第36話 混乱の広場
三日の間にアリアの導きを受けに来た信者さんは、のべ十七人。
その全員にプランとロズは説得を試みた。
けれど、成功した者は一人としていなかった。
そうして迎えた、八月十一日。
プランとロズがケニス小国に来てから四日目の朝。
食事を終えた四人の聖女は多目的部屋で顔を見合わせていた。
「このままでは……はかどりませんわね」
そう弱弱しく言葉を吐いたのはプランだった。
本日のどんよりとした空のように、彼女の顔には疲れが色濃く残っている。
その隣に座るロズが三日前より明らかにやつれた顔で同意する。
「信者様が来るのを待っているだけでは効率が悪すぎますのよ」
「聖女プラン、聖女ロズ、焦る気持ちはわかります。ですが、お疲れが溜まっているようですから本日のところは休養されてはいかがでしょうか」
と、セレーナが不安げに声をかけた。
心配になる気持ちはアリアにもある。
二人とも目の下にはクマが出来ていた。
ろくに睡眠がとれていない証拠だ。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、これは時間との勝負ですわ。休んでいる余裕などありません」
やんわりと断るプランの横で、ロゼが発狂したように叫んだ。
「これ以上、悪夢にうなされては敵いません! 一日でも早く事態を鎮めなければアタクシたちの身がもちませんのよ!」
寝不足の原因はそういうことか。
でも、とアリアは言った。
「来た信者さんを説得する以外に、どんな方法があるのです?」
「ありますわ。とっておきの方法が……」
「聖女プラン、実はアタクシにも良い案がありますのよ」
フフフ、と二人の笑いが不気味に重なる。
疲れた脳味噌で出した結論が打開策に繋がるとは思えなかった。けれど、プランとロゼの寝不足で充血した瞳を前にして反対意見を口にする勇気などアリアにはなかったのだった。
町の広場。
その中心には巨木が生えている。根元付近からでは、てっぺんが見えないほどの大きな木だ。ケニス小国を建国した際に記念として植えられたその木は今年で二百九十八歳を迎え、国民からは《ケニスの樹》の名称で親しまれている。
四人の聖女はケニスの樹のそばに立っていた。
ケニスの樹の根元に置かれた長椅子に座る人と、広場を行き交う人、そのどちらをも見回せる位置だ。
プランとロズは一歩、前へ出た。
「お集まりの皆様! 突然の呼びかけ失礼いたしますわ! ワタクシはアドニス小国から来た聖女プラン!」
「アタクシはミール小国の聖女、ロゼですのよ!」
今は夕方に次いで人が多い、お昼時。
長椅子の老爺も。
買い出し途中の奥様も。
恋人を待っているお姉さんも。
なんだなんだと好奇心と疑問の眼差しを向ける。
広場には、ざっと見回して百人程度がいた。
これほど多くの視線に注目される経験がアリアにはあまりない。手が汗ばむのは、曇天の蒸し暑さだけが理由ではないだろう。
周囲の意識を引けた確信を持ったプランとロゼが続ける。
「このケニス小国には良くないことが蔓延しています! それは、ある意味で病のようなものです。人から人へと伝わって、今ではケニス小国だけでなくワタクシたちの小国にも広まっています!」
「このままでは取り返しがつかない事態になるでしょう! それを食い止めるために、アタクシたちはやって来たんですのよ!」
「その病のようなもの……それは《罵倒されたい》や《踏まれたい》という、およそ常識的とは程遠い欲求です!」
「アタクシたちも、そういった欲求を持つことまでは否定しません! しかし、それらは個人が内に秘めておくべきものです! いくら相手が受け入れても、それを望むのは罪悪にも等しい行いですのよ!」
「皆様、どうかお願いします! 導きにおいて、そういったことを望むのはやめていただけませんか!」
「どうか、聖女アリアを解放してもらいたいんですの!」
プランとロズが胸の前で手を組み、悲壮感が漂う表情と潤ませた瞳で懇願する。
二人の演説は実に見事だった。
数多の導きによって鍛えられた人心を誘導する術をふんだんに活用していた。
話し方は聞きやすい、ゆったりとした口調。
時折、交える大仰な手振りは十二分な演出効果。
話し手を交互に替えることによって説得力が段違いに増している。
カルロスとはまた違う巧みさの話術だった。
集まっていた人々の反応は三つに分かれた。
「そうか……やっぱおかしいことだったのか」
「だから前からヘンだって言ってたでしょ!」
演説に納得する者たち、
「でも、本当に悪いことなのかな? どう思う?」
「わたしだってわかんないんだから訊かないでよ……っ」
自分では決められない者たち、
「何が好きかなんてそれぞれの自由だろ!」
「そうよ! 罪を犯してるわけじゃないのよ!」
演説に反発する者たち。
広場は、すぐに議論の場となった。
自身が正しいと思う意見を対抗意見にぶつける。
はじめは、ただそれだけの静かな言い合いだった。
しかし互いの主張をぶつけ合っているうち、ほどなくして唾を飛ばす激しい口論になっていった。
そして口論は口論を呼び、やがては襟首を掴み合うまでに熱を帯びていったのだ。
広場は、ちょっとした混乱状態に陥っていた。
「こ、これ……どうするのです?」
どうにかしなくてはいけないと思うのに何をしていいかわからない。
アリアは無意味に両手を宙で泳がせた。
救いを求めてセレーナを見やる。
先輩聖女は、この状況が起こることを知っていたかのように穏やかな表情をしていた。
「聖女アリア、落ち着くのですわ」
「心配は必要ありません。これは予測された事態ですのよ」
余裕を感じさせる声に首を巡らせたアリアは、眉根を寄せてプランとロズを見据えた。
「それは……どういう意味なのです?」
「これもすべて聖女アリアの導きを変えるためですわ」
と、プランが相変わらず疲れた顔で言う。
当然、それだけでわかるはずもないアリアに、ロズが説明を足す。
「聖女アリアの導きの噂は確かに広まっています。それでも幸いなことに、その導きはまだ日が浅い。すべての国民に受け入れられているわけではありませんの。小国では争いを忌避するものです。もし、この場で負傷者が出るようなことにでもなれば、争いの原因となったあの導きも自然と消えてゆくはずですのよ」
「でも、怪我人を出してまでなんて……っ」
手段を選ばない方法で良いなら、アリアでも打つ手はあった。
けれど、それは選択肢にすら入らない。自分以外の誰かを傷つける方法など、聖女として論外だ。
だから熟練の聖女たちに助けを求めた。
それなのに。
先輩聖女が、こんな、安易な方法で訴えるとは想像もしていなかった。
プランが聖女らしい微笑みを浮かべながら聖女らしい穏やかあ声で、聖女らしからぬ言葉を紡いだ。
「何も問題はありませんわ。ここには聖女が四人もいます。負傷者が出ても治療は容易に行えるでしょう」
信じられない。
信じたくなかった。
それが聖女の言葉か。
(やっぱり、こんなの間違ってるのです!)
アリアが異議を唱えようと口を開きかけたとき。
「アリア様!」
「聖女アリアは、どう思いますか!」
言い争っていたはずの人々が一斉にアリアへと詰め寄った。
「な……なにが、なのです?」
一つの目的によって集約された気迫にたじろぎながらもアリアは疑問を投げる。
すると、人々は困り果てた表情で必死に訴えた。
「私たちで話し合っても決まらないんです!」
「どっちが正しいのか、さっぱりで……」
「だから、聖女アリアに決めてもらおうと思ったんです!」
「アリア様、決めてください!」
「自分たちはアリアさまの決定に従います!」
そして大勢が、合唱のごとく同じ言葉を口にした。
「「「「アリア様は、我々を叱るのが嫌ですか? 我々がそれを望むのは、アリア様にとって迷惑でしょうか?」」」」
話し合いで決まらないからアリアに丸投げした。
そういうことのようだ。
暴力沙汰が拡大するよりはよほど良いけれど、アリアは困ってしまった。
信者さんにひどいことをする導きを続けるのか。
それともやめるのか。
それが自らの一存で決められる。
意見を、意思を、尊重してもらえる。
「わたし、は……っ」
そこまで言いかけてアリアは言葉を呑み込む。
反射的に口が《もう信者さんを叱るのはイヤなのです!》と勝手に答えようとした。
けれど、自分のなかで何かが待ったをかけた。
きっと昨夜に聞かされたセレーナの昔話が頭に残っていたせいだ。
ふと、どうして自分はこんなに悩んでいるのだろうと不思議に感じた。
思えば、ずっと周囲に振り回されてばかりだった。
周りに流されるまま導きをやってきた。
カルロスのせいにして。
信者さんが求めるからと言い訳して。
そんなふうに、いつも何かのせいにしていた気がする。
悩むのは、責任を他に押し付けられなくなるからだ。
自分で決めるということは、その責任も自分で負わなければならないということ。
今の導きを続けて自分が苦しんだとしても。
今の導きをやめることで誰かが不幸になって自分がつらくなっても。
どちらを選んでも決めたのは他の何者でもない自分。
そこには言い訳をする余地も、逃げ場所も残されない。
アリアは改めて周囲を見回した。
プランとロズはこれで今回の騒ぎが終息すると安堵した表情をし、セレーナは普段どおりに微笑んでいる。
信者さんたちは黙ったアリアに文句を漏らすこともなく、ただ期待と好奇心の混ざった面持ちで次の言葉を待っていた。
アリアは思いっきり息を吸い込んで、
「わたしは……っ、わたしは――」
覚悟と決意を吐き出した。
次の瞬間。
わあああっ、と人々の湧く声が一帯を包み込んだ。
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