使った偽名が三桁に届いてしまいそうな二人の会話に目を回してしまいそうでした。私立の小学校でバリバリ勉強している梨々花であれば別の意味で目を回すほどのビッグネームばかりです。
「ふむ。マナはダヴィンチとポッティチェリ、どちらが気取っていると思う?」
「ダッ……えっ?」
「レオナルド・ダ・ヴィンチとサンドロ・ポッティチェリだ」
ダヴィンチはともかく、ポッティチェリは名前程度しか知らず、何をした人なのかすら曖昧でした。知識よりも技術を中心に学んでいたマナにはやや難しすぎる質問です。
「あ、あはは……」
「今度見に行こうか」
にっこりと笑う雇い主様に逆らうわけにもいかず、どうしたものかとマナが困っていると、黒のBMWは目的地に着きました。
わりと有名な企業の看板が掲げられたビルの地下駐車場です。
柱があるほかはがらんとしている駐車場の奥に駐車すると、倉庫だか守衛室だか、すぐ近くにある金属製の扉へと向かいました。
「城勤めの新人は40年ぶりだ。イレーヌがずいぶん張り切っていたぞ」
「はいっ。精一杯頑張らせてもらいます!」
「ふん。一応、城の連中には通達を出しておいたが気を付けろ。稀血はなかなか手に入らないから狙われやすい」
「まれち、ですか」
きょとんとしたマナを、アーヴァインが背後から抱きしめました。
「ひゃぁっ!?」
「特別にいい香りと味がする血液のことだ。私の匂いがついていれば多少は牽制になるだろうか、少しだけ我慢してね?」
「ふぁ、ふぁい……!」
「アーヴァイン。【
「おっと、ごめんね」
「大丈夫ですけど、えーと……?」
お父さん以外の男性に抱きしめてもらった経験のないマナはどうにも落ち着かない様子ですが、吸血鬼って不思議な風習がたくさんあるんだ、と自分に言い聞かせていました。
心の中の
「あまり気負わなくていい。出来る限り私が近くにいる予定だから」
「はい……!」
指導役や先輩ならともかく、雇用主がずっと近くで見ていると言われて安心できる人間がいるでしょうか。
マナはやや引きつった笑みで返事をするのが精一杯でした。
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