5

 ぱた。ぱたぱた。

 羽音が途絶えない。蝶が何匹いるというんだ。こんなところで、蝶が生きていられるのか。蜜もなにもない地下の座敷牢で。


「お前はつなぎにしてはよく語ったな。だが違う。最後が違う。いや、正しくいうと、足りないところがある」


 ぱたぱた。ぱたぱた、ぱた。

 蝶は――こんな大きな羽音を出すものだっただろうか。


「俺は最後の日、あの男を褒めてやった。七年間、よく務めあげたと。その礼をしなければならない、とも言った」

 蝶の者が口を開ける。顔を覆っていた白い髪が動き、目がわずかに覗く。

 いや、目、なのか。何かが違う。目にしてはでこぼことしている。カンテラに照らされ、作り出された影の形がやけにいびつだ。

「だから、礼に俺も、噺を聞かせてやった」

 

 おもしろい噺をな。愉快な噺をな。


 蝶の者が言う。羽音が頭の中を掻き回す。無数の蝶が、カンテラの光に一瞬照らされては陰に引っ込む。


 蝶。

 蝶、なのか。


 羽が分厚すぎる。輪郭が丸すぎる。楕円を半分に切ったような、妙な形をしている。


「あまりにもおもしろい噺だから――」


 化け物がすっと両手を上げ、顔を覆っている髪をかき上げようとする。

「――これ以外の噺は一生聞きたくないと――」


 びたん。

 視界の端で、何かが格子にはりついた。


「――耳を切り落としてしまうほどに」


 びたん、びたんびたんびたん。


 格子じゅうに、無数の見慣れたものがはりつく。耳。青白い両耳。切り落とされた部分でくっつき、蝶のような形をして。

 ずっと聞いていた羽音は、この耳の群れがなす音だったのか。


 蝶の者がゆっくりと、前髪を左右に割った。

 本来ならば目のある場所に、人間の耳がはりついている。いくつもいくつもはりつき、蝶の羽のように動く。

 蝶の者が首をゆっくりと傾げ、笑った。今までよりももっと大きく、裂けんばかりに口を開いて。


「今までで特に噺のうまかった者の耳は、ここにはりつけるんだ。ほまれだからな」

 息ができず、動けもしない。格子にはりつくおびただしい数の耳と、その異形の顔につけられた耳の、すさまじい羽音とはばたきが、頭の中をおかしていく。

 その場に固まったまま蝶の者の顔を見ているうちに、ふと人間ならば左目にあたる部分ではばたいている耳に目が引きつけられた。耳たぶに、ほくろが三つ。

 確かに覚えがある。何度も訪れたあの小屋で、噺を聴きながら、少し気になっていた、あの、耳。


 ふいに、語り部のじいさんの、血で赤く染まった身体を思い出す。

 あの語り部の死体に――

 耳はあっただろうか。


「前の語り部はとても良かった。おまけにきちんと七年務めあげた」

 にたりとした笑みを浮かべたまま、蝶の者がささやく。

「お前は一日だけだが、がんばったからなぁ。おもしろい、おもしろい噺だったからなぁ」

 羽音がさらに激しくなる。化け物の顔についている耳も、ちぎれんばかりにはばたく。


「礼に、噺を、聴かせてやろうか」


 さっと身体中に冷たい血が走り、気が付けば座敷牢の前から半ば這うように逃げ出していた。長い廊下の途中、カンテラを忘れたことに気付いたが、もう戻れない。

 高い笑い声が追いかけてくる。暗闇の中、這っているうちに階段に腕をぶつけ、手と足を使って獣のように登りきり、分厚い扉を開き。

 

 屋敷の外に出てようやく、どうにか足がいうことをきくようになった。けれども、沼を通り過ぎるときも、墓場の脇をよたよたと歩いているときも、まだあの笑い声と、嵐のような羽ばたきが耳から離れなかった。

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