第37話 嗜虐のアリア

 四人の聖女はマザー聖堂に戻っていた。

 

 帰り道は誰も何も言わなかった。

 けれど人目につく危険がなくなったとたん、プランとロズが不満を爆発させた。

 

「聖女アリア……どうして、あのようなことを……っ」

「まったくです! 信じられませんのよ!」

 

 二人が憤る理由。

 それは、

 

『わたしは……っ、わたしはこれからも信者さんを叱るのです!』

 

 広場で出した、アリアの結論に他ならない。

 

 プランとロズにしてみれば驚いたという呑気な表現ではすまされないだろう。

 アリアの導きをなんとかしようとわざわざ他の国からやって来て、慣れない土地で尽力していたのだ。その労力と時間を無にされては、いくら温厚が是とされる聖女でも怒って当然だ。

 

「お二人とも、どうかお心を穏やかになさってください。聖女アリアも、聖女アリアの考えがあってのことだと思います。ですから、」

 

 なだめようとするセレーナにもプランとロズの怒りは治まらない。

 

「心を穏やかに、ですって? よくもまあ、そんなことが言えますわね」

「誰のせいでこんなことになったと思ってるんですの!」

「だいたい、考えがあったならもっと早くに言うべきですわよ」

「そうすれば、もっと違う手を考えられたかもしれません。ですが、こうなってはもうどうしようもありませんのよ。聖女アリアがはっきり叱ると明言してしまいましたもの!」

 

 プランが静かに、ロズが激しく怒気を吐き出す。

 その怒りの矛先はごくごく自然に、当事者であるアリアにも向けられる。

 

「どうして、あのような真似をしたのです」

「アタクシたちが必死に聖女アリアの導きを変えようというのは知っているはずです! それなのに、聖女アリアはアタクシたちをバカにしていますの!」

「バカになんてしていないのです!」アリアは激しく頭を振る。「わたしも本気で信者さんにひどいことをするのはやめたいと思ってたのですよ! でも……っ」

 

 そこまで言ってアリアは口をパクパクさせた。

 感情ばかりが先走って、うまく言葉にならない。

 

 怒り狂った聖女たちは途切れた言葉の続きを待ってはくれなかった。

 

「でも、なんですか。本当は最初からやめるつもりなどなかったのでしょう」

「もしかして信者様を叱るうちに快感を覚えてしまったんですの? 聖女のくせに、とんだ変態ですのよ!」

「ち、ちが……っ、」

 

 アリアが否定を挟む間もなく、今度はセレーナに辛辣な言葉を浴びせはじめる。

 

「聖女セレーナ。あなたの指導に問題があったのではないですか。そうでなければワタクシたちの必死な姿を見て、あの場で、あのよな決断をするはずがないですわよ」

「きっとそうです! そうに違いありませんのよ! 今まで聖女セレーナは聖女アリアに何を教えていたんですの!」

「返す言葉もありません」

 と、セレーナは一切の弁解もせずに頭を垂れた。

 

 先輩聖女にそうさせているのが自分のせいだと思ったらアリアは情けなくて仕方がなかった。

 

 それでも鬱憤の治まらないプランとロズが悪態を吐き続ける。

 

「はああ……。この国は、いったいどうなっているのでしょう」

「聖女が聖女なら国民も国民ですのよ!」

「そうですわね。聖女の質が悪いから国民の質も悪いのかもしれません」

「聖女プラン、あれは質が悪いという度合いではすみませんの。広場での歓声をお聞きになったでしょう? 叱られることにあそこまで盛り上がれるなんて、狂っているとしか思えませんのよ」

 

 アリアは密かに拳を握った。

 キリキリと爪が掌に食い込む。

 それでも力を緩めることができなかった。

 

「このような国に来るのではありませんでしたわ。時間を無駄にしてしまいました」

「本当に最低で、最悪な国でしたのよ」

 

 アリアは、黒い霧のような何かが自身のなかで広がってゆくのを感じた。

 

(どうして、ここまで言われなきゃいけないのです……っ!)

 

 自分のことなら何を言われたって構わない。

 迷惑をかけたのは事実だし、何を言われても耐えられる。

 

 だけど。

 セレーナは違う。

 

 信者さんたちは関係ない。

 

 セレーナは、いつだって親身に沢山のことを教えてくれた。

 お酒で大失態をやらかしたときも見捨てずにいてくれた。

 

 信者さんたちも、まだ新人の聖女を頼ってくれた。《救われた》と、《ありがとう》と、涙まで流してくれた人さえいる。

 

 そんな大切な人たちをバカにする権利が誰にあるのだ。

 たとえ女神様だって許さない。

 

 アリアは怒っていることを、そこでようやく自覚した。

 黒色の霧が赤色に変わり、最後は白色になる。

 心の奥底でプツリッと何かが切れるような音を聞いた気がした。

 

「最低で最悪なのは、あなたたちでしょうが」

 と、嗜虐のアリアが言う。

 

 そんな自分を頭の片隅からアリアは冷静に観察していた。

 

(うー……やってしまったのです)

 

 もう後戻りはできない。

 いや、する気もない。

 

 アリアは、もう一人の自分を止めようとはしなかった。

 むしろ《もっと言ってやるのです!》と応援していたほどだ。

 

 嗜虐のアリアの低い声が響いた直後、聖堂がシンと静まり返った。

 

 ややあって、プランがうわずった声を出す。

 

「聖女アリア? ワタクシの聞き間違いでしょうか。信じられない言葉が聞こえてきた気がしたのですが」

「最低最悪なのは、あんたたちだって言ったのよ。耳が悪いの? それとも頭? 同じことを二度も言わせないで、クソババア」

「あな……っ、あなたって人は……!」

 

 怒りの限度を超過して震える人差し指を向けてくるロズに、アリアは目を細める。

 

「人様に指を向けるなんて、聖女としてなってないんじゃないの?」

「あっ、あなたに聖女を語る資格なんてありませんのよ!」

「黙りなさい。クソババアの顔色を見るしか能のない犬畜生よりはマシよ」

「い、いいい、犬畜生……?」

 

 次の瞬間には発狂しそうなロズを「相手の言葉に呑まれてはいけませんわ」とプランが片手で制する。

 そして熟練の聖女はアリアにまっすぐ向き合った。

 

「ワタクシたちの何が最低で最悪だと、聖女アリアは言うのです。ワタクシたちは未熟なあなたたちを叱っただけではありませんか。言わば、さきほどのは教育的な指導ですわ」

「叱る、ですって?」嗜虐のアリアが鼻を鳴らす。「笑わせないで。叱るっていうのは相手を思いやって注意することよ。でも、さっきのあなたたちのは自分たちの汚い感情を垂れ流してただけ。そういうのは怒るっていうのよ。そんな区別もつけられないの? もう一度、はじめから聖女の修行をやり直したら?」

「冷静を欠いていたことは認めましょう。申し訳ありませんでした。ですが、だからといって最低で最悪とは口が過ぎていると思いますわよ」

「誰がそんな理由だって言ったの。勝手に決めつけないで。いやね。歳を取ると思い込みが激しくなって」

「だったらなんだって言うんですの!」

 と、ロズが我慢できないといった様子で叫ぶ。

 

「本当に、わからない?」

 

 嗜虐のアリアはプランとロゼを見据えて言葉を継いだ。

 

「あなたたちは、してはいけないことをしたのよ。あなたたちは聖女でしょ? それなのに信者が狂ってるだなんて、それこそ神経を疑うわ。ああ、もしかして聖女は今日で終わりにするのかしら? それなら許してあげるわ」

「許す?」プランの顔が一瞬、ぴくりと動く。「ワタクシは四十五年も聖女をしているのですよ? 聖女アリアは一年目でしょう。おこがましいですわよ。分をわきまえなさい」

「手を抜いておきながら、その責任を信者に押し付けて、なにが四十五年よ。あなたが四十五年の間に学んだのはずる賢さなのかしら?」

「ワタクシが手を抜いている? どこをどうしたら、そのように勘違いするのです」

 

 やれやれ、と言うように嗜虐のアリアは息を吐いた。

 

「大勢の意識を変えるなんて並大抵のことじゃないわ。それをあなたは、たった三日の失敗で心が折れて乱暴な手段を取った。それを手抜きと呼ばないなら、なんて言うのよ。あんな方法で良いなら、わざわざあなたたちに頼ったりしなかったわ」

「…………」

 

 プランが沈黙する。

 

 彼女の表情からは何も読み取れない。

 微笑みが消えているだけで、怒りや悲しみといった感情が、そこには見当たらなかった。

 信者さんに内心を悟られぬように感情を仮面で隠す聖女としての技術だろう。

 

 その点、ロズはまだ修行の余地がありそうだ。

 頭に血が昇ると抑えが利かなくなるらしい。

 彼女はプランの敵討ちとばかりに歯をむき出しにして叫びだした。

 

「だからといって! 聖女アリアの導きが正当化されるわけではありません! 信者様を罵倒するなどあってはなりませんのよ!」

「ねえ? 人間と動物の違いって、なんだかわかる?」

 と、嗜虐のアリアが悪戯っぽく唇を歪める。

 

 これまでの会話との繋がりが軽薄な質問に何を問われたのか理解できなかったのだろう。

 数秒、ぽかんとしていたロズが、けれどすぐに噛みつかんばかりの勢いで言った。

 

「いきなり何を言い出しますの! そんなことは、この場になんの関係もないでしょう!」

「きゃんきゃん吠えることと、ご主人様のご機嫌伺いをするくらいしかできないメス犬には難しい質問だったようね。いいわ、教えてあげる。人間はね、本能を理性で抑えることができる生き物なのよ。だから、あなたは人間失格ね。自分より強い者に本能で従うばかりで、自分では考えようともしないんですもの」

「またそんな汚らしい言葉を……っ! あなたこそ今すぐ聖女を辞めるべきですの! そうすれば、これまでの非礼を許して差し上げてもいいですのよ!」

「もしかして、さっきの仕返しのつもり? ずいぶん幼稚ね。ああ、動物にしては頑張ったわねって褒めるべきなのかしら? だいたい、ワタシが聖女を辞めたら困る人が出るじゃない。救えない人が出ちゃうわ。それとも、あなたがワタシの代わりに、その人たちを救ってくれるのかしら?」

「救ってみせますのよ!」

「呆れるわね。あなたには戻るべき国があるでしょ。本当にあなたって口ばかりね。もっとも? ここに残ったところで、あなたには救えないでしょうけどね」

「見くびらないで! ワタクシがこれまでにどれだけの信者様の悩みを解決してきたと思ってるんですの! あなたにできてワタクシにできないことなどありせんのよ!」

「いいえ、あなたには無理よ。だってあなたの導きはお決まりの導きでしょう? 曖昧な言葉を並べて、本当に大切なことは何も言わないで。そういう、つまらない導きよね?」

「当たり前です! それが本来の導きですのよ!」

「それで?」

 

 嗜虐のアリアは残酷な微笑みを浮かべ、聖母のような慈愛に満ちた声で訊いた。

 

「その本来の導きとやらで、あなたはこれまでに何人の信者を見捨ててきたのかしら?」

「……っ!」

 

 ぎょっとした表情でロゼが息を呑む。

 それから慌てたように口を開こうとするのを嗜虐的な声が遮った。

 

「救えなかった人はいない……なーんて、ふざけたことは言わないでね」

「そ……そんなこと……言いませんのよ……っ」

「ならよかった。べつにワタシはあなたを否定しているわけじゃないのよ? ただ、ワタシとあなたでは救える人の種類が違うってことが言いたいだけなの」

「どういうことですの?」

「あなたの導きとワタシの導き、この二つに優劣なんてないわ。どちらも必要で、どちらも正しいのよ。あたなにはあなたにしか救えない人がいて、ワタシにはワタシにしか救えない人がいる。それだけの違いしかないのよ」

 

 驚いた表情で微動だにしないロズに、嗜虐のアリアは高い天井を見上げた。

 

「それなのに良いとか悪いとか、バカみたいだわ」

 

 本来の導きは、信者さんに対して断定的な表現を避ける。

 聖女が行うのは助言だけで、最終決定は信者さんにさせる。

 

 しかし。

 それでは確実に救えない人が出てしまう。

 こぼれ落ちてしまう人が出てくる。

 

 それは聖女の力量によるものではない。

 それが本来の導きの限界なのだ。

 

 そして、同じことはアリアの導きにも言えた。

 アリアの導きだから救える人がいると同時に、アリアの導きでは救えない人もいる。

 

 だからこそ、どちらも必要で、どちらも間違っていないのだ。

 

「聖女アリアの言うとおりなのかもしれませんわね」

 と、それまで黙っていたプランが言った。

 

 ロズが目を見開く。

 

「聖女、プラン……?」

「聖女ロズ。時代が変わったのかもしれません。いいえ、時代は常に変わっていたのでしょう。それなのにワタクシたちは見ようとしていなかった。それを聖女アリアに教えられましたわ」

「そんな……っ! アタクシたちが間違っていたとおっしゃるんですの……っ?」

「聖女アリアが言っていたではありませんか。良し悪しではないのです。ただ変わっただけですわ。ワタクシたちも……変わる時が来たのかもしれません」

「……変われますの?」

 

 ロズの言葉からは《今さら》という気配が漂っていた。

 

 諦めの空気を断ち切るように嗜虐のアリアは断言する。

 

「何歳からでも、いつからだって、変われるわ。変わろうとする気持ちがあればね」

 

 聖女アリア、と神妙な面持ちでプランが名前を呼ぶ。

 

「いえ、アリア様。ワタクシたちは古い聖女です。それでも聖女である以上は信者様の期待に応えたいと思っていますわ。だからどうか、ワタクシたちが進むべき道を照らしてくださいませ」

「アタクシも努力しますの」ロズも続く。「一人でも多くの信者様を救うために、アタクシもアリア様を敬いますのよ。これからご教授をお願いします」

 

 嗜虐のアリアが役目を終えたとばかりに内へ引っ込む。

 

 とたんにアリアはオロオロしだした。

 かき回すだけかき回して、最後だけ任されても困る。

 

「えっと……あの、お二人のような熟練の聖女様を導くだなんて恐れ多いのです! こちらのほうが学ばせてもらうことがたくさんあるのですよ!」

「あらあら、さきほどまでの勢いはどこへいってしまったのかしらね」

 と、静観していたセレーナが微笑む。

 

「聖女セレーナ、いじわるなのですよー……」

 

 眉尻を下げて情けない顔をするアリアを見て、プランとロズが口もとに手を添えて愉快そうに笑った。

 

「この二面性こそがアリア様の魅力なのでしょうか」

「そういうことでしたの。では、アタクシも参考にさせてもらいますのよ」

「いえいえいえ! 参考にしないでくださいなのです! それと、これまでどおり聖女アリアと呼んでほしいのですよ!」

「ワタクシは聖女アリアを信じ、尊ぶ身ですわ。わかりやすく信者と申しても良いかもしれません。ならばアリア様と呼ぶのは不自然ではないでしょう」

 

 信者さんは聖女に対して《聖女~》や《~様》を使用する。どちらを使うかは、その人の自由だ。

 けれど、聖女は違う。聖女が聖女を呼ぶ場合は《聖女~》で統一されている。そういう意味では不自然で、違和感しかない。

 

 でも、と反対意見を挟もうとするアリアに、ロズが言う。

 

「アリア様、これからも至らぬ点がありましたら遠慮なく叱っていただきたいですの。ですが、まだ初心者ですので当分は痛みが伴う指導は遠慮したいですのよ」

「もう叱らないし、痛いこともしないのです! そもそもお二人は他の国の聖女なのですよ! そうそうお会いすることはないと思うのです!」

「おっしゃるとおりですわ。それでも半年に一度、年に一度ほどなら問題ありません」

「今度はぜひ、アリア様にミール小国を見ていただきたいですの! そのときまでに、今より研鑽を重ねたアタクシの導きをご覧にいれますのよ!」

 

 無理だと思った。

 この二人を制止することなど自分にはできそうにない。

 

 アリアは、二人がまさか新米聖女を信じ、尊ぶまでになるとは思いもしなかった。

 ただセレーナや信者さんを軽んじられたのが悔しくて、我慢できなかっただけだ。

 

 それが、どうしてこうなる。

 

(でも、これはわたしが招いた結果なのです)

 

 嗜虐のアリアを止めなかったのは自分だ。

 見通しと違うからといって自分の行いに背中を向けるわけにはいかない。

 

 行いには責任を。

 

 それが世の習わしだ。

 

 アリアは聖女の仮面で微笑んだ。

 

「わかりましたなのです。これからも、よろしくお願いしますなのです」

「大団円ですね」

 と、満足げなセレーナとは対照的にアリアの微笑みは不自然に強張っていた。

 自分で選択して決めたことのはずなのに、よかったと素直に喜べないのはなぜだろう。

 

 話もまとまり、畑での作業に戻ろうかという雰囲気になったところで、

 

「アリアの姐さーん! いるかーい!」

 

 扉の向こうから聞き覚えのある声が呼ぶ。

 

「ソロさん? なにかあったのです?」

 

 アリアが応えると扉が少しだけ開いた。

 細い隙間から顔を出したのは親友の少女だ。

 

「聖女アリア、こんにちはー」

「クリスタさんまで! どうしたのです?」

「姐さんにいいモンを持ってきたんだ」

 と、クリスタの頭の下から、ひょいっとソロが顔を覗かせる。

 

 二人の表情からは何かを企む、不気味な気配がした。

 

「いいモン、なのです……?」

 

 怪訝顔で首を捻るアリアの前で、ソロが勢いよく扉を開く。

 

 そして。

 クリスタが何者かを聖堂内へ突き飛ばした。

 

「おっとっと……。クリスタ、仕事から帰った兄を思い切り突き飛ばすなんて、今日はずいぶんとご機嫌じゃないか」

 

 たたらを踏みながら現れた金髪の青年を見てアリアは目を丸くする。

 

「カル……ロ、ス……?」

「ん? これは聖女アリア。お久しぶりです」

 

 気安く再開の挨拶を口にするカルロスに、せっかく平穏を取り戻したアリアの心が一瞬で沸騰した。

 

「カアアアルウロオオースッ!」

 

 そう巻き舌気味に名前を呼んだのは嗜虐のアリアか。

 はたまたアリア自身か。

 自分のことなのに怒りでよくわからない。

 

 ツカツカと大股で駆け寄ってカルロスの眼前に立つと、嗜虐のアリアはわなわなと肩を震わせて口を開いた。

 

「よく、戻って来てくれたわ」

「今回は割と順調だったから予定よりも早く帰って来られましたよ」

「そういうことを言っているんじゃないの。よく、ワタシの前に顔を出せたわね。あなたは自分が何をしたかわかってるのかしら?」

 

 にんまりとカルロスが心の底から嬉しそうに笑う。

 

「その様子だと、オレが言ったことを実践してくれたみたいですね。いやー、聖女アリアのお役に立てて良かった」

「この……っ! よくもそんなふざけたことが言えるわね? どうせ他の国でワタシの噂を流したのもあなたなんでしょ! というより、あなたしかいないのよ! この卑怯者!」

「噂を流したなんてとんでもない。けどまあ、客商売ですからね。世間話で自分が住んでる国がどんなふうなのかを話したことくらいはあったかもしれません」

 

 さすがはカルロスだ。

 アリアが何を言っても驚かない。

 

 すべて、わかっていたのだ。

 こうなる未来を。

 そうなるように仕組んできたのだから。

 

「アハ……アハハハハハハッ!」

 

 二人のアリアの怒りが同時に頂点まで達した。

 人は限界まで怒ると笑えてくるらしい。

 

 原因がどうであれ、信者さんをこれからも叱ると決めたのはアリア自身だ。

 今の異様な導きを誰かを犠牲にしてまで辞める覚悟はない。それに、あの導きでなければ救えない誰かがいるのも確かだ。

 自分にしか救えない人がいるのなら、救いたいではないか。

 

 だから、いまさらその全責任をカルロスに投げようとは思わない。

 

 しかし。

 だとしても。

 それはそれ。

 これはこれだ。

 

 カルロスが余計なことをしなければ、という気持ちに嘘はつけない。

 

「せ、聖女アリア……? オレ、何か面白いことでも言いました?」

 

 狂気じみた高笑いにカルロスでさえも多少は恐怖を感じたようだ。

 

 後ずさった青年を、嗜虐のアリアは握り拳を振り上げて追撃する。

 

「あなたは女の子に殴られたいんだったわよね? だったら望みどおりに、その顔が変形するまでボコボコに殴ってやるわよ!」

 

 しかし結局、嗜虐のアリアの拳がカルロスに届くことはなかった。

 

 嗜虐のアリアが寸前で思いとどまったからでも、カルロスが咄嗟に回避したからでもない。

 

 嗜虐のアリアが握った拳を、その背後からそっと優しく包み込む存在がいたからだ。

 

「いけませんわ、アリア様」

「なによ……?」

 

 首だけで振り返った嗜虐のアリアの瞳に映ったのは、穏やかに微笑む熟練の聖女だ。

 

「さきほどアリア様もご自身でおっしゃっていたではありませんか。自分の怒りをぶつけるのは叱ることではない、と」

「手を放しなさい。ワタシは叱るつもりなんてないの。怒ってるのよ」

 

 すると手が離れるどころか、新たにもう一対の手が伸びてきて握り拳を包んだ。

 聖女ロズの手だった。

 

「離しません。アリア様の御手は怒りに任せて振るわれて良いものではありませんのよ」

「あなたまで……」

 

 それに、とプランが言う。

 

「ワタクシはカルロスさんに感謝していますわ」

「この男に感謝ですって?」

 

 信じられない、と全力で顔をゆがめる嗜虐のアリアに、ロズも大きく頷いた。

 

「そのとおりです。カルロスさんが噂を流してくださらなかったら、こうしてアリア様にお会いすることができませんでしたもの」

「聖女アリア」背後でセレーナの声がする。「あなたは聖女です。聖女として、聖女にふさわしい行動をしてください」

 

 導きで信者さんにひどいことをしても許される。

 だけど聖女が自身のためだけに怒りをぶちまけることは許されない。

 セレーナが言いたいのは、そういうことだ。

 

 三人の聖女にここまで言われては怒りも消え失せる。

 アリアは力なく握り拳を開いて腕を下した。

 そして、聖女としての非礼を相手に詫びる。

 

「カルロスさん。いきなり殴りかかろうとしてすみませんでしたなのです」

「ハハハ、むしろ殴ってもらえたほうが嬉しかったですよ」

 

 悪びれる様子もなく嬉々として本心を語る兄の背後で妹が嘆きを漏らした。

 

「お兄ちゃん……ほんとに殴られればよかったのに」

「諦めな。あいつの変態っぷりは死んだって治りゃしないよ」

 と、ソロも肩をすくめる。

 

「こりゃあ、まいったなー」

「誰も褒めてない!」

 

 カルロスとクリスタの兄妹漫才に笑い声があがった。

 

 なごやかな雰囲気につられて薄く笑みを浮かべながらアリアは思う。

 

(わたし……これから、どうなってゆくのです?)

 

 信者さんを叱ると決めたことに後悔はない。

 だけど、その特異な導きを続けた先には何が待っているのだろう。

 

 それはきっと、考えるだけ無駄かもしれない。

 なぜならアリアが選んだ道は、未だかつて通った者のいない未開の地だからだ。

 

 未来は女神様にだってわからないだろう。

 

 そのことが希望であり、同時に恐ろしくも感じたアリアだった。

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聖女に叱られた信者さんが、なぜか喜んでいます!? シノミヤ🩲マナ @sinomaya

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