Day 2 -2

 ベタつく肌に昨日と同じ衣類を身につける最中さなか、唐突に雨はやってきた。

 フロントガラスに鉛色の水滴がポタリポタリと垂れ出したのも束の間、アッという間に猛烈な土砂降りがe-HMMWVハンヴィーを襲う。 


 ”運転中じゃなくて助かったかも” 

 寝坊を棚に上げ、安堵してしまう程の雨量。


 「本物の雨だ……」

 助手席からの小さな独白に振り返れば、アレックスがドアガラスに顔を貼り付かせている。

 言われてみれば、この御時世……家に窓があるのは、余程の高給取りか、廃棄区画で暮らす難民たちと相場は決まっている。地下三階層のメゾネット住まいの私同様、《研究所ラボ》に収容されていたもまた、四季や天気に直接触れる機会が殆ど無かったのかも……。


 「ほんの少しだけ窓開けてもいい?」


 「待って!」

 慌てて開閉機構をロックした私は、運転席脇の情報パネルを弄り始める。


 この手のデバイスには仕事柄慣れており、迷うことなく車体四隅の環境センサにアクセスすれば、返ってきたpH値は案の定2.8程度――紛うことなき酸性雨。

 化学熱傷や失明の恐れはないが、髪の毛が濡れてしまえば脱色は避けられない。


 「NBC警告カナリヤはギリ許容範囲だけど、ちょっと無理かな。きっと、雨の酸っぱい臭いで気持ち悪くなるよ」


 「残念……ねぇ、昨晩の《蟲》たちは何処で雨をしのいでいるのかな?」


 多くの節足動物は湿度や気圧を検知する感覚子を持ち、本能的に雨を避ける。

 避難先はアスファルト痕を割って繁る低木だろうか? それともヒトが住まなくなって久しい廃屋群だろうか? なんにせよ、過酷な自然環境の中で壮絶な生存競争が行われているのは想像に難くない。そうでなければ、とっくに人類の生存圏まで《蟲》が押し寄せているだろう。


 自分の持ちうる知識を要約して伝えた後は、暫し互いに無言の時間が流れる。

 きっと車外は会話すらままならない轟音だと思わせるが、汚染大気を遮断すべく与圧された車内は薄暗く、僅かな振動が伝わるのみで静かなモノだ。 

 

 ”さてと……たちまち問題となるのは……トイレね。何とか外で済ますつもりだったけど現状だと絶対無理……運転も勿論無理……となると……”


 私は足許から汚れた白衣を拾い上げ、愛用のメモ帳とペンを引っ張り出して、照明を全灯にする。


 「アレックス、手伝ってくれる? 二人で車内を大捜索するわよ」





 #######





 「おねーさん、電気ケトル見つけたよ!」

 「でかした アレックス君!」


 「こっちは毛布ね!」

 「おねーさん、枕は無かった?」


 貨物スペースに山積みになったプラコンテナの中身は、ほとんどが州軍の放出品。それでも目ぼしいモノが見つかる度に、自然と歓声が上がる。


 勿論、コレらの物資が他人の所有物だった事実を忘れてはいない。

 ”罪悪感を抱えても、今更どうしようもない。せめて有効活用しないと”

 ソレが身勝手な屁理屈だと自認しつつ、奥へ奥へとコンテナの開封確認作業を進めていく。


 電子ロックの掛かったジュラルミンケースもあったが、解錠のアテは無く早々に放置を決める。結局、最後尾のダブルバック観音開きドアに辿り着く頃には、小一時間が経過してしまっていた。



 何とか作業を終えた私はコンテナを椅子代わりに、メモ帳にリストアップされた内容を覗き込んでいる。


 レーション(1日三食分)x19箱

 飲料水 ハーフガロン(1.89L)ボトル x43本

 飲料水 16オンス(473mL)ボトル x22本

 簡易NBC防護衣 3セット

 酸素供給式ガスマスク 3セット

 軍用チョッキ? 10セット

 パワーアシストユニット x1

 軍用衣類(男性用SML)各5セット

 シャツ・靴下・下着・タオル(男性用SML)各15セット

 軍用ブーツ 10セット

 ヘルメット 10セット

 与圧テント 2セット 

 携帯無線機 3セット

 水筒(1.2L)10セット

 毛布 10セット

 医療キット 10セット

 サバイバルツール 5セット

 電気ケトル 2セット

 

 私物らしき大型バッグから

 メスキット、ステンレスカップ、プレート類 3セット

 トイレットペーパー、アルコールスプレー、石鹸といった消耗品

 紙媒体の道路地図や旧紙幣の束

  

 業務用台車(耐荷重 300kg)x1

 

 当面の水と食料は確保できたと考えても良いだろう(飲料水だけなら二人で10日、食料は2週間以上持つ)。食器や毛布が見つかった反面、無線機やヘルメットや軽作業PAU等……正直、役立ちそうにない物品も多い。


 しかし、嬉しい誤算もあった。

 なんと、車体後部に増設されるカタチで《トイレ兼 除染シャワー室》があったのだ。

 民生用オプションユニットらしく、与圧された車内からでもアクセス可能。早速使用してみれば、小柄な私ですら壁面に両肘が当たりそうな極狭空間だったが、プライバシーが確保された個室と思えば文句のつけようがない設備だ(最悪、積み上げたコンテナを目隠し代わりにして……と覚悟していただけに、盛大に安堵したのは言うまでもない)。



 メモ帳を閉じて、(いそいそと)トイレに籠もったが戻らぬ内に、大きく伸びをして溜息を一つ。


 ”にしても疲れたぁ。……いっそ、お茶休憩にでもしようかしら?”


 肩や首をコキコキ鳴らしながら半目を見開けば、酸性雨で汚れが綺麗に拭い取られたガラスの奥に、昨日と変わらぬ曇天が見えた。


 ”雨が止んだ!?”


 「アレックス、ごめん! ココア淹れてあげるつもりだったけど我慢して! 寝過ごした分を取り戻すから」  

 山積みのコンテナを越えて運転席に転がり込んだ私は、休眠状態だったモーターエンジンを始動させる。

 

 途端――

 数百、数千の小さなシルエットが視界を埋め尽くした。


 「凄い! 蝶の大群!」

 間髪入れず、車内後方からハスキーボイスで歓声が上がる。

  

 正確には、e-HMMWVの下で雨上がりをジッと待っていた鱗翅目だとしても、ソレを指摘するのは無粋というもの。

  

 興奮した声が収まるのを待ちながら、目を瞑って頭にチラつく様々な不安や後悔、そして鈍い頭痛を沈み込ませる。

 暫くして助手席から、シートベルトを装着するカチャカチャ音。


 「を堪能できた? それじゃ車出すわよ?」


 恥ずかし気な笑顔を見せるアレックスの髪をクシャクシャと撫でて、アクセルペダルに足先を乗せる。


 先ずは、落ちてしまった大穴クレーターからの脱出。

 泥濘んだ地面に加え、私の運転技術で可能なのか? 正直自信は無かった――。

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