第35話 セレーナの気持ち

「申し訳ありませんが……ワタクシはこのまま夜の礼拝を済ませて、今日は先に休ませてもらいますわ」

「アタクシも……そうさせてもらいますのよ」

 

 夕食の後片付けを終え、少しのあいだ多目的部屋でくつろいでいたプランとズが力なく立ち上がる。

 二人とも疲労困憊といった様子で、セレーナとアリアの労う言葉にもほとんど無反応で背中を丸めて出ていった。

 

 午前中とは打って変わり、ジュリアンのあとに五人の信者さんが絶え間なく訪れた。

 そのうちアリアの導きを求めた信者さんは三人だった。

 その三人の信者さんにプランとロズは熱く説いた。

 

『こんなことは女神カノンも望んではいませんわ』

 

『無為に精神的な苦痛を望むのは罪悪です。ましてや肉体的な痛みを伴う行為を望むなど以てのほかですのよ』

 

 しかし、そのどれもが信者さんの心には届かなかった。

 

 望んだ成果が得られない行為ほど精神を疲弊させるものもない。それを体現しているのが、さきほどのプランとロゼだ。

 

 セレーナと二人だけになった多目的部屋でアリアは言った。

 

「聖女セレーナ、少しお話しをしたいのですよ」

「あら、なにかしら」

 

 疲れた様子を感じさせないセレーナが定位置に腰掛ける。

 その正面にアリアは座った。

 

 アリアには、ずっと気になっていたことがある。

 

「聖女セレーナは……どうして、わたしの導きに来た信者さんを説得しようとはしないのです?」

 

 アリアの導きの現状を知ったセレーナは、プランやロズに対して協力する姿勢を示しておきながら、信者さんに対しては何も言わなかった。つまり、叱ることやお恵みと呼ばれる行為を悪いとは一度も注意しなかったのだ。

 

 どうしてセレーナは信者さんに何も言わなかったのか。

 

 現状を良しとしているのか。

 他の国の聖女に気を遣っているのか。

 それとも後輩聖女がどうなろうと興味がないのか。

 

 考えられるのはその三つくらいだけれど、最後の可能性ではないと思いたい。

 

 ドギマギしながら言葉を待つ。

 

 数秒、目を瞑っていたセレーナがゆっくりと瞼を上げた。

 

「聖女アリアには悪いですが、わたくしは現状がそこまで悪いとは思っていないのです」

「このままケニス小国がカルロスさんみたいな人ばかりになってもいいのです?」

「そんなことにはならないと思いますよ」

 

 どうしてなのです、とアリアは無言で問う。

 

「カルロスさんのように罵倒や痛みを伴う行為を好む方は特殊です。現在は流行になっているせいでそういった信者さんが増えていますが、境を過ぎれば減ってゆくでしょう」

「では、もうすぐわたしはあの導きから解放されるのですね! 信者さんにひどいことを言わなくてもすむ日が来るのですね!」

 

 思わず歓喜の声が出た。

 夢の中で女神カノンから間違ってないと太鼓判を押されたけれど、やはり嫌なものは嫌で、アリアが本当にやりたいのは一般的な導きだ。

 だから今、この瞬間のアリアにとっては女神様の言葉よりも先輩聖女の言葉のほうが嬉しかった。しかもセレーナの見通しはよく的中する。もはや予言だ。そう思えるくらいアリアはセレーナに全幅の信頼を置いていた。

 

 しかし。

 そのセレーナが、

 

「いいえ。それはないと思います」

 

 そう、はっきり否定した。

 

「……っ」

 

 期待を持っていただけに落胆が大きい。

 あまりの落差にアリアは声も出せなかった。

 セレーナがないと言うからには、ないのだろう。

 

「聖女アリアの導きが話題にならなくなるのは流行が終わってからになるでしょう。ですが流行ではなくなった代わりに、それは日常となるはずです。そして目覚めた嗜好がすぐに失われることもありません」

 

 最悪だ。

 すでに日常となりつつあるのに、本当に日常として確立されてしまったら抗いようがない。

 

 絶望的な未来をどうにかしたくてアリアは言った。

 

「聖女セレーナは、そんな未来でほんとうに良いのですか! 他の国から変態の国とか呼ばれるようになるかもしれないのですよ!」

「世間体は大切です。小国にとっては死活問題になることもあるでしょう。だから聖女プランや聖女ロゼが躍起になって事態を治めようとするのも理解できます。それでもわたくしは、このままで良いと思っているのです」

「どうして、なのです?」

 

 直感的に何かあるとアリアは思った。

 喉が渇く。

 

 セレーナがアリアを正面から見据える。

 だけど実際にはアリアを見ていないような、遠い目をしていた。

 

「人の命には代えられませんから」

 

 まるで《明日は晴れそうですね》とでも言うような軽い口調。

 

 あまりの自然さにアリアは言葉の重みを瞬時に捉えることができなかった。

 脳が理解してアリアが疑問を返そうとするころには、セレーナが続きを語り始めていた。

「わたくしがまだ新人の聖女だった頃です。とある信者さんがいらっしゃいました。その信者さんは、ご自身が他とは異なる性質を持っていることに悩んでいました。その信者さんに、わたくしは曖昧な言葉をかけることしかできませんでした」

「その信者さんは、今はどうしているのです?」

 

 そう尋ねながらアリアはなんとなく答えがわかっていた。

 楽しい想い出が微笑みの消えた唇から語られるはずがない。

 

「その信者さんは、自ら命を絶ちました」

 

 やはりだ。しかし不幸な結末に心の準備ができていても、どんな言葉をかければいいのかまではわからずにアリアは黙るしかなかった。

 

「今のわたくしならあの時の信者さんを救えるなどと、そのようなおこがましいことは言いません。それでも、あの時のケニス小国が現在のようであれば違った結果になっていたのではと思うのです」

「その信者さんも異性から罵倒されたい方だったのです?」

「いいえ。ただ、他の人には理解されにくいという点では似ていました。現在のケニス小国には、かつて変態と呼ばれていた性癖を持つ方が増えたでしょう? それが国内で受け入れられ始めてもいます。そういった環境なら、心の底に沈めた嗜好を持つ方でも声をあげやすくなるかもしれません。死を選択するまで自分自身を追いつめなくても良い世界になるかもしれません」

「聖女セレーナは……ずるい、のです」

 と、アリアは唸った。

 

 こんな話を聞かされたら導きをやめるとは言い出せない。

 

 ごめんなさいね、とセレーナがどこかぎこちなく微笑む。

 

「これはわたくしのわがままです。罪滅ぼしに近い感情なのかもしれません。ですから聖女アリアが苦しいのなら今の導きをやめることに反対はしません。そのためのお手伝いもしましょう」

「やっぱりずるいのです。導きをやめて、それで新たな性癖に目覚めた人たちはどうなるのです? もしかしたらカルロスさんのように変態と蔑まれるようになるかもしれないのです。そうしたらきっと、そのことに耐えられない人も出てくるはずなのです」

 

 他者に受け入れられないことで死を選ぶ人がいるとまでは考えもしなかった。

 けれど、もう知ってしまった。

 

《導きをやめたら誰かが死ぬかもしれない》


 その可能性を知ってしまった。

 もう知らなかった自分には戻れない。

 

 そして、その可能性が現実になったら。

 耐えられる自信がアリアにはなかった。

 

「聖女アリアは優しいですね。やはり聖女に向いていると思います」

 

 セレーナの言葉に、アリアは素直に頷けなかった。

 

(わたしは……ただ臆病なだけなのです)

 

 そう言えばセレーナは否定するかもしれない。

 だけど。

 それなら優しさと臆病の違いはどこにあるのだろうか。

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