第4話 獣人執事とお嬢様

 入院生活が始まって、数日が過ぎた。

 私の肌は、部分的にとはいえ、かなりボロボロになっているらしい。

 鏡を見るのも、怖かった。

 自室が病室に変わっただけの、いつもと変わらない日々。

 私は、真っ白な寝台の上で本を読んでいた。

 しかしある日、どこかで見たような光景を見ることになる。

 扉の向こうから聞こえてくる、看護師の怒号。そして近づいてくる忙しない足音。


「静かにしてください! 病院ですよ!」

「だって、お嬢様が危篤なんだろ!? いてもたってもいられるか!」


 この、声は……。


 バン! と、勢いよく扉が開いた。


「ああっ、そこの面会謝絶の札が見えなかったのですか!? ここは特別室で……」

「お嬢様……。良かった、生きてる……」


 ヤマトは、よほど焦っていたのか息を切らせていた。

 私は、はっとして顔を押さえた。

 幸い、顔は包帯でぐるぐる巻きにされていて、皮膚の状態はわからない程度になっている。


「お知り合いですか? いいですけど、病院内では静かにしてくださいね」


 看護師は、呆れて部屋を出て行った。


「本当に、ヤマト?」

「うん、本当だよ」

「もう会えないかと思ってた……」


 浮かんできた涙は、顔の包帯を滲ませる。

 包帯が皮膚に張り付いて痛むが、それは些細なことだった。


「ごめん、俺のせいで……。こんな顔にしちゃって」


 ヤマトは、立ったまま申し訳なさそうに目線を逸らしていた。


「でも、どうしてここがわかったの?」

「どうやら、執事長が探偵を雇ったみたいで、見つかっちゃったんだよね。で、事情を聞いてここに来たってわけ」

「黙って出て行くなんて……。執事としてあるまじき行為だわ」

「うん……。ちゃんと、別れを告げてから出て行くべきだった」

「そうじゃない! そうじゃないのよー!」

「えっ?」

「私は、あなたに出ていってほしくなかったの! あなたといる時、とても楽しかったの! だから……」


 ──戻ってきて。

 それは、私のワガママだ。きっと、彼を困らせてしまう。

 その時、スマートフォンの着信音が、けたたましく鳴った。


「うわっ? やば、電源切るの忘れてた」

「ここ、個室だから大丈夫よ」

「そ、そうか。じゃ、ちょっと失礼して……。もしもし? あ、はい、そうです。……えっ? 採用?」


 採用……。そう、新しい仕事を探していたのね。


「はい、はい……。あ~……そのですね……。すみません、他が決まってしまったので、採用は取り消して頂けますか?」


 言いながら、ヤマトは顔だけこちらを向いて笑顔でウインクした。

 えっ?

 

「……はい、すみません。失礼します」


 通話を終えて、こちらに向き直った。


「い、いいの?」

「うん。俺も、お嬢様と一緒にいられるなら、嬉しい」


 ヤマトは、椅子に座って私と同じ目線で話してくれた。

 こんなにも、真っ直ぐに人と向かい合ったのは初めてだった。


「ねえ、お嬢様の病気、治したい?」

「そりゃあ、もちろんよ。早くお日様の下を歩いてみたいわ」

「じゃあ……。俺と一緒に生きていく覚悟、ある?」

「えっ?」


 一体、どういう意味だろう?


「俺と一緒に生きていくってことは……。大抵の場合、軽蔑と偏見の視線がくっついてくる」

「そんなの……。とっくに経験しているわ」


 私は、顔に巻かれている包帯を取った。陽の光で焼かれた皮膚が、どんどんあらわになる。

 ヤマトは驚いた顔をしたが、決して嫌なものを見る表情ではなかった。

 優しい表情で、頭を撫でてくれた。


「ひどい顔でしょ?」

「でも、俺を探してくれた、名誉の勲章だ」

「物は言いようね」

「本当だよ。俺のお姫様」


 ヤマトは、淡く微笑んで私の唇に口付けた。その瞬間、まるで乾いた心の中に、温かいものが流れてくるような感覚を覚えた。こんな私でも受け入れてくれた彼を、私は愛していた。


「よし、うまくいったみたいだ」

「え?」

「鏡を見てみて」


 鏡を見るとそこにあったのは、艶のある肌色。元通りになった私の顔だった。

 思わず頬を撫でた。


「えっ? えぇっ、どうして!?」

「うん……。獣人は普通の人より体力があるし、力もあるし、陽の光に弱いなんてことはないから、お嬢様の病気にも効くんじゃないかって思って。ちょっと、俺の……獣人の力を分け与えたんだ」

「今の、キスがそうなの?」


 少し、がっかりだった。病気を治すための目的で、愛情ってわけじゃなかったのね……。

 でもまあ、治っただけでも良しとしなきゃいけないのかしら?


「う、うん……。でも……」


 ヤマトの歯切れが悪くなった。

 何か、隠しているわね? と私は彼に詰め寄った。


「退院したら、教えるよ」


 その後、診察に来た医者が私の顔を見て驚いたのは、言うまでもなかった。

 二週間の入院と言われていたのに、五日で退院できてしまったのである。


 そして、次の満月の夜──


「お嬢様ーっ!! 元気になられたとはいえ、夜遊びは許しませんぞ!!」

「ごめんね、執事長~! ちょっとだけ!」


 後ろから執事長の声が聞こえたが、今の私はリミッターの外れたエンジンのように興奮し、館の外を走った。


「はははっ、すぐに慣れちゃったね」

「でも、まさか私まで獣人になるとは思わなかったわ」


 そう、私はヤマトから獣人の力をもらったが、その効果は病が治り皮膚が綺麗になっただけではなかった。

 耳と尻尾、あのジャンプ力やパワーも手に入れてしまったのだ。

 なので、満月の夜はこうして2人とも獣人の姿になって、思いっきり夜の森を散歩できるようになった。


「ねえ、もし私やヤマトが他の人にキスしちゃったら、その人も獣人になってしまうの?」

「ううん。強く願わない限りは大丈夫だよ。でも俺は、お嬢様以外にキスするつもりはないからね」

「えっ? ちょ、ちょっと! 今の、どういう意味!?」

「そのまんまの意味だよ!」

「ええええぇぇっ?」


 ヤマトが、私の手を取って前を走る。

 私は、鼓動が早くなる。

 夜の闇よ、どうか私の赤くなった顔を隠してください。

 そして願わくば。


 ヤマトが振り向きませんように。



─ 完 ─

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ワケありお嬢様は夜空の下をゆく 草加奈呼 @nakonako07

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