6

「お役目、よく果してくれた」

 埃ひとつない、床の間のある座敷。奥に座っている元名主がそう言った、ような気がした。頭の中にこびりついた笑い声と羽音のせいでよく聞こえない。座敷の脇に並ぶ大人たちの誰かが、

「見ろよ。白髪が」

 とささやきあうのも、はるか遠くから聞こえてくるかのようだ。

「正直、お前では不安もあったが、なんとか務めてくれた。明日からは新しい語り部がお役目をするから、今日はゆっくり休め」

 はあ、という気の抜けた返事が、口から勝手に出る。無礼な返答を叱る大人の声もまだ、薄い膜を通しているかのようにぼんやりとしている。


 去れ、と言われたような気がして、ゆっくりと立ち上がる。膝が、腕が、うまくいうことをきかない。


 けれども、終わった。

 お役目は終わったのだ。いずれ調子も戻ってくるだろう。明日になれば、きっと畑仕事もできるようになる。すべて――あの語り部のじいさんがいなくなったことを除けば――元の日常に戻る。

 帰ってひとりになったら泣いてしまうかもしれないな、とふと思った。


 座敷を出ようとしたとき、慌ただしい足音が聞こえてきた。女中と話し合う男の声がしたかと思うと、村人のひとり、はす向かいに住む男が、一枚の紙を握りしめて座敷に駆け込んできた。


「次の語り部が逃げました」

 男はそう言って、紙を元名主の前に差し出した。元名主が紙を取り上げる。電報送達紙らしいそれに何度か目を走らせ、顔を険しくして畳に置く。


「この村から町に出稼ぎに行ったやつが、化け物のことを次の語り部に吹きこんだらしい。それで恐れをなして、迎えに行ったときには家はもぬけの殻だと」

 場のあちらこちらで会話が交わされる。最初は高かった男たちの声が低められ、ひそひそ声になり、無言になり、場が静まりかえり。

 元名主が言った。


「明日からも、こいつに任せるしかあるまいな」


 その場にいる全員の視線が、俺に集まった。

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蝶のもののけ 北沢陶 @gwynt2311

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