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 アディンは砂浜の方へと歩く。

 そこに一人の少女がいた。どこまでも続く地平線を見つめ、時折吹き抜ける潮風にその長く赤い髪をなびかせた少女。

 一枚の絵として完成されたその世界に、アディンは躊躇いなく足を踏み入れた。

「リィラさんを救出した。でも本当に良かったのか——エスカ」

 赤い髪の少女、エスカが振り向く。彼女は頬には涙の軌跡があった。

「ええ。今の私にはリィーラや他の眷属に会う資格なんてないから」

「それは君が魔王としての力を全て失ったからか?」

 エスカを救い出した代償は大きかった。氷の精霊王と完全に融合する前に無理矢理引き剥がされた彼女は、魔王としての全ての力を失い、ただの一人の少女に成り下がっていた。

「でもそれはアディンも同じでしょ?」

 アディンがエスカと初めて出会ったあの日、彼は魔王の力の一部を継承していた。そう考えればアディンの急激な成長と魔法使いへと到った理由に説明が付く。

 魔王エスカドールは一度死んだ。そんな彼女を蘇生させることに成功したのは、ただ単純にアディンの魔王としての力の一端を返すことが出来たからだった。

 先代魔王が、瀕死の重傷を負った友を魔法で救ったように、アディンはエスカを魔法で救った。

「正直賭けだった。魔法に関しては素人に過ぎない僕が、君に力を返すことが出来たのは奇跡に他ならない。おかげさまで、前のように魔術を行使することはできなくなったけど」

「そう……」

 エスカはそう呟き、再び地平線の方を見る。

「こんなに綺麗な景色初めて見た」

「……」

「私って本当に我儘で馬鹿だよね……眷属の気持ちに気付かず、自分の理想を叶えることだけを考えていた」

「……」

「その結果、魔王としての地位を失くし、力もなくして、あなたとの約束も守れなかった」

 赤髪の少女の後ろ姿が震えた。感情を押し殺すように、小さな手を固く握りしめている。

「なあ、エスカ。僕はこの世界に来る前までずっと何かを選択する行為から逃げていた」

「え……?」

「大事な時に大切なことを判断できず、失ったものが多かった」

「……」

「だけどこの世界に来て、エスカや眷属の皆、勇者、冒険者達と出会って、僕は変わることが出来た。どんなに愚かなことでも、その先に手を伸ばすことの大切さを知った」

 アディンはそこで一息区切り、続ける言葉に勇気を乗せる。

「きみは、僕を救ってくれた」

 その言葉にエスカは胸が熱くなるのを感じた。

「でも私はあなたを勝手にこの世界に召喚して、血なまぐさい争いに巻き込んだ! 身勝手な理想を押し付けた! その上であなたに取り憑いた厄病神さえも祓えていない。そんな私を——」

「それでも、僕はこの世界に来てよかったと思っている。たとえ僕の中の厄病神がこれからも誰かを傷つけようと、僕がその傷つく人を一人残らず救う。矛盾してるかもしれないけど、これが僕なりに今出せるベストアンサーだ」

 エスカがアディンに向きなおる。黒髪の少年の瞳は真っ直ぐ前を見ていた。

「ねえ、アディン。私これからどうすればいいだろ」

 弱々しく俯く姿はエスカには似合わなかった。

「答えが出るまで足掻いてみたらどうだ。いつもみたいに無茶ぶりをこちらに押し付けて、真っ直ぐ馬鹿みたいに何かに挑み続けろ」

 そのアディンの言葉にエスカがふっと僅かに微笑む。やはり彼女には暗い顔が似合わない。

「アディンのくせに生意気言うじゃない」

「きみにとって僕はいつも生意気だっただろ?」

 いつものように軽口を言い合って、黒髪の少年と赤髪の少女はお互いに向き直る。

「汝、このエスカ様に仕えなさい」

 いつかの夜に聞いたことのある言葉をエスカは言う。それに対し、アディンはこう答えた。

「ああ、仕えよう。僕は君の従者だ」

 空には残酷なまでに雲一つない青空が広がっていた。

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アルヴァスの魔法使い/慈悲無き世界のエスカドール 夜明快祁 @shibasenri

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