婬櫃 -the casket

あーてぃ

1日目

Day 1

 合成皮革の焦げる臭い。そして車内に漂う血臭――

 「ハッ ハッ ハッ」 全力疾走じみた荒い息が喉から無限に漏れる。


 ”どうして!?……”

 今になって、突き出されたままの両腕がガタガタと震えだした。

 

 ”こんな拳銃モノ撃った事すら無かったのに!”

 発砲の事実を認めた途端、霞がかった視界がようやく像を結ぶ。


 血が点々と跳んだダッシュボードにハンドル。

 運転席側のドアは大きく開き、座面シートの上には血まりだけが残されている。


 「警報音カナリヤが鳴ってる……」


 汚染大気の存在を知らせるN・B・C放射能・生物・化学警報器が鳴り響く中、後部座席からハスキー気味の小声が届いた。


 私は首振り人形ボビンヘッドの様に無我夢中で頷き、シートベルトを振り払って助手席から精一杯身体を伸ばす。

 

 ”あつッ” 発砲直後の空薬莢が掌にくい込む感触。

 両腕を滑らせる妙にヌルッとした液体。

 ソレらに構う余裕もないまま、抵弾素材ライナーで内張りされた無骨なドアを力任せに引き寄せる。

 

 バタン。重量物ドア密閉材ゴムとの衝突音。

 数秒開けてプシュという圧搾空気音。

 車内与圧が復活したらしく警報音が徐々に小さくなっていく。

 

 「正当防衛レジティメトだよ。あのままじゃ、きっと酷い目に合ってた」


 「……そうね、その通りよ……」


 息も絶え絶えで後部座席にそう返すが、ドアの下部からチラリと覗いた男性の末路 ――むき出しの太腿と脱ぎかけのパンツ……そして苦悶の表情―― が脳裏から離れない。


 私は目を瞑ったまま深々と座席にもたれる。利き手にはズッシリと重たい凶器拳銃が握られたままだ。


 「本当に連れて逃げてくれるの?」


 耳朶を震わせたのは、至近距離からの囁き声。

 纏まらない思考を放り投げて目を見開けば、年端も行かぬ少年が身を乗り出して私を凝視している。


 ――整った貌立ちの中でも特に印象的な、深く濃い茶色ダークブラウンの瞳。

 その縋るような眼差しが、際限なく湧き上がる罪悪感を有耶無耶にしてしまう。


 ”そうよ今更だわ! 私はと決めたのよ!”


 今朝クリーニングから帰ってきたばかりの白衣を脱ぎ捨て、車内に跳び散った血液を乱暴に拭い取る。

 普段、自律走行車オートモビルに乗る機会すら滅多に無いが、この状況では言い訳にもならない。低身長ゆえの視界の低さに閉口しながら運転席に収まった私は、怪しげな知識頼みで足板ペダルにパンプスを載せる。アクセルかブレーキかの確率は1/2(多分)。


 「シートベルトだけはシッカリしといて!」


 そう振り返って叫んだ直後、e-HMMWVハンヴィーの名で知られる大型軍用ジープが電気駆動独特のモーター音を奏でながら悪路を走り出した。



 私と、二人きりの逃避行が始まった――。

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