第4話 深夜にようこそ

「ありがとうございましたー」

 会計を済ませたふたり連れの客が、軽やかなチャイムに送られてドアを潜り車に乗って去っていく。

 雑居ビル街のコンビニ、深夜零時過ぎ。客はいなくなった。

伊崎いさきちゃん見た? さっきのカップル買ってたよ、これから励むのかな~」

 隣に立つ鹿島愛音かしままなとが避妊具を買って行ったことに下世話な反応する。

 基本的に客が何を買おうが店員が気にすることはない。のだが今の鹿島はわざと話題にしてはしゃいでいた。

 構ってほしいというサイン。同僚の伊崎芽衣いさきめいはそう判断し、

「鹿島さん、ダメですよ。そういうの」

 店員の心得を持ち出して先輩バイトをたしなめるが、なんとなく今夜の鹿島はいつもと少し違うと感じていた。

「伊崎ちゃんはあーゆーことに興味ないの?」

 普段ならいさめられればあっさりと退く鹿島なのに、嫌なしつこさが。

 一緒に仕事をしてそれなりになるが、鹿島は伊崎を女の子扱いはすれど女として見てきたことはなかった。

 だけど今夜の鹿島はおかしい。伊崎を見る目に情欲の色が浮かんでいる。

「私、検品してきますね」

 この場を離れた方がいい、そう判断してレジから抜けようとする伊崎だったが、

「――っ」

 鹿島が手首の当たりを強くつかみ、その場に押しとどめようとしてきた。

 伊崎を見る目は充血、顔は紅潮し息が荒い。掴まれた手首にじっとりとした熱を感じる。

「――鹿島さん、カメラ、撮ってますよ?」

 刺激せぬよう落ち着いた声音で諭すように言う伊崎。 

 事件事故防止のためコンビニ店内は営業時間中多方向からカメラで撮られている。深夜帯ならばなおさら、レジ回りは特にしっかりと。

 だが今の鹿島にはそんなことは関係ないのだろう。手首を握る手に力がますますこもる。

「い、イサキ、ちゃん」

 なぜか片言でにじり寄ってくる鹿島。

 伊崎は逃げなければと頭で強く思うものの、その命令は身体には伝わらず、逆にこわばりが増しその場に留まってしまう。

「いーさーきちゃあん」

 ハッキリとした情欲を示しながらにじり寄る鹿島。身動きできず、ズルズルと腰を落としかける伊崎。

 好みではない、けど嫌いではない。

 もし、ちゃんとした手順で求められたら応えていたかもしれない。けど違う、こんなのは違う。こんなのは嫌だ。

 伊崎の中で何かが弾けた。

「いやーっ!」

 声を上げるや伊崎は鹿島を突き飛ばし、レジを抜けドアへと向かう。振りほどかれた鹿島が後を追ってくる気配。

 いつもスッと開く自動ドアがやけに遅く感じる、中途半端に開いたドアの隙間から身体を潜らせ外へ飛び出す伊崎。

 真っ暗な夜の街へと走り出す。後ろから追ってくる気配が無くならない、近づいて来る。

 コンクリートの段差に躓き足がもつれる、

「あっ」

 激しく転び手のひらや肌の出てるところに擦れた痛みが走る。

「いーさーきちゃあん」

 すぐ後ろで今は聞きたくない声が。這う、這って逃げようとする、が。

「つーかまえた」

 常軌を逸した鹿島の声がし、組みつかれた。

「い――や――っ」

 自分でも驚くほどの声が上がる。その瞬間、

「どうしました? ――!」

 自転車の急ブレーキの音が響き、間を置かずにハンドライトの光が向けられる。光の主は警邏中の制服警官。

 事態を察した警官は慌ててふたりの間に割って入り、伊崎から鹿島を引きはがすとあっという間に組み伏せてしまった。

「こちら佐野さの、突っ込みの現行犯確保っ、応援お願いします。場所は……」

 佐野という警官が鹿島を抑え込んだまま肩口にある通信機で応援を呼ぶ。鹿島の抵抗は弱まり大人しくなる。

 抑え込まれ動けなくなった鹿島を見、助かったのだと伊崎は安堵した。


「ありがとうございました」

 あれからいくばくかの日々が過ぎた。伊崎は今もあのコンビニの深夜帯で働いている。隣に立つ同僚は代わったが。

 鹿島は婦女暴行未遂の現行犯で捕まった。

 後日捜索された鹿島の自宅から違法性の強い刃渡り十センチを超すサバイバルナイフが発見され、同時にズタズタに切り刻まれた愛須あいすことりのグッズ類も。

 壁に貼った等身大ポスターの顔・胸・股間は特にひどく切りつけられていたそうだ。

 事件は愛須ことりの引退とその原因に精神を病んだ鹿島が衝動的に起こしたものとしてまとめられた。

 鹿島はが憎かったのだろうか? 女の女たる芯が?

 本当のところは鹿島本人にしかわからないだろう。

 あの明るい鹿島をそこまで思いつめる人の想いというものの重さ深さを伊崎は怖いと思う。

 実害というほどのものは転んだ際の擦り傷程度だったが、男というものに対しての恐怖が心に刻まれた。

 しばらくの間男性が傍に寄るのもダメだった。それが親しい者であっても。

 事件を知った隣人・桃井花ももいはなの献身的なカウンセリングなどもあり、なんとか日常生活を営めるまでに回復はできた。

 刻まれた恐怖は完全に拭えてはいない。暗闇で人の気配を感じて脅えることも。

 それでも前を向いていくしかない。幸いなことに手を差し伸べてくれる人たちがいる。

 桃井先生をはじめとしたアパートの住人。くろーとその関係者たち。佐野巡査はあの件以来、店を警邏のルートにいれよく立ち寄るように。

 辛い出来事だったが自分はひとりではないことを実感できた。

 それが伊崎には嬉しかった。



   ――完――

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