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 いまさら噺を変えることなどできない。俺は蝶の者の赤い口から視線を離せないまま、語り続けた。


「化け物は言った。自分は飯も水も要らない。ただこのようなところに閉じ込められては、退屈で仕方がない。誰かひとり、村人の中から話の巧いものを選んで、毎日噺を聞かせてくれ。それさえしてくれれば、おとなしくしている。ただし、」


 ――おもしろくない噺であれば、村がどうなるか分からないぞ。


「僧も戦いで負った傷のためたおれた。化け物の言うことをきくしかない。数少ない生き残りのなかで、話の巧みな男が選ばれたが、男はこのような役目を何十年も背負えないと訴えた。そして男は、化け物にこう持ちかけた」


 ――七年だけ話す。七年経ったら、別の話し手を用意する。それで許してくれ。


「七年など……」蝶の者が言った。「俺にとっては一瞬だ。あの男の言っていることはよく理解できなかったが、七年は人間にとっては長い、と涙ながらに訴えられてな。まぁ、そうだな。俺にも情があったということだ」

 情の欠片もない、氷柱つららのような声だった。


「おっと、俺が喋ってもしょうがない」相手はわざとらしく笑った。「語り手はお前だ。続きがあるんだろう。話せ」

 カンテラの中で、蝋燭ろうそくがじじ、という音を出す。ようやく深く息を吸う。相手は怒ってはいない。大丈夫だ。うまく語り終えさえしたら、無事に帰れるはずだ。


「男は村の中で『語り部』と呼ばれるようになった。毎日、雨の日も雪の日も、座敷牢に通って化け物に噺を語った。じきに男の知っている噺の種は尽き、次の日に語ることが思いつかないときなど、朝方まで悩みながら噺を作った。そうして一年経ち、二年経ち、もうすぐ七年が経つというころには、男はお役目の重みからやつれ衰え、三十過ぎだというのに老人のようだったという」


 語りながら、俺はふと語り部のじいさんのことを思い出した。じいさん、と呼んでいたが、ほんとうにそんな年齢だったのか。俺が八歳ほどのころ、じいさんが語り部のお役目を仰せつかったときには、死んだときより何十歳も若いように見えたが。

 やはり今、語られている男と同じように、たった七年の間に老け込んでしまったのか。


「豊作を願う祭りの日。男が話しはじめてから、ちょうど七年が経った。男は最後の噺を語り終え、化け物に懇願した」

「『今日が最後だ。新しい語り部は決まってある。わたしを解放してくれ』」

 蝶の者が静かに、俺の話を引き取った。


 羽音がする。座敷の奥、暗闇の中から。さっきよりも大きく。ぱたぱた。ぱたぱたと。


「……そう。そして化け物は男の願い通り、『語り部』のお役目から外した。次の日から来る、新しい『語り部』を待って――」

「違う」

 低い声が、座敷牢の天井に反響した。

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