Day 1 -4

 ”イタたた……”


 派手に打ち付けた側頭部が痛むが、それどころではない。

 私は目下、ワキ見運転が原因でクレーターに滑り落ちたe-HMMWVハンヴィーの取説書と格闘している。


 幸い横転だけは免れるも、既に薄暮時間は終わり、周囲も車内も真っ暗。

 それでも緊急停止したエンジンは勿論、エアコンや照明すら点けずにいるのは、フロントガラスやボンネットに群がり始めた《蟲》の所為だ。

 

 ガラス1枚隔てて無数に蠢く、20センチを超える半光沢の羽虫たち……とても正視に耐えない光景。端的に言って地獄絵図。

 咄嗟に浮かんだ ”このまま一晩中、目を瞑ってやり過ごす” という選択肢は、急激に下がり始めた車内温度が許してくれそうになく、何より朝まで正気を保っていられる自信が無かった。


 ”この手の軍用車両なら、にも対応している(ハズ)……”


 無言のまま、今や唯一の光源となったペンライトで取説のページをなぞり続ける。

 

 そんな私を、が心配気に見つめている。

 シートベルトのおかげで怪我こそ無かったものの、事故に対して恨み言の一つもこぼさず、膝を抱えた姿勢でジッと黙ったまま。


 きっと寒さも含めて、色々我慢しているに違いない。

 申し訳なさで焦燥感が一層募るが、細かな文字に目が滑るのを繰り返すだけ。

 更には疲労と頭痛が邪魔し続ける中、ついに《野営モード》に関する記述に到達。取説とハンドル周りを何度も見比べ、目的のスイッチにどうにか辿り着いた。


 ”お願い!!”


 まかり間違ってヘッドライトが煌々と再点灯しないよう祈りながら、震える指先でスイッチをスライドさせる。

 途端、透明だったフロントガラスやドアガラスが濡れた黒褐色フルスモークへと変貌し、眩しげにルームランプの全てが一斉点灯、エアコンが再び暖気を吹き出し始める。

 

 自分でも、ビックリするほど大きな溜め息が漏れ出た。

 そのまま座席に崩れ落ち、震える手でドリンクホルダーに挿さったペットボトルを口に運ぶ。

 

 ”あの男のだったとしても構うものか!”


 生温いミネラルウォーターが、渇ききった体内へと染み込んでゆく。

 全てを飲み干したいという欲望を何とか抑え込んだ私は、残り半分を後部座席に差し出した。


 「君も飲んだ方がいいよ」


 そう言い残して、腰を屈めたまま車内の後半分を占拠する貨物スペースまで移動する。無意識に耳を澄ませば、コクコクと喉を鳴らす音。

 

 ”間接キスめいた行為を露骨に拒否されなくて良かった……”

 場違いな雑念が浮かぶ程には回復した頭を働かせ、大量に積まれたプラコンテナを一つ一つ改めていく。


 ”とにかく『水』と『食料』!”


 今日という一日を経験して、銀行から持ち出した高額紙幣や有価証券が何の役にも立たない事が理解できた。

 おそらく、どんなに57号線IH-57をひた走っても、場末のコンビニに出会す事すら有り得ないだろう。


 自分の無計画ぶりを棚に上げ、両腕が必死にコンテナを漁り続ける。

 もし、この車内に食料や飲料水が積み込まれていないければ、否応なく《シカゴ》まで戻らなくてはならない。そうなってしまえば、十中八九……は再び《研究所ラボ》の被検体に……。

 

 ”絶対にあるはず! 無いはずがない!”

 

 五つ目のコンテナから、ソレは唐突に姿を現した。

 ――携行食品らしき幾つもの段ボール箱。


 安堵から漏れかけた嗚咽をこらえ、私は精一杯の作り笑いで振り向く。


 「遅くなったけど、晩ご飯にしましょう!」


 初めてが見せてくれた笑顔は、年齢相応の無邪気さに溢れていた。

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