Cchio《キオ》

 とん……とん。


 遠慮がちなノックの音が響く。宏が扉を開けてやると、予想通りの姿があった。


 希於キオは、もじもじと両手の指を絡ませていた。学習機能が働いているのだろう。ここに来たばかりの頃より人間臭い行動をとる。


 なかなか部屋に入らない希於キオの手を引き、椅子に座らせた。希於キオは叱られた子犬のようにうつむいたまま、小さな声で呟く。


「……おじいちゃん、知ってたんだね」


「まぁな」


「美希、ここの仕事を辞めて、会社に戻るって。予定よりちょっと早いけど……」


 ある意味、目的を果たしたからだろう。それで良かったのか悪かったのか。複雑な思いが宏の胸中を渦巻き、「淋しくなるな」と、自然に言葉が口をついて出た。


「彰に伝えてくれ。『いい加減、顔を出しやがれ』って、な」


 希於キオは、こくんと頷いた。おそらく、そのまま伝えてくれるのだろう。宏は苦笑いをした。


 しかし、次の瞬間、息を呑むことになる。


「彰は美希が好きなんだ」


 宏は、まじまじと希於キオを見た。


 彰の性格から考えて、美希に好意を抱いているのは予測していた。だが、それを希於キオが言い出すとは信じられなかった。心のない人形が、人の想いを感じ取るとは――。


「そうだろうと思ってたよ」


 平静を保ちながら宏は答える。


「美希も彰が好きなんだ」


「それは……良かったな」


「でも、二人とも何も言わないんだ……」


 希於キオは悲しげに宏を見上げた。


「なんで、お話しないんだろう? お話しすると、もっと大好きになれるのに」


 真剣な眼差しを向ける希於キオに、宏の口から自然に言葉がついて出る。


「そんな、言葉の足りない奴の手助けをするのが、お前の役目だろ?」


 その言葉を聞いた途端、希於キオは目を輝かせた。「うん、そうだね!」と、椅子から跳ねるように立ち上がり、宏に抱きついた。満面の笑顔を浮かべ、興奮したように続ける。


「そのうち二人は結婚するよね! そしたら、おじいちゃんのところに、ちゃんとチョコを食べられる孫が遊びに来るね! そうなったら、おじいちゃん、淋しくないよね!!」


 宏は皺だらけの手で希於キオの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


「お前が傍にいないのはつまらねぇな。……また、遊びに来いよ」


 宏がそう言うと、希於キオは――……。


 ――希於キオは……宏を見上げ、目を見開いたまま、動きを止めた。


「な……?」


 呆然と希於キオを見つめた。


 Cchioキオの処理能力からすれば、これほど応答時間レスポンスタイムを要することはありえない。


 停止フリーズか、異常終了クラッシュか。


 何にせよ、美希を呼んでこなければなるまい。


 宏は足早に部屋を出ようとした。


 そのとき――。


「おじいちゃん……」


 かすれたような、しかし小さくとも力強い声に、宏は足を止めた。


 振り返ると、希於キオが顔をくしゃくしゃにしていた。


 宏は初め、その表情の意味が分からなかった。否、直感的に感じ取ることができたのだが、それはCchioキオにはないはずの機能だと否定した。


 希於キオは歯を食いしばるようにして、自分の服を握っていた。ぎゅっと目を瞑り、喉から小さなうめきが漏れる。小刻みに体を震わせ、全身で宏に訴える――。


希於キオ……」


 宏は確信した。

 自分の直感は正しい。


 ゆっくり希於キオに近づき、小さな体を抱きしめた。


 認めてやらなければ――。


 これは希於キオが、Cchioキオの処理能力の限界まで引き出して作り上げた――涙こそ流れていないものの――泣き顔であると。


「……おじいちゃん、大好き!!」


 希於キオは力いっぱい、宏にしがみついた。

 ふん、と鼻を鳴らして宏は応える。


「俺も、お前が大好きだよ」


 サイドボードの写真の中から、恵が二人に向かって笑いかけている。


『人は喋る生き物だから、複雑な意思伝達コミュニケーションが出来るのよ』


 何が複雑だよ。


 宏は思う。


 至極、単純なことじゃねぇかよ。……ったく。

 たった、ひとことだ。ひとこと言うだけで、いいんだからよ。



 大好きだよ――と。



 宏は、恵に向かって破顔する。

 希於キオもまた、輝くような笑顔を浮かべていた。




 ――これは、ほんの少しだけ未来の御伽噺。


 無邪気な機械人形が贈る……機械仕掛けの御伽噺――。

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機械仕掛けの御伽噺 月ノ瀬 静流 @NaN

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