第3話 け、契約内容を確認します!

 睡眠不足と疲れ、そして度重なる不採用で判断力が鈍ったマナは、吸血鬼と契約をしてしまいました。


 はっきりと意識が覚醒して思い返してみれば、普通の契約ではありえないような文言が飛び交っていたような気もした。


 慌てて辞退しようとするマナだが、首元にピリリと痛みを感じました。


「……? 何か契約を破ろうとしたか?」

「なななななな何がですかー? なーにもしてないですよーう!」

「ふむ。まぁどちらでもいいか。先ほど魔術契約を結んだから、破ろうとすれば首が飛ぶぞ」


 当たり前ですが、マナは首が飛んだらくっつかないので大惨事になります。

 思わず首元を押さえてしまうマナでしたが、リカルドはあまり興味がないのか、無視して説明を続けました。


「お前にやってもらうのは掃除が中心だな。今から侍女長と陛下に挨拶に行くぞ」

「えっ、あの、そのっ」

「何だ。文句があるのか?」


 刃物のような鋭い視線を向けられてたじろぐマナは質問できなくなってしまいました。猫のように首根っこを掴まれ、ぶらぶら揺られて石造りの建物内を移動します。


 リカルドは身長こそ高いものの細身でしたが、吸血鬼だからか片手でマナを摘まみ上げ、苦も無く歩いていました。


「……ふむ。先に陛下でも良いか」


 つかつかと廊下を進んだリカルドが方向転換し、何やら豪華な装飾の扉を開けました。


 赤いじゅうたんに見るからに高そうな調度品が飾られた部屋。

 中央の奥にはカウチソファと見間違えてしまいそうな大きな玉座がありました。玉座に座っている男性を見て、思わずマナは固まってしまいました。


 無造作に束ねられた夜闇のような漆黒の髪。

 青みがかった月光のような瞳。

 なぜだか目が離せなくなってしまったマナは、息をすることすら忘れて男性を見つめていました。


「よう、アーヴァイン。差し入れを持ってきたぞ」

「私は人間は要らないと——……」


 アーヴァイン、と呼ばれた男性がマナに視線を向け、そして同じように固まりました。


「生きのいい稀血だ。人間の世界ではオドリグイなるものがあるらしい。食欲がそそられたら好きに――……アーヴァイン?」


 リカルドが怪訝な表情でアーヴァインとマナを見比べました。


「そうか……人間は、そういう種族だったな……」


 ぽつり、呟いたアーヴァインは月光の瞳から、夜露のような涙を一滴ひとしずく流していました。

 生まれて初めて大人の男の人が涙を流しているのを見て、マナは衝撃とともに我に返りました。

 自分を見て涙を流すアーヴァインに戸惑いながらも、なんとかしなきゃ、という気持ちが沸き上がったマナは、リカルドに摘ままれたまま思わず手を伸ばしました。


「えっと……アーヴァイン、さん……?」

「あ、ああ……済まない。えーと、君は?」

「日向マナって言います。ここで働かせてもらうことになりました!」

「オドリグイ用の生餌いきえ兼侍女だ」

「なるほど……? 侍女ならば私の専任にしてもらおうかな」

「待て。人間の……それも新人を専任だと!? お前、一応は国王だぞ!?」

「うん。だから好き勝手できるんだろう?」

「いや、それはそうだが」


 困った顔のリカルドがマナを下ろしたのと同時、アーヴァインの身体が一瞬にして霧に変わりました。

 次の瞬間には再び玉座へと戻っていましたが、その膝の上にはマナが座らされていました。

 いつ移動したのかも理解できないマナは目を白黒させていましたが、当のアーヴァインは子供のように無邪気な笑みを浮かべていました。


「マナ、と言ったね。ここで働いてくれるなんて嬉しいよ。歓迎する」

「えっと、その」

「リカルドのことだ。人間相手だからとろくに説明もなかったんだろう?」

「あ、はい」

「とりあえずは契約を詰めることから始めよう。安心して良いよ。これでも2000年ほど王様やってるし、契約や事務作業は得意だから」

「は、はい……?」


 あれよあれよという間に雇用契約を詰められてしまいます。


「通貨は円だね。年収が450万になるように調整しよう。たしかあの国は平均年収がそのくらいだ」

「とりあえず日本なら五勤二休か。八時間勤務……八時間しか一緒にいられないのか」

「通勤時間がもったいないね。家まで迎えに行くし、送るよ。何かあったら心配だし」


 膝の上に乗せられたマナはまな板の鯉――もとい、借りてきた猫よろしくほとんど何も言う間もなく決まってしまいました。

 アーヴァインが話した通りに決まるならば願ってもない条件です。


「さて、次はドレスか。夜会向けのイブニングドレスも必要だが、あまり露出してほしくない。ローブモンタントなんてどうだろうか」


 にっこり微笑まれ、何も言えなくなってしまったマナが流されそうになった時です。


「陛下。何をなさっておいでですか」


 年齢を重ねた、落ち着きのある女性の声が響きました。



 

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