第34話 ジュリアンの導き、再び
「こんにちは、アリア様」
「ジュリアンさん、こんにちはなのです。見ない間に少し変わられたようなのですよ」
ジュリアン・コリドルと会うのは六月以来だった。
見ない間に彼女の体格は、すっかり元に戻っていた。
いや、ひょっとすると以前より膨張しているかもしれない。
あはは、とジュリアンが照れくさそうに頬をかく。
「幸せ太りってやつなんでしょうか。せっかく痩せたのに戻っちゃいました」
「幸せなのはよいことなのです」
「ウチは甘やかされるとダメみたいです。『キミはふくよかくらいがちょうどいいよ』なんて彼に言われたら食欲が抑えられなくって」
「彼氏さんとは順調そうでなによりなのです」
「はいっ! 毎日が幸せです!」
ところで、とジュリアンがアリアの背後に控える三人の聖女を見やって言葉を継ぐ。
「セレーナ様はわかりますけど、そちらの方たちは? もしかして噂になってる他の国の聖女様ですか?」
「さすがはジュリアンさん。耳が早いのです。そのとおりなのですよ。この方たちは隣の国からいらした聖女プランと聖女ロズなのです」
プランとロズが会釈する。
ジュリアンも笑顔で会釈を返した。
それを見届けてからアリアは続けた。
「それでなのです、ジュリアンさん。みなさんをこの場に同席させてもかまわないのですか? いやなら断ってくれて問題ないのです」
「大丈夫です。アリア様の最初の導きも大勢に見られていましたから、今さら聖女様たちに見られたって何ともありません」
ジュリアンに悪気がないのはわかる。だけど、心の古傷は痛んだ。
アリアはお決まりの質問を投げた。
「それでは、ジュリアンさん。本日はどうされたのです?」
「見てのとおり、太っちゃって。前と同じくらいに……とまではいかなくても少しは痩せたいなーって思うんです。だからアリア様の導きを受けに来ました! 遠慮なく叱ってください! 思いっきり《このブタがっ!》って罵ってください!」
そこで、すでに聖女として臨戦態勢に入っていたプランとロズが待ったをかける。
「ジュリアンさん、と申しましたわね」
「少しだけお話しをさせていただいてもよろしいですの?」
これからアリアに罵倒を浴びせられる心の準備が整っていたジュリアンは「えっ」と素っ頓狂な声を出し、疑問を返した。
「お話しって、なんですか? ウチはアリア様の導きを受けたいんですけど……」
「ジュリアンさん。あなたは勘違いをされていますわ」
プランが聖女らしい微笑みで呼びかける。
「残念ながらジュリアンさんが求めているのは導きではありません。導きとは、あくまでも信者様を手助けするものなのです。無用な勘違いをさせてしまったこと、聖女アリアに代わってワタクシから謝罪させていただきますわ」
「アリア様の導きが普通じゃないのは知ってます。それが導きと呼べないならそれでもいいです。ウチは、アリア様に叱ってもらえればそれでいいですから」
引き下がる気配のないジュリアンに、今度はロズが説得を試みる。
「ジュリアンさん。我らが信仰するのは慈愛と豊穣を司る女神様です。だからこそ聖女は信者様と共に生き、信者様に与えるのは優しさと愛情であるべきですの。信者様を叱るのはもちろん、罵詈雑言を浴びせるなどあってはならないことですのよ」
「ウチはただ悪口を言ってほしいわけじゃありませんよ? ウチはアリア様に叱ってほしいんです。叱ることには優しさや愛情が含まれていると思います。ちがいますか?」
やはり一筋縄ではいかない。
ここで叱ることに優しさも愛情も含まれていないと答えれば母親が我が子を叱る行為をも否定することになる。
かといって肯定は、この場での説得が困難になってしまう。
アリアでは口をつぐむ場面。
しかし、そこは熟練の聖女様だ。
プランが間髪入れずに微笑みを返す。
「ジュリアンさんのおっしゃるとおりですわ。叱るという行為には優しさや愛情が含まれています。そうでなければ、ただ相手を傷つけるだけの言葉となんら変わりません。だからこそ、それを聖女に求めるのは酷ではないでしょうか」
「酷、ですか?」
「優しさや愛情は長い時間をかけて育まれるものですわ。そして相手を叱るともなれば深い優しさや愛情が必要になります。いくら聖女でも、それだけの深い優しさや愛情を、信者様とはいえ詳しくは知らないお相手に抱くことは難しいでしょう」
なるほどとアリアは舌を巻いた。
否定も肯定もせずに、問題なのは優しさや愛情の深さなのだと説くのは、アリアにはない発想だ。
(さすがは聖女プランなのです。聖女歴四十五年は伊達ではないのですよ)
これなら本当に信者さんの意識改革をやってのけるかもしれない。
期待に胸を膨らませるアリアの前でジュリアンが苛立ったような声を出した。
「さっきからなんだっていうんですか、あなたたちはっ! ウチがアリア様に叱られることのなにがいけないんですか! あなたたちちには関係ないじゃないですか!」
「落ち着いてください、ジュリアンさん」ロズがなだめるように言う。「関係はあります。アタクシや聖女プランの小国でも聖女アリアの導きが話題になっていて、それを求める信者様が出始めているんですのよ」
「なら、してあげればいいじゃないですか。それが聖女様のお仕事なんですから」
「たしかに求められれば応えるのが聖女の役目です」プランが頷く。「ですが、間違った道を進もうとしている信者様を正しい道に戻して差し上げるのも大切な役目ですわ」
お互いに主張を譲る気配がない。
これでは平行線のままだ。
けれど均衡は、ジュリアンの一言であっけなく崩れた。
「そこまで言うなら導きでウチを痩せさせてください!」
「それは……」
初めてプランとロズが言葉に詰まった。
その隙にジュリアンが畳み掛ける。
「できませんよね? 普通の導きはお優しい言葉で信者を誘導するだけですもの。甘い物を食べたら塩気のあるものがほしくなりますよね? どんなにすばらしいご馳走だって毎日は飽きますよね? 導きだってそれとおんなじです! 優しい言葉をかけてほしい時があるように、つらく厳しい言葉がほしくなる時だってあるんですよ!」
プランとロズは結局、それ以上の説得を断念した。
そのため、アリアもジュリアンを叱らなくてはならなくなった。
そしてその日、嗜虐のアリアの導きは冴えに冴えていた。
「このマルイモが……ああ、ごめんなさい。あんまりにも丸々としてたから間違えちゃったわ。どうしたらそんなに肥え太れるのかしらね」
という挨拶代りの罵倒を皮切りに、聖女の口から出たとは思えないような汚い言葉が次から次へとジュリアンの心を突き刺してゆく。
あまりの非情な誹りにセレーナの口もとからは微笑みが消え、プランとロズに至っては途中から耳を塞いでいた。
それには心構えをしていたはずのジュリアンでさえも耐えられなかったようで導きが終わるのを待たずに、
「あんまりです、アリア様! そこまで言うなんて思いませんでしたっ!」
あの日の再現とばかりに大粒の涙をまき散らしてドタドタと重い足音を響かせながら聖堂を去ってしまった。
重い扉の閉まる音が気まずい沈黙を呼ぶ。
静まり返った空間に誰かの吐いた息が溶けた。
それはセレーナたちの嘆息だったかもしれないし、一仕事終えたアリアの呼息だったかもしれない。
やがて沈黙を破ったのはプランの驚きに彩られた声だった。
「よもやここまでとは……想像以上でしたわ」
「まったくですのよ」
激しく同意するロゼを見やりながら、だから言ったではないかという反論は呑み込んでおく。
アリアにしてみても予想を超えていたのは同じだ。
セレーナが感心したような、それでいて呆れてもいるような、なんとも形容しがたい微笑みをアリアに向ける。
「以前よりも凄味が増していましたね。どこで、あのような言葉を覚えてくるのですか」
「えへへ……わたしが知りたいのです」
特別な勉強はしていない。ただ心の底から浮かんでくる言葉をすくい取って声に乗せているだけだ。
もしも何かの影響を受けているのだとしたら、やはりカルロスに施された指導が影響しているのだろう。
本当に余計なことをしてくれたものだ。
「みなさん! 落ち込んでいる暇はありませんのよ!」
ロズが鼓舞するように続ける。
「成功の前に失敗はつきものです! 相手が想定以上だとわかったからには、もっと気を引き締めて取りかかりますのよ!」
それを受けてプランが大仰な手振りで語りかけた。
「聖女ロズの言うとおりですわね。最初からうまくいくことなどありません。だからこそ人は努力するのです。ワタクシたちの正念場はここからですわ!」
「聖女四人が集まればできないことなどきっとありませんね」
と、セレーナまでもが熱の感じられる言葉で場を盛り上げる。
そして、三対の眼差しがアリアに注がれた。
ここで困難な現実を口にして雰囲気を盛り下げるほどアリアは子供ではない。
なにより、みなが尽力しているのはアリアのためでもある。
それを思えば、
「ここからは総力戦なのです! やりましょう、なのですよ!」
無理矢理に明るい声を出すくらい、当然の責務だろう。
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