終 章 蒼天/愚者の転生

049 

 魔王が死んだ、その知らせは交易都市ヴェルディア、そしてアルデリア王国全土にまで響き渡った。

人間と魔族との戦争の終息から二日経った。交易都市の人々は復興に向けて尽力している。半壊した建物を直す者、戦いで傷ついた者を癒す者、そして愛した者を喪った悲しみに打ちひしがれる者の間を白銀の髪の勇者ゼノビアは渡り歩いていた。

 もっと自分が強ければ犠牲者を出さなくて済んだのだろうか、とゼノビアは自責の念に駆られていた。人々を救済に導く勇者として、自分の行為は正義に値するのか。

 人々の遺体に混じって屍の山を築いている魔族の遺体を見てゼノビアはさらに心を痛めた。

 彼らにもきっと守るべき者があったのだろう。必死に戦い、この地で散った命だ。

「私は間違っていたのかな……エディン」

 ゼノビアはかつての友を思い出した。魔族と人間が共存できる道を探すと言っていた少年。そしてそんな彼と心の在り方が似ていた黒髪の少年のことを思い出す。

 アディン。戦争が始まる前に再会し、その後の消息が不明となっていた。

 交易都市の中央広場に人だかりができているのをゼノビアは見つけた。何事かと人の波を掻き分け進んだ先では、物々しい雰囲気の兵士達が一人の女性を取り押さえていた。

 女性は褐色の肌に白に限りなく近い銀髪をしており、髪の隙間から飛び出た耳が只人ではないことを表していた。身体に纏う衣服はボロボロで、切り裂かれた隙間から痛々しい傷を負った肌が見える。

「これは殺すのが惜しい女だな」

 でっぷりと肥えた腹をした領主がそこに現れた。下品な指輪をした太い手で魔族の女の髪を触り、そして女の細い顎を持ち上げ、視線を無理やり合わせる。

「触るな、人間……ッ!」

「おおまだそんな目が出来るのか、怖いこわい」

 女の鋭い眼光にあてられながらも、領主はその下卑た笑みを崩さない。

「お前の主が死んで魔族の社会は崩壊したわけだ。どうだ、私に身を捧げるのであれば、お前を生かしておいてやってもいいぞ?」

「くっ……殺すならさっさとやれ! 私を生かしたら相応の報いを受けると知れ!」

「もちろん初めからそのつもりだ。魔族の女なんぞ、生きている価値すらない。お前をここで処刑し、首は晒し者に、身体は隅々まで調べて魔族の拠点を調べるとしよう。見たところお前はダークエルフ。闇に染まったとしても元をたどればエルフだ。その臓腑は秘薬にも使われる。せいぜい死して価値を見出させろ」

 そう言って領主はゲラゲラと嗤う。女は悔しそうに下唇を噛み締めた。

 その会話を聞いて、街の人々の中にはダークエルフの女に同情の視線を送る者もいた。

 女は男達に高台の上、断頭台へと連れていかれる。

 その様子に我慢できなくなったゼノビアが怒りに声を震わせた。

「領主もうよせ! これ以上の流血は不要だ!」

 群衆の中から響いた勇者の声に領主が振り向き、僅かに目を細めた。

「これは誰かと思えば、白銀の勇者。先の戦争で負傷したと聞きましたが、ご無事で何より」

 領主は心にも思っていないことを平然と言い並べた。

「これ以上の流血は憎しみを生み、いずれまた大きな戦禍を引き起こす。その女性を解放しろ!」

「何かと思えば。それで国民の怒りが収まるとでも? この女の首を落とし、魔族に晒してこそ勝ちどきは上がる。復讐を考える魔族の戦意を挫く意味でもこの処刑には意味がある」

「だから、その行いは新たな争いを生み——」

「まだ解らないか、生娘!」

 領主の一喝に、ゼノビアはビクリと肩を震わせた。

「これはこの女にとっても救いである。人間達がどれだけ魔族を憎んでいるのか、あなたが知らないわけがなかろう、勇者であるあなたが! 民を見てみろ」

 ゼノビアは群衆を見る。勇者である彼女の視線を受けて、彼らは目を背けた。

「あの戦争で民は多くのものを喪った。友人、家族、恋人を喪った者も多いだろう。血は血でしか洗えない。私は民の怒りを代弁しているのだ」

 ゼノビアは押し黙った。この瞬間に、自分が過去に友と誓った人間と魔族の共存など成し得ないと悟ったからだ。

「所詮はただの小娘か」

 言い返せなくなったゼノビアを一瞥し、領主は兵士たちに指示を飛ばす。

 ダークエルフの女は断頭台に手足を固定された。

 断頭台の刃が日光を帯びて輝く。

「やれ——」

 断頭刃が振り下ろされそうになったその時、群衆の中からどよめきの声が上がった。

「なにごとだ」

 領主が群衆に目を向けた先に、黒衣を身に纏い、黒い兎を模した仮面の男が立っていた。

 ゼノビアは瞠目する。その黒衣の男はあの戦争で自分と魔王の戦いに介入した者だった。

「ふん、くせ者か。その者を捕らえよ!」

 領主の指示に、兵士たちが黒衣の男を取り囲む。

 黒衣の男はその様子に全く動じず、虚空から黒い短剣を取り出し、それを強く地面に叩きつけた。

 瞬間的に広がる黒煙。群衆は突然のことに悲鳴を上げ、逃げ惑う。

 ゼノビアは煙に奪われた視界の先に人影を見た。迷うことなく駆け抜け、断頭台を目指す男。

 ゼノビアが黒衣の男とすれ違う刹那、彼女は男の仮面の奥の強い意志を持った瞳を見た。

「待ってくれ、君は——ッ」

 ガシャン、ジャラン! と断頭台と鎖が破壊された音が響く。

「この痴れ者が!」

 領主が護身用に持ち歩いている小刀を構えて黒衣の男に突進する。

 黒衣の男が領主の攻撃を軽くかわし、すれ違いざまにその肥えた顔の真ん中に拳をぶちかました。グシャっと領主の前歯が折れ、身体は宙に浮き、背中から地面へと叩きつけられる。

 我に返ったゼノビアが勇者の力を使い、風で煙を払い除けた時にはもう既に終わっていた。

 断頭台は破壊され、鎖に繋がれていたはずの女の姿は無く、領主が口から血を流して倒れている。

「君は一体……」

 領主の下へ駆けつけた兵士達の喧騒も気にせずゼノビアは一人呟いた。

 ゼノビアが見た黒衣の男の姿はまさに勇者だった。 

 

 市街地から遠く離れた森林地帯で黒衣の男アディンは、ダークエルフの女リィラを木に背中を預けさせて優しく座らせた。

「生きていたのか……人間」

 傷だらけのリィラは弱々しくも言葉を繋ぐ。

 黒衣の男アディンは黒い兎を模した仮面を外して応える。

「魔王は御隠れになりました」

「そうか……」

 リィラは目を伏せる。彼女は囚われの身になっても、魔王が死んでいないことを願い続けていた。しかし、敬愛し、忠義を尽くしいていた主を喪ったことにより涙が込み上げてくる。

「リィラさん、手当します。傷跡を僕に見せてください」

 アディンがリィラの前に屈み、傷跡を見ようとする。

「やめろ……」

 しかし、リィラは弱々しくアディンの手を払い除けた。

「主は私の全てだった……主亡きいまの私に生きる意味なんてない。私はあの場で、いやあの戦場で命を散らすべきだった……」

 絞り出すようにリィラは言う。その声は涙で震えていた。

「リィラさん、顔を上げて下さい」

 リィラは首を力なく左右に振る。

「失礼します」

 アディンはそう言い、より一層視線を外そうとするリィラの頬を両の手で包み、視線を合わせた。

「それは逃げじゃないのか。魔王が死んだから何だ。それはあなたが死ぬ理由にはならないだろ!」

 口調を強め、真っ直ぐに瞳を見つめるアディンにリィラは押し黙る。

「僕に精霊術を教えた時のあなたはどうした? いつものように皮肉の一つでも言ってみろよ! あなたは言霊の力を信じ、弱音は吐かなかったはずだ! それでも魔王が信頼していた眷属かッ!」

 リィラの頬に涙が伝う。せめてもの抵抗を示すように彼女は震える唇を動かした。

「だけど私は生きる意味を失くしてしまった。エスカドール様が全てだった……」

「生きる意味は自分で作ればいいだろ!」

 沈黙が辺りを支配する。アディンとリィラは視線を数秒間合わせ続けた。

 やがて、アディンはリィラの治療を精霊術と魔術とを複合させて行った。リィーラも今度は抵抗することなく、ただ黙って治療が終わるのを待っていた。

「重症化することがなくてよかった。これで完治するはずです」

「どうして人間であるはずのあなたが魔族の私を助けようとする?」

 リィラの言葉にアディンは少しも逡巡することなくこう答えた。

「リィラさんに生きて欲しいと思ったからです」

「……」

「それに魔王なら迷わずにあなたを助けたと思います」

 そう言ってアディンはほんの少しだけ笑う。そんな彼の微笑み方が、先程の強い眼差しと相まって、リィラに今は亡き主の面影を感じさせた。

「人間にもあなたのような者がいるのですか、覚えておきます」

 リィラはアディンに背を向けて森林の奥へと歩いていく。

「さようなら、アディン」

 そう言い残して、精霊術の師であるダークエルフは、森に溶け込むように消えていった。

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