オーロラの雨
大隅 スミヲ
オーロラの雨
雨が降っていた。
傘を持ってこなかったわたしは、空を一度だけ見上げた後、小走りで歩道を駆けた。
この程度の雨ならいけると思ったからだ。
しかし、すぐに目測を誤ったということに気がついた。小雨だと思って油断していた。気づくとコートの肩は色が変わってしまうほどに濡れており、わたしは走るのをやめた。
建物の軒先に避難して、雨宿りが出来そうな場所を探す。
数軒先、雨宿り出来る場所を見つけた。小さなバーだった。ガラス張りで店内の様子が見える。カウンター席だけが5つ。カウンターの中に立つのは40代前半くらいの無精ひげを生やした男性。格好は白のYシャツ、スラックスで小綺麗であり、好印象が持てた。
「いらっしゃい」
カウンターの中の男性は、はじめての店に緊張しながらドアを開けたわたしをにっこりと笑って向かい入れてくれた。
まだ早い時間ということもあって、客はわたし以外にはいなかった。
男性はタオルをわたしに差し出す。
「これ、使ってください」
「すいません、ありがとうございます」
タオルを受け取ったわたしは濡れてしまった髪とコートの肩を拭いた。
「飲み物、どうされます?」
男性はタオルを回収するのと同時に、今度はメニュー表を差し出してきた。
メニュー表には、様々な種類のアルコール飲料とソフトドリンクが書かれている。ビール、ワイン、カクテル、コーラ、オレンジジュース、コーヒーなど。
その中でわたしの目に留まったものがあった。変わった名前のカクテルだ。そう思ったわたしは、そのカクテルを注文した。
使われるのはレモンとライムだった。その二つを絞り、ソーダ―で割る。そこにグレナデン・シロップを入れて甘みを出す。グレナデン・シロップはザクロの果汁と砂糖で作られたシロップだ。
ここまでは、シャーリーテンプルと呼ばれるノンアルコールカクテルの作り方と一緒だった。
「このカクテルの名前、どうして『オーロラの雨』というのですか」
「ああ。それね」
わたしの質問に、彼は少し得意げな顔をする。
「はい。お待たせ。まずは飲んでみてください」
彼はそう言ってコースターの上に濃いオレンジ色の液体の入ったグラスを乗せる。
わたしはそのグラスを手に取り、唇をグラスへと近づける。レモンとライムの匂い、そして甘酸っぱい味。ほのかに感じる、アルコールの味。そこにプラスされているのは、ジンだった。
「美味しい」
わたしは素直な感想を彼に告げた。
すると彼は嬉しそうに「ありがとう」と笑顔で言った。
「オーロラの雨って名前はね、矛盾するというところから付けたんだ。シャーリーテンプルはノンアルコールカクテルとして有名なカクテルなんだけど、それは知っている?」
「ええ、確かアメリカの子役女優の名前から取ったんですよね」
「そう。そこまで知っているなら、説明は不要だね。そのシャーリーテンプルにジンを混ぜる。そこで矛盾が生まれるんだ。ノンアルコールカクテルなのにアルコールを入れるってね」
「それと、『オーロラの雨』の繋がりは?」
「オーロラの雨っていうのも、矛盾なんだよ。雨が降る時は、雲が出るだろ。ほら、今日みたいに。雲が出たらオーロラっていうのは見ることが出来ないんだ。オーロラは雲よりも上に出るものだから」
「なるほど。なんだか、ロマンチックな名前」
「そのカクテルの名前は、自分で決めたんだ。ここも、矛盾かもしれないね」
彼はそう言って笑って見せた。
しばらく、わたしは彼とのおしゃべりを楽しみながら、オーロラの雨を飲んだ。
どこか隠れ家的なバー。居心地の良いこの空間をわたしは気に入っていた。
オーロラの雨 大隅 スミヲ @smee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます