7.今日を生き抜く

 家に辿り着いた時、ピンカートンはもう死んでいた。

 口うつしで人工呼吸してもマッサージしても生命反応が戻らない。可愛いカラーを付けたまま息絶えている。さっき炎を吐いて最後の力を使い果たしてしまったようだ。確かめると、口の中まで真っ黒こげに焼けただれている。

「夏眠に入っただけかもしれない … 」

 川田くんが希望的観測を述べてみる。

「違うと思う」

 一夏は首を振って呼びかけ続けた。

「ピンカートン、がんばれ、死んじゃだめ!」

「一夏、着替えて来い。動物病院へ行くぞ」

「うん」

 ふたりはかかりつけのブレンダ・ペットクリニックへピンカートンを連れて行く。


「これは何 ?? ]

 ブレンダは呆れて目を丸くした。見るからに頼りがいのありそうな巨きな体の女医さんだ。

「ドジョウです」と、川田くん。

「とてもそうは見えないわ」

「助かりますか?」

 一夏が尋ねる。

 ブレンダは聴診器と血圧計を使って、少しの間黙って体を調べていた。

「心肺停止状態ね。脳波はどうかしら」

 ふたりは食い入るように脳波計のモニターを見守った。かすかだが波型が動いている。

「まだ望みはあるわ。ポール」と助手を呼ぶ。

 奥から頭の禿げた白い口髭のおじいさんが元気に現れた。

「ATMを持ってきて」

「ATM?」ポールが聞き返す。

「それなら銀行に行かないと … 」

「違う。ETCだった」

「車から外してきます」

「ETCじゃない、アレよ、アレ」

「ICU ? 」

「そう、それ … じゃなくて、アレだってば」

 一度奥に戻ったポールが優勝旗を持って来た。https://www.youtube.com/watch?v=9g5IiOZNFxc

「あなた、分ってやってるわね」ブレンダが睨みつける。

「一刻を争ってるのよ。早くして」

 ポールがもう一度戻って動物用の小型AEDを持って来る。

 受け取ったブレンダはピンカートンの胸に電極を貼り付けて通電した。

 一度、二度 … 三度目のショックを与えた瞬間、心電計や血圧計のモニターが一斉に激しく波打ちだした。ピンカートンのヒゲが動いた。

 川田くんと一夏はきつくきつく手を握り合った。

「喜ぶのはまだ早いわ。これから緊急手術オペするけど、成功しても絶対安静だからね。前代未聞の超重体なんだから。一体全体何をどうすればこんなに無茶苦茶なことになれるわけ?」

 手術が終ると、ピンカートンは包帯でぐるぐる巻きのミイラ姿にされていた。目とヒゲと唇以外は完全にぐるぐる巻きで、ドジョウだか鉛筆だか何だかわからない。ただ、エリザベス・カラーをしているおかげで、傷口をなめて悪化させる心配だけはなさそうだ。

 帰りがけにブレンダがアドバイスをくれる。

「あなたたちドジョウの飼い方を知らないようだけど、なるべくりくには上げない方が良いわ」

 最後に、マドジョウを700匹くらい買えそうな額の治療費を請求されて、川田くんは一夏に割り勘を提案してみた。けれど、一夏はなぜか乗ってこなかった。


 川田くんの神経症は当分治まりそうにない。ミイラ衣のピンカートンの模様が見えないので、これからものモザイクを見続けて行かなければならないのかと思うと、気が滅入って何も手に付かなくなる。

 くして、かつて職業カウンセラーを夢見た我らがプチブル川田くんは、今や自らがカウンセリングルームで悪名高き老講師の指導を仰ぐ身となり、かたや、三年前、川田くんにお尻を見られてしまったとも知らない一夏は、抜けるようなすみれ色の空のもと、クラスメートたちと青春のページを綴り続けて行く。そして、悲運のどじょうピンカートンは、もはや還ることの叶わぬ故郷ふるさとの、幸せだった前半生の想い出だけをひたすら胸に護りしめ、今日も過酷な現実を根性で生き抜くのだ。


 ればしひたげられし民たちよ、今こそプロレタリア大革命にいざや集はめ! 

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ある晴れた日に 友未 哲俊 @betunosi

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