第5話 終わり 夢幻
(5)
…そう、
そうさ、
いつも何か足りないものを感じていたんだ。
それが『何か』
やっとわかった気がする。
それは魂半分、何かが抜け落ちたよう魂の脱落。
でも、やっとわかったんだ。
その意味が。
そして、自分が失った魂半分をこの世界に残すこと
正しく『死』を忌避した『入定』なのだ。
いつか再び
そして僕は
いや、
私は遂にそれを取り戻す時が来たんだ。
そうとも、
私が獄の番人『閻魔』と成したことには意味がある。
それは魂半分を
黄金色の空海の首は天に向かって広がる孔雀明王の
全てが終わるまでほんの数刻だったに違いない。それは次のメトロが駅のホームに来る迄の時間でしかなかった。
「首がっ!!」
閻魔が叫んだ。その声と同時に巨大な大蛇から放たれる
「なんてことだ、魂に溜め込んだ
すかさず小角が跳躍した。彼が手にした杖は大きく伸びて棒になり、一気に閻魔の頭上に振り下ろされた。
「滅せよ!!閻魔、呪力の消えたお前なんぞ、既に我が敵でなし!!」
だが閻魔も目を剥いて小角に向かって叫ぶ。
「
「行かせん!!」
声が放たれ振り下ろされた棒が閻魔の髪に触れるかどうかの刹那、突如、閻魔は巨大な影になって、地面に溶けた。
小角の棒は激しく閻魔の居た場所の地面を叩いた。
叩いた衝撃が空間を揺らし、そのその揺らぐ力の波動が閻魔を追ったが、蛇の様に素早く動く閻魔の影が、瞬時に波動の届かぬところに逃げ込み、やがて音も無く消えてしまった。
静寂が訪れて、やがて再びホームに乗客が降りて来る。その降りて来る客と棒立ちの自分が激しくぶつかり、数歩よろめいた。
そのよろめく自分に声を掛ける人がいる。
「大丈夫ですか、阿刀さん。いや…アトムでしたかね?よく探してくれました。そう、あなた自身の『首』をね」
その声に私は振り返る。
そこにはメトロの制服と帽子を被った御厨さんが立っていた。
にこやかに微笑して。
僕はふらつく頭の中で意識を振り絞る。
(…一体、是は。私は…)
「そういうことなんですよ。空海」
私は顔を上げた。
「えっ?」
御厨さんを凝視する。
彼は私に微笑んでいる。
「つまり、貴方は――空海の魂が注がれた『肉体の器』なんですよ」
――肉体の器、…
(私が…?)
微笑している口が開く。
「遥かな嵯峨の御代から千年近く、盗まれたままの貴方自身の魂…、いや、正確には『
御厨は淡々と話している。それはお伽噺とかではなく、真に
私は尋ねないではいられなかった。
「では、…御厨さん、あなたは一体、誰なんです?先程はあの燕、…閻魔に
彼はそこで首を軽く振った。
「それは
その瞬間、彼の顔に無数の線が浮かんだ。それはまるで知恵深い狒々のような凶暴な貌だった。
だがそれは瞬時に消えて、元のメトロの社員――つまり自分が良く知る現代を生きる日本人の顔になった。
私は心の深い所で嵌め息をついた。
それは長年の蟠りのようなことに対する溜息のように。
御厨さんが言う。
「千年ですかね、空海。その間、貴方の魂は長い間、片目を開け半分は眠りながらもこの世を見続けた。いかがでしたか?見続けた人間というものは」
私は身震いした。
――彼の言葉に。
彼は続ける。
「貴方は願ったのでしょう?『死』の目前、再び現世に現れて何かを成すのを。まさにそれこそがあなたの――入定の望みだった。違いますか?」
御厨が帽子を目深く被る。
「やがてこの現代に生きる魂が遂に半分の魂を求めた。それは、貴方が再びこの現世に現れる必要が生じたことを感じたからだ。先程の身震いは人間を慈しんだ貴方自身が千年見続けた人間に対する魂の震えだ。そこに貴方が転生してまでも欲した自らの『答え』がある。だからこそ、その波動が私を呼び、そして閻魔を呼んだ。…でしょう?」
そこで私は下を向き沈黙する。
メトロがホームを出て行こうと動き出す。 加速していくメトロが風を攫ってゆく。錆びを含んだ現世の風を。
「…私は」
言ってから風の中で彼を振り返る。
だが、そこに…、
御厨の姿は無かった。
唯、広々としたホームが見えただけだった。
(……!?)
私は呆然と立っている。
やがて次のメトロがやって来るアナウンスが流れた。
だがそのアナウンスは到着するメトロの案内から突如切り替わり、私自身に向けられた彼のアナウンスに変わった。
――空海、貴方の『答え』は私の
それは君が成すべきことであろう?
私は唯、君を護るだけだ。
では、また危難が来れば再び会おう。私は仏聖の守護として貴方を護らなければならないのだから。
彼の声は消えて、今度はメトロの到着を知らせる声が響いた。
(これは…夢か、幻か?)
自分は確かにそこに居た彼に言おうとして振り返ったのだ。
…それは
――私は、
この現世に何かを成せるでしょうか?
だが彼の姿は無かった。
虚空の世界がまるで胎蔵界の曼荼羅の様に広がってゆく。
(何だというのだ)
私は首を左右に強く振る。
そう、いつまでもここに居るわけにはいかない。現代に生きる自分には帰るべき家がある。勿論、場末の酒場も自分の戻る場所と言える。
そう思って足を踏み出した時、メトロが滑りこんで来て人工の風を運んできた。
その風の中に私は自分を見つめる存在を感じた。
感じると私は背を向けて階段を上がる。
地上へと繋がる階段を、
自ら出した『答え』の為に。
――『空海の首』
(完)
空海の首 日南田 ウヲ @hinatauwo
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