たまごとおでんと、大根と。

西奈 りゆ

それは、暖かい冬の出来事で・・・。

「たまごとー、おでんとー、だいこんくださいー」


「お姉さん、おでん屋で『おでん』頼まれても、何かわからないですよ」


言われて数秒。言われた言葉が意味を結び、急に覚醒した。

同時に、弛緩しきっていた身体が、きゅっとこわばった。


酒を飲んでいた。一人だから、手酌で。たくさん。

自宅で飲んでいた。足りなくなったから、買いに出た。


そこから先の、記憶がない。

ふと足元を見ると、レジ袋に入った瓶ビールが3本。

酔いではなく、顔が赤くなっていくのを感じた。


「とりあえずたまごと、大根ね。あと、何かいる?」


わたしの動揺をよそに、問いが飛んできた。

目の前には、銀色の仕切りの中でぐつぐつ煮える、おでん。

記憶にないけれど、わたしはどうやら、おでんの屋台で座っているところらしい。

何が「おでんください」だ。慌てて、めぼしいものを探す。


「厚揚げください」


はいよ、と応えたのは、どこにでもいそうな、けれど屋台を引くには若干年齢を重ねているのではないかと思う、高齢に見える男性だった。

他に客はいない。菜箸でたまご、大根、厚揚げをひょいひょいとつまみあげると、それらが並んだ小皿が出てきた。


「はい、たまご、大根、厚揚げね」


「あ、ありがとうございます」


人懐っこい笑みをともに、小皿を受け取る。どこかで会った顔だろうか。

ちらっと思ったが、介護職という職業柄、身内を含め高齢者に関わる機会は数えきれないほどだったので、その疑問符は、すぐに払しょくされた。


年の瀬を迎えようとしているのに、今年はまだ暖かい。

記録的な暖冬だと、奥に置かれた小型ラジオがちょうど話していた。


それにしても、わたしはいつの間にこんなところにやってきたんだろう。

いや、「こんなところ」というか、「ここ」に。


「お姉さん」呼ばわりしてもらえる年齢でもないけれど、これまで屋台という場所に一人で入ったことはない。ずいぶん思い切ったことをしたものだ。


それまでどうしていたかわからないけれど、酔っぱらった勢いだったのだろう。幸いポケットに、財布の感触はある。中身が抜き取られていなければの話だが、ちょっとした屋台での支払いに困るような額しか入っていない、ということはないはずだ。

とにもかくにも、深く考えても仕方ない。箸立てから割り箸を取り、真っ二つに割って、大根に箸をつけた。少し力を入れただけで、湯気があふれ、箸がずぶずぶと沈んでいく。琥珀色のだしが湧き出る。見た目からして、よく味が染みている。


「おー・・・ふ、ふー」


熱い。口全体で息をして、少しずつ歯を立てると、大根の甘みと、閉じ込められただしがぶわっとあふれてきた。煮崩れる寸前じゃないかと思わせながら、適度な弾力が残っていて、口当たりがすごくいい。


「・・・はあ。美味しいです」


「そうかいそうかい。ありがたいね」


快活に笑う店主さんにつられて、微笑んでしまう。

次に箸をつけた厚揚げは、ぷるんと震えて、力を入れるとほろりと崩れた。


「んー。素朴で、懐かしい味」


「そうだろう。うちは余計なこと、一切しないの。あんた好みじゃねえのかな」


「そうかもしれないです。この卵も美味しいです」


いつの間にか、身体がぽかぽかと暖かい。

久しぶりだ、こんな感覚は。そういえば、そもそもきちんと温まったものも、しばらく食べていない気がした。


「ちょっとお酒がほしくなりますね」


半分冗談で言うと、店主さんは苦笑いして首を振った。


「やめときな。お姉さん、ここに来るまでにそうとう飲んでるよ。悪いことは言わないさ。水なら出すがね」


こここ、とコップに注がれた水を出してくれた。

身に覚えがたくさんあるので、おとなしくそれをいただいた。

すっきりとのどを通る、よく冷えた水だった。


「あー。これでまた次のいけそうです」


「そうかい。まあそれはそれでいいんだけど、お姉さん一人だろ? この道端で、ずいぶんな時間だぞ」


言われて手首を確認してみると、時計をしていない。

嫌な予感がして携帯があるか確認してみると、こちらは充電切れだった。


「すみません、今、何時ですか? 時計忘れちゃって」


何気ない質問だったけれど、一瞬店主さんの顔に、かげりのようなものが見えた。


「あ・・・ああ、すまんね、うちも時計は置いてないんだよ。すまんね」


「いえいえ、いいんです。けど、せっかくだから、もうちょっといただこうかな」


黄金色の海を物色していると、ずいぶんと懐かしいものを見つけた。


「これ、さくら玉! あ、ちくわぶも、ちくわもあるんですね!」


どれも王道と言えば王道だけれど、トレー台の中は、なんともわたし好みだった。

子どもの時から練り物系が大好きで、王道の牛すじやしらたきよりも、段違いで好きだった。

特に、ピンクの練り物にうずらの卵が覆われていて、さくらの花びらのかたちをした「さくら玉」。なんといっても、子どもの頃から大好物だった。

近頃はスーパーでもあまり見かけなくなったのに、こんなところで出会うとは。ああ、あのさつま揚げも捨てがたい・・・・・・。


「さくら玉 3つと、ちくわぶ、あ、あとさつま揚げも。1つずつください!」


「おいおい、食べきれんのかい?」


「いいんです! わたし、お腹すいてました。忘れてました」


自分でもよくわからないセリフが口をついて出た。案の定、店主さんから、「なんだそれ」と笑われた。


「さくら玉は分けて出すから、まだ入るようなら言ってくれ」


「はい!」


店主さんが種を取り上げるのを、子どものような気分で見ていた。



どれも、本当に美味しかった。

おでんの味にもそれぞれのお店でいろいろ違いがあるのだろうけど、ここのおでんは本当にわたしの舌によく馴染んだ。


それに。


懐かしい光景だった。

こうやって、好きな練り物ばっかり並べて、香りを立たせて、手を合わせて・・・・・・。


「そろそろ、終わりにするかい」


「そうですね。お腹いっぱいです」


「あんた、最近ろくなもの食べてなかったろ」


「わかりましたか」


「当然さ」


ふと、物哀しい思いがこみ上げた。

ここに来るまでの記憶が、頭をかすめた。


「いいもの食べなよ」


店主が、見知った笑顔で手を振った。


「はい。お元気で」


自然と、その言葉を口にしていた。

ずいぶんと安いお勘定をし、のれんをくぐって店を出た。

冬の夜空は、深く遠い。

少し歩いて、そういえば瓶ビールを忘れてきたと引き返してみたけれど、あの屋台はすでに姿を消していた。



14歳。人間で言えば、70歳程度だという。


テーブルいっぱいに、広げた写真。

思い出になったきみの姿は、おこつと一緒に、あの日からそのままになっていた。

そういえば、最後にこのテーブルを使ったのは、いつだったか。

毎年冬に、自分を甘やかすように練り物を取り寄せて、特製おでんを作っていたのも、そういえば久しぶりに思い出した。


峠と言われたその晩は、ずっと起きているつもりだったのに、

気が付いたときには冷たくなっていた。

上手くできないわたしの唯一の、最愛のパートナーだった。


いいことがあったときも、わるいことがあったときも、そのまたもっとわるいことがあったときも。おでんにかぶりつくわたしを、じっと見ていた。


まずは、写真を片付けよう。お骨も、思い出も。あるべき場所へ。

そして、ほとんど空っぽの冷蔵庫を満たしてやろう。


隣町の24時間スーパー。

さくら玉は、売ってるのかな。
























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たまごとおでんと、大根と。 西奈 りゆ @mizukase_riyu

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