鹿島くん救済編

ありえたかもしれない 深夜にようこそ

「ありがとうございました」

 書籍コーナーでの立ち読みをやめ店を出ていく客の背にお決まりの言葉を投げかける伊崎芽衣いさきめい

 せめて何か買って行ってくれればと思うが、顔にも口にも出さない。それは店側の都合にしか過ぎないから。

 溜息を吐きそうになるが慌てて留め、何事もなかったように姿勢を正す。

 そんな伊崎の行動に笑いをかみ殺しながら、同僚の鹿島愛音かしままなとが声をかける。

「そんじゃ、客も捌けたし検品やっちゃおーか?」 

 一連の動きを見られていたことへの羞恥を堪えながら、平静を取り繕って応じる伊崎である。

 そんな伊崎の態度に抑えた笑いがこみ上げてくる鹿島だった。

 零時を回った客のいないコンビニ。音量を絞った店内音楽に紛れて端末での読み取り音が響く。

「伊崎ちゃんさ~」

 十数分の沈黙ののち、手際よく検品を済ませながら声をかけてくる鹿島。

「……なんですか?」

 黙々と手を動かしながら伊崎はぶっきらぼうに答えるが、

「すっげぇ今更だと思うけど、もっと言いたいことは口に出した方がいいよ~」

 しれっと放たれた鹿島の言葉に、伊崎の動きが止まる。

「伊崎ちゃんさぁ、溜めこんじゃうでしょ? 適度に吐き出しとかなきゃいつかパンクしちゃうよ~」

 商品棚ひとつ挟んだ向こうから投げかけられてくる言葉に凍り付く伊崎。

「……俺さ~ことりちゃんのことでいっぱいいっぱいになっちゃったことあったでしょ? あれでわかったんよ、溜めこみ過ぎたらろくなことになんないな~って」

 生活の大半をつぎ込んでいた地下アイドル・愛須あいすことりの醜聞と引退に、鹿島が心ここにあらずな状態になっていたのは半年近くも前のことだ。

「恥ずかしいから言ってなかったけどさ、噂が立ったときことりちゃんが勤めていた店、俺見つけてて。客になって行く気でいたんだよね~」

 鹿島突然の告白に、伊崎は耳を傾ける。

「高級店だから予約とるだけですげぇ金かかるんで、店長に頼んで時間延ばしたり代打させてもらったりしてたんだ~」

 そんな鹿島の言葉に当時のことを思い出す伊崎。同じ六時あがりだったのがいつの間にか八時までになっていたのはそういうことだったのかと今更気がつく。 

「……客としてことりちゃんに会って、無茶苦茶にしてやろうって思ってたんだ。俺の掛けてきた時間返せって」

 言葉なく聞き入る伊崎。

「よく考えなくてもただの八つ当たりだよね~。……でもあんときの俺はそれしか頭になくってさ~」

 苦笑気味に言う鹿島であったが、その言葉は重い。

「……行かなかったんですか?」

 風俗店で騒ぎを起こしていたら間違いなく警察沙汰となり、鹿島は犯罪者として捕まっていただろう。そうなっていないことを踏まえて恐る恐る伊崎が尋ねる。

「ん~、ことりちゃんバレたとき、もう辞めちゃってたんだよね。ちょっと考えりゃわかりそうなこともあの頃の俺は気がつきもしてなかったんよ」

 バカだよね~と笑いながら鹿島。

「やっと金が貯まって店に予約の電話したとき、とっくに辞めてるって言われて……そりゃそうだよね、あんだけ騒ぎになってまだ働いてたりするわきゃないっしょ。引退してけっこう経ってたしねぇ」

 辛い思い出のはずなのに鹿島の声に暗さはない。

「登ろうとしてた梯子外された感じでさ、もう頭の中ぐちゃぐちゃになって。いろいろ考えて悩んで……いっぱいいっぱいになって爆発したら」

「……したら?」

 鹿島の言葉尻にかぶせるように伊崎が問うと、

「もうどうでもよくなった」

 ワッハッハッとあっけらかんと告げる鹿島。

「裏切られた~って思ったけどさ、ことりちゃんにはことりちゃんで、そうしないといけない理由があったんだろうし」

「――許せるんですか?」

「ん~、そういう気持ちがないなんて言えないけどぉ、それまでに見せてくれてた夢まで間違いにはしたくないじゃない?」

 伊崎の硬い声音での問いかけにおおらかに答える鹿島。

「ことりちゃんを追っかけてた頃は本当に楽しくて毎日が充実してた。それをなかったことにしたくないかなって、ね」

 商品棚の向こうから聞こえてくる鹿島の声には少しの曇りもなかった。

「だからさ~伊崎ちゃんももう少し発散した方がいいと思うよ~」

 躓いてもがいて、そこから立ち直った鹿島の経験からの言葉は、未だ迷ってばかりの伊崎には刺さる。

「とりあえずさ~、もっと自分のこと話そ~よ。俺一年近く一緒してるけど、伊崎ちゃんのことあんまり知らないし~」

 好きなものとか知らないと遊びにも誘いにくいじゃん? 聞こえよがしに付け加えてくる言葉から伝わる鹿島の優しさに、伊崎は涙を堪えるのに必死だった。

「あ~酸っぱいのや辛い物はあんまり好きじゃなかったよね~。甘辛なのはいけるんだっけ? 昆布のおにぎり、廃棄があったら絶対もらってたしぃ」

 明かしていないプライベート。なのに日々のちょっとしたところから見つけてくれていた。

 関心なんか持たれてはいない、ただの同僚で一緒に仕事をするだけの仲。ずっとそう思っていた。

 ――なのに見てくれていた、自分なんかを知ろうとしてくれていた。

 振り返れば、風俗事務所前で思い詰めていたところに声かけてくれたくろーも、顔を合わせた時からなにかと気にかけてくれた桃井先生も、深夜帯は大変だからと何度も日勤を進めてくれた店長も……。

 見ようとしていなかった、知ろうとしていなかったのは自分だけで、周りはずっと気にかけていてくれていたのだ、と伊崎は今になってやっと理解できた。

「……伊崎ちゃ~ん? あれぇ、もしかして気ぃ悪くした~? だったらゴメンね~」

 伊崎が口に手を当て嗚咽を抑えているとは知らず、申し訳なさげに鹿島。

「でもさ~、やっぱり言いたいことは言っちゃった方がいいよ~。余計なお世話ならそう言っちゃっ」

「あ゛り゛か゛と゛う゛、ございま、す」

 鹿島が言い終わらぬうちに伊崎が震える声で伝えたのは感謝の言葉。

 ――ありがとう、私を見ていてくれて、知ろうとしてくれて。もっともっと言葉にして伝えたい、けど声にならなくて――

「う、わっ、伊崎ちゃん、泣いてんの? 俺泣かせちゃった? ゴメンねゴメンね~」

 様子が気になり商品棚を廻って来た鹿島が目にしたのは、大粒の涙をこぼしながら嗚咽を堪えている伊崎の姿。

 自分のせいだと鹿島は伊崎に平謝りして泣き止まさせようとあれやこれ。

 鹿島の頭の中で "泣~かせた泣かせた" と空想の小学生男子たちが囃し立てる。あわあわしているところに響くドアチャイム。

「こんばんはー警察です。なにか変わったこととか……」

 立ち寄った深夜警邏の警察官の目に入ったのは、座り込んで泣いている女店員と傍に立つ男店員。

「――ちょっとお話聞かせてもらえますか?」

 お仕事モードの警官が鹿島に詰め寄ってくる。

「えっ、えっ? ぅえぇ~っ」

 泣いている同僚をなだめようとしてたら、突然やって来た警察に詰め寄られて鹿島くんパニック。

 

 周囲の騒ぎをよそに、泣きながら伊崎は感じていた、自分はけして独りではない、と。


  ――鹿島くん救済編・おしまい――

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