4 ノエル、同衾する(強制イベント2)。
食欲もなかったので、さっさと支度を済ませてベッドに潜り込んだ。
いつもなら翌日の授業に向けて予習、復習をするところだが、最低限の課題は済ませている。対となっている左側のベッドにアルスロットがやってくる前に、眠ってさえいれば強引に起こされはしないだろう。自分で言うのもなんだが、私は寝汚い――いや睡眠欲求がかなり強い。一度、強引に起こそうとしたアルスロットを寝ぼけてはっ倒したことがあり、それ以降は警戒されていた。
『おーい、本当に寝ちゃったの? まったく、薄情だなぁ……』
何度か揺さぶられたような気がしたが、寝返りを打ったときに振り上げた拳が何かに当たって、ふぎゃっ、と猫が尾を踏まれたような悲鳴が聞こえた。
お察しのとおり寝相も悪いのだが、私は一度眠りにつくと滅多なことでは起きない。特に私の安眠を邪魔しそうな者がいれば容赦なく排除してしまう習性があるようだ――そんなことは寮生活を始めるまでは気づきもしなかった。
翌朝目が醒めたときに、ぼんやりとそういえば昨夜何かあったな、とは思うものの、起き抜けのふやけた思考の中に、その淡い記憶は溶けてしまう。だからアルスロットが、たとえ一国の王子にはふさわしくない類の悪態を吐いていたとしても、まったく記憶には残らない。
消灯時間を告げる鐘が遠くで鳴っている。
規則に従って、礼拝堂の鐘を管理人がついているのだ。以降の外出はどんな理由があろうと禁じられているし、寮内でも移動は厳禁だ。我が青焔寮の寮生は真面目で賢明な生徒ばかりだから、寮長の目の届 くようなところで馬鹿騒ぎするような阿呆な真似はしない。
ああ、これで落ち着いて眠っていられる――怒涛の勢いで「ノエル・エテルネル」に襲い掛かって来た半日の出来事が、明日にはすべてなかったことにならないだろうか。そんな期待を胸に、深い眠りに落ちていった。
こと、と深夜の自室で、不審な物音がしたことに、気がつかないほどに。
ことことがたがた、と何かが震え、揺らされているような音が連続する。
まるで誰かが窓枠を掴んで、こじ開けようとしているような。
そのせいだろうか、私は夢を見ていた。
私が「俺」だった頃も、同じような音が聞こえたことがある。
あれは高二の冬……二月十四日、バレンタインデーの早朝のことだった。
十年に一度の荒天だとしきりに報道されていたから、デートや何やらすべての予定は前倒しして、前日の十三日に十人の彼女たちからのチョコレートやら何やらを貰い受けた。分刻みにスケジュールを組んで、用事があるからとすぐに別れ、別の女の子との待ち合わせ場所へとひた走る。こういうイベントごとは、事前の計画と動線の確認とタイムマネジメントがものをいう。数日前の天気予報を見て慌てて組み立てたとはいえ、それなりに上手く行った。
やれやれ、と達成感でふだんより早めに就寝していた俺は、明け方、半覚醒に近い状態でまどろんでいた。
こんこん、という音が窓の方から聞こえた。普段は寝起きが悪いはずだが、何か予感めいたものがあったのだろう。ふいに、沈んでいた意識が浮かび上がった。
こんこん、と鳴り続けている音の正体は、誰かが窓を叩いているのだと気づく。まだぼやけた頭で誘われるように窓辺に近づく。冷えた床に爪先が触れ、凍りそうだ。
カーテンを開けば大雪の予報どおり、一面真っ白な世界が広がっている。
『……え』
そこに、有り得ないものを見た。
ベージュのタータンチェックのマフラーに顔を埋めた――しかも昨日、顔を合わせたばかりの彼女が、窓の向こうに立っている。
『カ、カズサ……?』
その強烈な印象のせいで、まるでこの世界に舞い降りた白い天使のようにも見えた。
だが、そこはベランダで、二階である。
なんで、と、どうやって、が脳内をぐるぐる回って正面衝突したとき、くもった窓硝子越しに「せんぱい」と蜜のように甘い後輩の声が聞こえた。
『開けて』
――早く、窓を開けて。
――目を、開けて。
瞼が重く、持ち上げるのも億劫だった。
「……う」
私の眠りを妨げたのは鈍い頭痛と耳鳴りだった。
就寝前に波のように押し寄せてきた疲労感がいまだに体の内側に居座っている。前世の記憶が戻ったせいなのか、単なる気疲れかは定かじゃない――今後の学院での立ち居振る舞い含めて、懸念材料が多すぎるせいもあるだろう。
ああ、許されるならこのまま惰眠を貪り続けたい。
模範的な優等生だといくら持ち上げられようが規則正しく起床したいわけがない。私の唯一と言えるほどの欠点がこれである――寝起きが悪い。
もう小指の先さえ動かす気にもならない。今朝は妙に鳥の囀りがうるさく聞こえるが、二度寝のためのBGMぐらいにしか思えなかった。部屋に差し込む朝日を避けるように壁際を向いて、胎児のように身体を丸める。
朝……朝だ……副寮長たるもの遅刻など許されない、と内なる声が訴えかけてくる。
まったく、このくそ真面目な性格、なんとかならんのか。
およそ百回目の葛藤の末、私は「起きない」努力をやめ、魅力的な誘いを跳ねのけることに成功した。やれやれ。
起き上がろうと身じろぎすると、肘が何かに触れた。
寝床に持ち込んだ教本か、と思ったがそれにしては――感触が、違う。確かめるようにごろりと寝返りを打ち、手を伸ばせば、何か柔らかいものに触れた。
「……?」
むにゅ、とやわらかく温度のあるもの――しかも無機物ではなく、有機物だ。
確かめるようにむにゅむにゅと掴んでは揉んで、を繰り返してみる。なじみのある心地好さであり柔さだったが、これが何であったのかをどうにも思い出せない。あー、もどかしいな。むむ、何だ……クッション、じゃないな。
もっと言えばほら、脂肪分の塊……と思ったところでふとんを勢いよく足で蹴っ飛ばし、跳ね起きた。
「ぎゃっ⁉」
叫び声をあげながら、すうすうと寝息を立てている少女――の胸を鷲掴みにしていた手を勢いよくひっこめる。
「おま、お前っ、な……」
真っ白なシーツに、散らばった黒髪が映える。長い前髪が少女の寝顔の半分を覆い隠していたが、これが誰だかわからない、なんて。白々しいことは言うまい。
狭いベッドのうえで、私と身体を寄せ合い、ごろりと横たわっていたのは間違いなく千本木カズサ……【
「ふぁ……早朝からうるさいですねぇ」
言葉が出てこない私を前に、気ままな猫のように、ぐいと伸びをする。
かったるそうに眼をこすりながら身体を起こしたカズサを見て、あんぐりと口を開けてしまう。白い清楚なパジャマは支給されたものだろう、よく似合っているが、やけに胸元が開いているような、と思ったら釦を掛け違えているのか。って、いまはそういう問題ではない。
「安眠妨害ですよ?」
「だーかーらー! そういう問題じゃねえんだよ!」
頭がおかしくなりそうだ。あれ、カズサって、こんなやつだったか?
話、通じない系……? いや「俺」のいうことは従順にきいてくれたはずだ。時々、粘着質っぽい一面が垣間見えたこともあった気がするが、それは記憶違いというやつだ、きっとそうに決まっている。
気を取り直して(カズサから距離を取って)ノエル・エテルネルらしい行動に引き戻した。
「――おい【
「むう。怒鳴らないでください……私、大きな声も、怒られるのも、苦手なんです」
ひどい、と潤んだ瞳で見上げるものだから、罪悪感がちくちくと私を苛んでくる。なんでだよ、おかしいだろ、こっちは何も悪いことをしてはいないんだから。
ぐぬ、と口元を引き締めた私を、カズサはじっと見つめている。
「あの、ノエルさん……でしたよね。私、あなたにお話したいことがあったのですが、揺さぶってもあれやこれや何をしても一向に起きてくださらなかったので。そうしたらだんだん、私も眠くなってきてしまったのでした。おしまい」
「おしまい、で片づけて堪るかっ、あれやこれやってなんだ⁉ そもそもだな、おまえはどうやってこの部屋に侵入したんだ……あっ」
言いながら思い出してしまった……【
「……あなたは、やはり」
「ふあ、ノエル? 大声で何を騒いでいるの……?」
カズサの声を塗りつぶしたのは、ルームメイトの寝ぼけた声だった。
部屋の対面にあるアルスロットのベッドと、私のベッドを仕切るカーテンが「待て」の制止を無視して、さっと引かれた。
「お、おい……勘違いするな、誤解だ」
咄嗟に出た言い訳などまったく耳に届いていないだろうアルスロットが、ベッドの上で向き合う私とカズサの姿を注視する。
室内に沈黙が満ちた、その数拍後のことだった。
「あははははははは!」
爆発したような笑い声が響き渡る。
「おまえ! 指を指して笑うな!」
「無理無理。だって、あのノエルが女の子を連れ込んでるんだよ? 歴史に残る珍事だね! 去勢でもされてるんじゃないか、って一部の男子の間では評判だっていうのにね! あー、笑いすぎてお腹痛い」
「おいその一部の男子とやらに話があるから名簿にして寄越せ」
やだよ、とけたけた笑いながらアルスロットが腹をさすっている。
「くく、失礼した。ノエルが面白すぎて挨拶が遅れてしまったな。寝起きのはしたない姿を見せてしまってすまないね、プリンセス」
「は? 私はそんなたいそうな者ではありませんが」
「口癖だから気にしなくていい。こいつにとって目にする女性すべてが『プリンセス』だ」
同級生、上級生、教員、さらには食堂のおばちゃんにも「プリンセス」。身分、立場によらず女性には等しく敬意を払っている、とはアルスロットの談だが、どうだか。確かにこいつは物ぐさだし女たらしの変わり者だとは思うが、あえてそういうふうに振る舞っているのだろう。第二王子としての処世術、とでもいうのか。
「ごきげん麗しゅう、【
爽やかな笑顔を浮かべたアルスロットは、そのまま優雅に一礼をした。さすがはSSR王子様キャラ、いちいち決まっている。
「……千本木カズサです」
対するカズサは淡々と振る舞っている。
見るからに王子、美形――マグノリア学院に通うたいていの女子生徒はアルスと目が合っただけで失神しかねないのだが、その気配はないようだった。それどころか警戒するように、私の背中に隠れるように後退った。
そんなカズサのようすをしげしげとアルスロットは観察している。くるりと回り込んで、視線を避けて俯いた顔を覗き込んだ。
「……興味深いなぁ。ねえ、ノエル。この黒猫ちゃん、いつの間に手懐けたんだい?」
「はあ。殿下、まったくの誤解です。からかうのもほどほどに」
わざとらしいとは思ったが、こほんと咳払いをした。
動転していたせいで人前だというのに口調が砕けすぎてしまっていた。部屋の外に待機している王室の侍従やらに見つかったら、不敬罪に問われかねない。
手綱でも引くようにぐいぐいと服の裾を引っ張られ、仕方なく振り返ればカズサと目が合った。
「おい、【
「っ、やです!」
「ぬおっ⁉」
べりべりと強引に引っ剥がそうとしたが抵抗された。離れた反動でぎゅうっと腹回りにしがみつかれる。
「くく……っ」
まったくもって他人事なので、アルスロットはまだ笑っていた。王子でさえなければ間違いなくしばいていた。
「どういうつもりだ、おまえは……っ」
そうこうしている間にも朝の貴重な時間が失われていく。
身支度、着替え、授業の準備、何一つ終わっていないというのに、だ。このままでは食堂にも行きそびれてしまう。ぐう、とぺたんこの腹が泣きごとを言い始めていた。
「この部屋にします」
「……何?」
「私、この部屋に居座ってやります」
居座ってやる、て。自我なし主人公キャラのくせに突拍子もないことを言いやがる――いやカズサが中身なら存在感薄めどころか濃口ソースではあるのだが。
「何を言い出すかと思えば、此処は男子寮……ひっ」
つうっと指先が、私の背中をなぞる。くすぐったさに身をよじると背後で密やかに笑う気配がした。
「触りましたよね」
「……な、なん」
「あなた、さっき、思いっきり、揉みましたよね」
私の胸、と囁くようにカズサは言った。
思わず狼狽えた私にここぞとばかりに斬り込んで来た。
「来たばかりで此方の世界のことはよく知りませんが、私がいた世界ではその行為を『痴漢』と言うのです」
「ち、チカ……⁉ 違……事故、あれは、事故だっ! わざとじゃないっ」
言いながらも、むにゅ、と柔らかな感触がよみがえり、思わず掌を凝視してしまった。気が付けば堪能するように勝手に指が動いていた――しまった、前世の記憶が悪さをしている。
うわあ、とドン引きしたアルスロットが汚物でも見るような視線を私に向けていることに気付いて血の気が引いた。
「殿下! わ、私はそのような不道徳で、ふしだらな人間ではないと証言してください!」
「……僕は君が健全な男子生徒であったことを喜んではいるのだけれど、プリンセスに対して破廉恥な真似をしたことは別問題であると考えるよ。それこそが王室の関係者に求められる、公平な判断と言えるからね」
「ここぞとばかりにド正論を吐くな!」
君にはがっかりしたよ、とため息を吐きながらもまだ笑っているのに私は気づいているぞ!
「ねえ【
振り向けば、カズサは黙って首を横に振った。違うらしい、と合図を送ると、ううん、とアルスロットは考え込むように話し出した。
「君はこの部屋が気に入って、ずっとここで過ごしたいと思っている……そうだよね?」
アルスロットの言葉に、カズサは頷く。
「よしわかった。ネヴュラ王国の王子として、また青焔寮の寮長としての権限を用いて、許可しよう」
「殿下!」
何を言ってるんだこいつは。
「まあまあ聞きなさい、この部屋の間取りを気に入ったのだとしたら譲ってあげればいいじゃない。一応、特別室のうちのひとつだ、確かに他の一般寮室よりも広いしね。弁えなさい、ノエル。相手は異世界からのお客様なんだ。丁重におもてなしをするように、陛下や兄さんからも言われている。というわけで僕と君が部屋を出て行けばとりあえずは解決……」
「同室にしてください」
「なんだって?」
カズサは、私にしがみついたまま、ひょこっとアルスロットの前に顔をのぞかせた。
「私、この方……ノエルさんと同室にしてほしいです」
「そっかぁ。じゃあそうしようか。仕方ない、僕だけ部屋を移ろう」
「なんでそうなる⁉」
カズサが私のそばにいたがる理由も謎だが、こんな意味不明の要求に素直に従うアルスロットもどうかしている。
「おまえ、面白がってるだけだろ……」
「うーん、それは否定しない。あはは、ノエルってばよっぽど気に入られたみたいだね」
アルスロットがぱんと手を叩くと、外に控えてきた使用人たちがわらわらと入って来た。私物をてきぱきと整理してまとめ、運び出してしまう。
「ま、待て、アルス、本当に私を置いて……」
「では、プリンセスのお世話はよろしく頼むよ。副寮長?」
ばたん、と無慈悲に閉じた扉へと伸ばしていた手が、力なく落ちた。
「……詰んだ」
「勘違いしないでくださいね」
さっきまで私にぴったりとくっついていたカズサが、ぱっと何の未練もなさそうに離れた。爪先立ちでベッドから降り、正面から見下ろす。
「私があなたに気がある、などという気持ちが悪い妄想は早いこと捨ててください。不快ですから」
不快……とまで言われるとさすがに傷つくんだが。成程、元カノに忌み嫌われる状況って結構キツイんだな。いままで別れたことがないからいままで元カノなんていなかったんだが。
「おまえ、嫌いな奴に媚びを売ってまで男子寮に入り込みたかったのか?」
ええ、とカズサは意外にも素直に頷いた。
「女子寮は危険なので、早急に脱出する必要がありました。何人か、候補には会いましたが、あなたが一番利用しやすそうだから選んだ、ただそれだけです。童貞は扱いやすいと聞きますし」
「ど」
他にも気になる点はあったのに、女子に言われたくない単語、一位、二位を争うレベルの剛速球が飛んできて、被弾した。いや、前世ではそんな名詞に当てはまらなかったんだ。前世では。そう前世では……言い訳したくてもできないこの状況がもどかしい。
「あのな……どういうつもりか説明し……なくていい、やっぱり深く関わり合いになりたくない」
「そうですか? 賢明な判断です。言うつもりもありませんでしたから。理解されるとも思っていませんし。私が欲しかったのはただの駒、思考する必要などありません」
カズサは勉強机の上に置かれていた、小さな兎の置物を取った。あれは私が寮に入るとき「殺風景だろうから」と妹が持たせたものだ。アルスロットには、似合わないもの持ってるね、とからかわれたものだが、【
「……ふふ、手始めに何をお願いするとしましょうか」
得意でしょう、服従するのは。カズサが邪悪な微笑を浮かべた。
神様、聖女マグノリア様。本当にこれが聖女【
エトワール・ブラン~転生した俺の前に現れたのは前世の元カノでした!?~ 鳴瀬憂 @u_naruse
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。エトワール・ブラン~転生した俺の前に現れたのは前世の元カノでした!?~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます