3 ノエル、厄介王子(※SSR)の相手をする(強制イベント)。

 しばらくして礼拝堂の外に出てきたカズサを連れて女子寮まで赴き、寮長に引き渡した。

 チュートリアル担当のバトンタッチだ。

 寮長が教えてくれるのは自由行動(探索)、勉強(基礎能力の底上げ)、依頼の受け方(評判の上げ方)……だったか。まあゲームでは詳細に語られはしなかったが、食事や入浴、消灯時間、など寮生活の基本的なルールとかも教えてくれるんだろう。

 女子寮である赤嵐寮の寮長は、気立てが好くて優しいと評判の令嬢だったはずだ。サブキャラとしても、好感度や成長度などのパラメータチェックをしたりしてくれる頼りになる設定だったはずだから、気難しいところのあるカズサとも上手くやれるだろう。

「ぐう、まさか、この人生がゲームだったとは……いや、ゲームなんかじゃないな、もう私にとっては既に現実なんだし、今度こそ死なないように……ああっ、頭が痛くなってきた!」

 前世のあれこれなどもひっくるめて、目には見えない澱のようなものがずっしりと堆積している。食欲もないから食事イベントとか夜の散策とか勉強とかもスキップして、いますぐふとんにダイブしたい――って、ゲーム脳やめろ、私。

 可能であれば、金輪際カズサと関わり合いになりたくない、がはたしてそれが可能であるのか。異世界転移してきたプレイヤーが、キャラクターと交流を深めることがこのゲームの肝なのだし、最低限の交流は避けられないだろう。この世界が本当に誰かが作ったゲームの中なのだとしたら、主人公を徹底的に無視すれば、バグ扱いされて消されてしまうかもしれない。

 願わくは早くカズサが世界を救うなりなんなりしてエンディングを迎え、帰還してほしい。私はその助力をすべきところなのだろうが……ううむ、もう考える気力すらない。

 疲労困憊の私を待っていたのは疲労を倍増させる存在だった。

「おかえり、ノエル」

 やあ、とさわやかな笑顔で手を振ってきたのは、青焔寮の寮長、アルスロットだ。ご丁寧に寮に入ってすぐの談話スペースで、玄関を通る者は見逃さない好位置を確保していた。人払いでもしているのか他の寮生の姿はない。

 ちなみに彼の本名は、アルスロット・アルタイル・マグノリア・ネヴュラ……クソ長い名前が示すとおり、このネヴュラ王国の第二王子である。

 出たなSSR、と世界観にはそぐわない単語が頭に浮かんだ。虹演出ぐらいしてくれ、びっくりするから。

 濃紺のローブ、オフホワイトのシャツに、銀糸で細やかな刺繍が施されたベストを合わせるのが、基本のマグノリア学院の制服だ。そこに最上級のモコシープの毛で作られたストールを羽織っているのが殿下ならではのスタイルだった。

 立ち絵そのままだな、といままでにない感慨をおぼえてしまう。

 整いすぎた顔面に若干怯みながらもSSR様のようすを窺う。機嫌は悪くないようだ。

 さっと手を広げ、自分の正面のソファに座るように促してくる。襟足が長めの金髪は艶やかに煌めき、王族の証である赤い虹彩が、獲物を見つけた獅子のごとく獰猛な光を宿している。

 話が長くなりそうな予感がした。

 私にとってまったく歓迎すべき事態ではないことは瞬時に察知したが、いま適当に相手をしておいた方が幾分かマシだろう。面倒ごとを後回しにしてもいいことがない、という経験則が、アルスロットとの世話係を押し付けられてきた己が身に、強く訴えかけてくる。逃れようとしてもどうせ無駄だ、と。

「転入生のお世話、ご苦労様……って、おやおや、本当にお疲れのようだね。やめてくれよ、ルームメイトがそんな、雨に濡れた犬畜生のような顔をしていたら僕の気分も悪くなってしまうからね」

 可哀想に、と口ばかりの同情心を示しながら、アルスロット王子手ずからテーブルに用意されていたポットから茶を注いでくれる。華やかな茶葉の香りがティーカップから立ち上った。

 マグノリア学院は全寮制のため、王子であるアルスロットも強制的に寮生となる。

そもそも学校になど通わずともいいのではないか、と常々私は思っているのだが、王室のしきたりだかなんだかで、第二王子以下、王位継承権の低い王子、姫はこの学院に入学することになっているらしい。「宰相の息子のくせにそんなことも知らないのかい?」と入学式で顔を合わせたとき、嫌味を言われたのでよく憶えている。

「女嫌いの君には本当に申し訳ないことをしたと思っているのだけれど、うっ……」

 アルスロットは青い顔で咳き込みながら、ちら、と私の方を見た。ずず、と作法を無視して(勿論わざとだ)茶を啜る私を品がないと思ったのか、眉を顰めている。

「すまないね、学院長からは僕が案内役を言いつけられていたというのに、急に立眩みがしたものだから」

「いいえ殿下。貴方のお役に立てたならなにより」

 実はアルスロット王子とこの私、ノエル・エテルネルは幼少から面識がある――いわゆる幼馴染というやつだ。

 私の父、エテルネル伯爵が宰相に任じられたのは、確か私が十歳の誕生日を迎えた日の翌日だった。その頃、第二王子の同年代の友人を探していた陛下に、そういえば宰相には同年代の息子がいたな、と目をつけられたがきっかけである。

「お加減はいかがですか、殿下」

「ありがとう、休んでいたおかげでよくなったよ」

 悪びれもなく言うアルスロットを見ていると、口に含んだままの茶を噴き出しそうになる。

 私はこの立眩みとやらが都合が良いときばかり症状が出るものだということを知っていた。

 すなわち、仮病である。

 昔からアルスロットは、やりたくないこと、興味のないこと、面倒なことは一貫してやらない主義だった。嫌だ、が通用しないのは誰しもある程度成長すれば理解するのだが、いまも第二王子殿下は一貫してこの主義を貫いている。

 その手段というのがこの病弱設定というわけだ。

 幼いアルスロットは驚くべき熱意で、急な発熱や、持病の発作や、眩暈などを演じる方法を身に着けた。

 怠惰な本性を愛らしい容貌の裏側に仕舞い込んだ第二王子殿下に誰もが騙された。

 最初のうちは、私自身も可哀想だ、とアルスロットが王室教師に出された宿題を手伝ったものだ――さすがに、数年も相手をしているうちにその嘘に気付いたが、宰相として王国を支えている父の立場を思えば指摘することは憚られた。

 式典での挨拶のシナリオを考えさせられるのは当たり前で、権力を狙って色仕掛けをしてくるご令嬢のお相手(王子のイメージを損なわず追い払えとのご指示)も引き受けた。

 さすがに学院に入学すれば王城に呼び出されることも減るだろうと安堵していたのだが、同級生になったばかりか同室になってしまったので、明確な上下関係が存在する腐れ縁は続行中というわけである。

 寮長としての細々な仕事も、副寮長に任命された私がほとんど代わりにやっているのだが、表に出るのはアルスロット寮長の輝かしい功績ばかり。

 ああ、公式メインキャラクターであるアルスロット王子の怠け癖も、生真面目な副寮長、ノエル・エテルネルの影の努力も、プレイヤーは知らなかっただろう。

「むくれないでおくれよ、ノエル。僕と君の仲じゃないか」

「はぁ……どんな仲だと?」

「大親友」

 しれっと言い放ったアルスロットに私は脱力した。

「だって……君は僕のためなら死んでくれるだろう?」

「いちおう聞いておきますが、殿下は私のために命を投げ出してくださるんですか……?」

「あはははは。君は冗談が上手いなぁ、ノエル」

 まともに相手をすればするほどに、疲労度の赤いゲージが溜まっていくような気がする。主人公でもない私にそんな要素などありはしないのだが……ひとたび意識してしまえば、すっかり、日常生活がゲームに侵食されていく、いかんいかん。

 まぁ私も、わかりきった回答を求めるほど愚かではないのだ。苛ついていてはますます疲れるだけだ、平常心を保たねば。

「……でも少し意外だったよ。くそ真面目な君が、いくら器量よしとはいえ、得体の知れない異世界人に絆されてしまうとはね?」

「は……何の話です?」

 アルスロットのにやにや笑いはいつ見ても鼻につくが、今日はいつもにも増して私を苛つかせた。

「ふふっ、予定の案内コースから外れるというのに、二人きりで礼拝堂に入っていったそうじゃないか」

「はぁ⁉ どうしてあんたがそんなことを……」

 言いかけて、思い至った。アルスロットの命令に盲目的に従う者は幾らでもいる。

「まったく……尾行とは趣味がよろしいことで。それほど【白銀星】に興味がおありならご自分で案内でもなんでもすれば良かったでしょうに」

「嫌だよ。面倒だもの」

 肩をすくめたアルスロットが、笑いを堪えながら言う。

「くくっ、堅物のノエルは知らないかもしれないけれど、礼拝堂は学院内の恋人たちの密会場所として有名なんだよ。何でも、聖マグノリアの前で愛を誓い合った二人に、聖なる祝福が与えられるんだとか」

「なんだその死ぬほどくだらない迷信は……」

 さっき私も礼拝堂の立て看板をちらっと見たが、そんな話は書いていなかったし、生徒の間で噂になっているだけだろう。前世の「俺」ならその胡散臭い話を利用して女性を口説こうとしたかもしれないが、私は違う。

「さて、冗談はこれくらいにして――どうかな、ノエルの目から見た彼女の印象は?」

 ふっと頭をよぎったのは、礼拝堂でひっそり涙を流していたカズサの姿だった。

「……心細いんじゃないか? いきなり見知らぬ土地に転移して、エトワール・ブランだのなんだのと呼ばれて、この学院に放り込まれたんだ」

「へえ。『転移』とは面白い表現だね。成程、エトワール・ブランとは、此処とは異なる時空より舞い降りた聖なるものと、我が王国には伝わっている。珍しくはあるが、百年に一度ほど、そういった存在が招かれることになっている。此方としてはそういうものとして受け入れるだけだ。聖女【白銀星】とは名ばかり、救世主になれ、とか、技術革新をもたらせ、とか特にこれといった期待もしていない。丁重におもてなしして、いつかお帰り頂く客人といったところかな」

「ということは、帰れる、んだな?」

 当然だろう、と怪訝そうにアルスロットは私を見た。

「来るべき時が来れば、ね。永遠に【白銀星】がこの国にいた、という記録はどこにもない。何か用事があって呼ばれるのなら、その用事が片付けば滞在する理由もないだろう。その用事とやらは、しがない第二王子でしかない僕には皆目見当がつかないけれどね」

「用事……」

「で、それだけかい? もっと面白い情報はないのかな? ノエル、君は退屈な男だが、貴重な僕の時間を費やしているんだ。全身全霊で僕を楽しませてほしいのだけれど」

「おまえが退屈だろうが私の知ったことではない! あの娘については、お前がつけた尾行から報告を受けているはずだ。私をおちょくるのもいい加減にしろ!」

 勢いよく茶を飲み干し、席を立った私にアルスロットは「ふむ。恋バナは夜に、というわけだね。わが心の友、続きはまたあとで」なんて、ふざけたことを言っていた。


 ――いまから部屋替えを申請すれば、就寝時刻までに通るだろうか?

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