龍と乙女

藤野 悠人

龍と乙女

 とある王国の森にある、大地の大きな裂け目の中に、一匹の巨大な龍が棲んでいました。黒曜石の鱗と、大きな翼を持ち、爪と牙は金剛石のように硬い、森の王でした。


 しかし、銀色の瞳だけは、この地上に住むどんな生き物よりも、優しく、透き通っていました。でも、森中の生き物や、王国に住む人間たちは、みんな龍を恐れていました。龍もそれを知っていたから、無闇に人間と関わろうとはしませんでした。


 夜になると、龍は棲みついている裂け目から飛び出し、その大きな翼を羽ばたかせて空を飛びました。月を背に飛ぶ龍の姿は、より一層巨大に見えます。翼がひとつ羽ばたくだけで、重々しい風が吹きました。森に住む生き物たちは、この羽ばたきに見つからないように、闇の中で息を潜めておりました。


 ある晩、龍が空を飛んでいると、森の外れにある村から煙が上がっているのを見つけました。村にある家々が燃え、黒い煙がもうもうと上がっているのです。


 変だな、と龍は思いました。あんなに火が燃えているのに、悲鳴どころか、人間の動く気配さえ感じないのです。


 龍が村へ行くと、ひどい有様でした。家は全て荒らされた上に焼かれ、村人も皆殺しにされていたのです。恐らく、近くの山に住む盗賊団に襲われたのでしょう。


 可哀想に。龍は村人たちをとても気の毒に思いました。


 その時、物陰から微かな息遣いが聴こえることに気付きました。耳の良い龍がそちらを見ると、幼い女の子が、木箱の陰に倒れているのを見つけました。ケガはしているけど、まだ生きています。しかし、放っておけば、じきに死んでしまうでしょう。


 龍は少し迷ったけれど、女の子を助けることにしました。自分の棲み家の近くに連れて行き、食事と水を与え、ケガの手当てをしてやりました。最初は龍を怖がっていた女の子も、次第に龍を信頼するようになりました。


 ひとりぼっちになってしまった女の子を、龍は本当の子どものように愛情を持って育てました。その甲斐あって、森で生き抜く術と、人間の言葉と、歌を教わった女の子は、美しい娘へと成長しました。


 龍はある日、娘に伝えました。


「お前は人間の国へ行かないといけません」


 娘はとんでもない、と言わんばかりに、首を横に振りました。


「そんなの嫌です。母さんが一人になってしまうじゃありませんか」


 龍は銀色の瞳で、娘を優しく見つめました。


「お前が立派に成長してくれて、私は嬉しいよ。しかし私は龍で、お前は人間だ。動物達をご覧。鳥は鳥と共に、獣は獣と共に暮らすものです。お前も、人間と一緒に暮らさなければなりません」


 結局、娘は人間の住む王国へ行くことにしました。次の日、旅支度を終えた娘に、龍は言いました。


「お前はどこで、誰に育てられたか、決して人に話してはいけません。人間たちは、私を恐れているから。でも本当に、どうしても困ったことがあれば、このお守りを持って、私を呼びなさい」


 そう言って、龍は自分の鱗で作ったペンダントを娘に渡しました。そして、娘は長く親しんだ森と、育ての母に別れを告げて、旅立ちました。


 ひとりの旅路は寂しいものでした。その寂しさを紛らわすように、娘は母から教わった歌を歌いました。美しく澄んだ声は、遠くの方まで響きました。


 その歌を聞いた者がありました。川のそばで、ケガをして動けなくなっていた青年です。青年は気力を振り絞って、助けを求めました。娘は青年を見つけると、かつて母がそうしてくれたように、彼を助けてやりました。


「本当にありがとうございます。私は狩りをするために森に来たのですが、道に迷ってしまって、崖から落ちてしまったんです」


 青年はそう言って、娘に深くお礼を言いました。


 しばらくすると、馬に乗ったたくさんの兵士たちがやって来ました。なんと、青年はこの国の王子だったのです。


 娘は彼らと共に、国王が住む城へ行きました。国王は、王子の無事を泣いて喜びました。息子を救ってくれた恩人として、娘を手厚くもてなしました。


 王子は、娘に結婚を申し込みました。


「あなたの歌を聞いて、助けてもらった時、天使が来たのだと思いました。お願いです。僕と結婚してください。そして、これから国を治めるとき、どうか僕を支えてください」


 王子の妃となった娘は、その美しさと歌声で、多くの人々から親しまれるようになりました。しかし、どこで生まれ、どこで育ったのかだけは、決して誰にも話しませんでした。娘は、母の言いつけをしっかりと守っていた。


 それから更に時は流れ、王子は国王に、娘は王妃になりました。国はしばらくの間は平和でしたが、それも長くは続きませんでした。


 戦争が始まったのです。相手は、隣にある巨大な帝国でした。


 国王は必死になって戦争を回避しようとしましたが、ふたつの国は、もはや分かり合うことなどできないほど、関係が悪化していました。


 その年の春に、最初の戦いが起きました。戦場は、まさに地獄でした。数えきれないほどの兵士たちが傷つき、死に、多くの血が流れました。圧倒的な兵力の差に、負けるのは時間の問題だと、誰もが諦めていました。


 王妃は、静かに祈りました。どうか気付いてほしいと心から願いました。黒曜石の鱗のペンダントを握りしめて。


「お願い、母さん。助けて」


 再び大規模な戦闘が起きた、その時です。その戦場に突然、巨大な龍が現れました。


 黒曜石の鱗と、大きな翼を持ち、爪と牙は金剛石のように硬く、銀色の瞳を見た帝国の兵士は、恐怖のあまり動けなくなりました。


 龍は、恐ろしい声で吼えました。帝国の兵士を薙ぎ倒し、火を吐き、嵐のような風を起こしました。金剛石のような爪は大地を抉りました。黒曜石の鱗は、どんな攻撃も効きません。帝国軍は撤退するしかありませんでした。


 やがて、戦争は終わりました。帝国は龍の存在に恐れおののき、王国と和平条約を結びました。


 戦争が終わり、生き残った兵士たちが王国へ帰ってきました。龍は、彼らを見守るように王国の空を飛びました。もう、誰も龍を恐れませんでした。しかし、龍が本当に見ていたのは、兵士や、国の人々ではありません。


 城を見ると、すっかり大人になった娘が手を振っていました。その近くには、まだまだ幼い子どももいました。そして龍は、これまで人間の誰にも聞かせてこなかった声で歌いました。


 その声は、どんな教会の鐘でも鳴らせないような透き通った音で、国中に響き渡りました。

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龍と乙女 藤野 悠人 @sugar_san010

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