あなたが苦痛すらも褒めるから

雨藤フラシ

この話はこれで終わり

 初めて爪を綺麗に剥がせた時のことは、よく覚えている。剥がしたじゃない、剥がせただ。拷問と言った時、誰もが思い浮かべる定番の場面だろう?

 他所には地下室やガレージはあるかもしれないが、うちの場合は地下牢と拷問室があった。俺は小学校を卒業した時に、初めてそこへ連れて行かれたのだ。


 地下には着物姿の若い男がつながれていて、親父が「これは〝練習台〟だ」と説明した。うちは戦前ごろから、人間の口を割る生業をしていたとかで、拷問室には本当に色々な道具が置いてあって驚いた。その使い方や技術の練習台だ、と。


 俺の父親は建設会社の社長をやっていて、自慢じゃないが優しくて慕われる、親分気質の人だった。地下に行くまで、俺は本気でそう思っていたのだ。

 親父は手かせをつけた練習台の青年を天井から吊して、今まで見たことがない勢いで殴り始めた。胴と言わず手足と言わず、百叩きなんてモンじゃない。


 部屋の隅に座らされた俺は、ボロボロ涙を流しながら、怖ろしくて声が出せなかった。ガチガチ歯の根が合わなくて、親父は鬼か何かに取り憑かれたのかと思った。

 目も耳も閉じたくてたまらないのに、「よく見ておけ!」という親父の怒鳴り声に体が硬直する。冷たい石の床にぱたぱたと血がこぼれて、このまま〝練習台〟の兄さんは親父に殺されるんだと思った。


 実際、使った竹刀は二本も三本も折れて、着ていた着物は血まみれ。むき出しになった皮膚はただ血染めなだけじゃなく、もっと深く抉れているように見えた。

 当時の俺には分からなかったが、おそらく筋肉や脂肪までむき出しになっていたんだろう。そして親父は練習台の兄さんを降ろすと、そのまま牢へ戻した。


 手当てなんてする気配すらない。俺の耳には、打擲される青年の悲痛な叫びと、苦悶の声が耳にこびりついて、背筋せすじが恐怖で凍りついていた。

 地上の我が家に戻ってきた時、それはもう安心できる俺の家ではなくなっていた。

 背骨や背筋はいきんというのは、あんがい体全体の動きを司っていたらしい。俺は真っ直ぐ歩くことも、箸を持つこともおぼつかなくなってしまった。


「いいか、あいつはあくまで練習台なんだ。明日になればお前にもぜんぶ分かる。それまで、余計な心配はするな。こんなのは、まだ序の口なんだからな」


 寝る前、親父は部屋に俺を呼んで再三言い聞かせた。あんな凄惨なことが、今までうちの地下で行われていたのか。俺がゲームや、学校の宿題をしたり、友だちを呼んだりして遊んでいた時、練習台の人が、無惨に痛めつけられていたなんて。


 ショックでその日は寝付けないと思ったが、そこはまだ体力も未熟な子供だ。明け方には眠りに落ちていたと思う。起きて、顔を洗って、母さんや婆ちゃんが作った品数の多い朝ご飯を食べていると、昨日見たものは間違いだったような気がしてくる。


「さあ、あいつがどうなっているか、その目でよく見ておけ」


 それも親父の一言で瓦解するのだ。

 屋敷の離れにある納戸を開けると、地下への二重扉がある。やたら長いそれを下っていくと、やがて一つの扉に行き着き、その先は目隠しの壁。

 広がるのは、石造りの広々とした地下室。拷問道具が飾られた一面の壁と、薬品や細々とした道具が収められたスチールキャビネット。


 壁には種々の鞭が飾られていたが、当時の俺にはどれがどれなど分かるハズもない。それに火鉢、引かれた地下水路と、それに備え付けられた木造の車輪。

 複数の磔刑台。天井を見上げると、大きな鳥かごを思わせる道具や、滑車などが見えたが、俺は一日でそれら道具にウンザリしていた。


 披露宴でも出来そうな広さに、人を痛めつけるためだけの道具が、人類の創意工夫が詰めこまれている。こんな物の上に生活していたのか。

 しかも練習台ということは、これから俺は、もっと巧妙に人を痛めつける技術を習得させることを求められている。その一角に彼の牢獄があった。


 牢獄とは言っても、六畳ほどの座敷を木の格子で囲った程度のものだ。果たして練習台の彼は、壮健そうな様子で獄内に座していた。

 着物は破れ、血の跡が付いているが、その下に見える肌はまったく健康だ。あれほど打たれた痕がなにも無く、ますます昨日のことが夢だったような気がしていた。


「見ろ、こいつは死なない。傷つかない。一日の間なら心臓を抉ろうが、頭を潰そうがよみがえることはないが、一晩経てばけろりと五体満足だ」


 だから、気にせず練習台にするといい。それが父と彼の言い分だった。

 中学一年生になろうという俺の頭は、それですっかりやられてしまったんだろう。俺はまず仕事に慣れるために、親父がありとあらゆる手で彼を責めるのを見学し、細々とした雑用に従事した。内容は日を追うごとに陰惨な物になっていったが、それも親なりの気遣いだったんだろう。


 練習台の兄さんが死なないのだと知って、俺は何となく「この人は人間ではないのだ」と悟った。そうなると情も湧かなくなるのか、熱湯を浴びせられようが、背中の皮が無くなるまで鞭打たれようが、あまり気にならなくなっていた。

 俺が兄さんの拷問をやるようになったのは、小学校を卒業して半年。親父の仕事ぶりを見て、泣かずに雑用をこなすようになったくらいからだった。


 親父は地上にいる間は、会社の部下をBBQで楽しませたり、地域の子どもたちと遊んだり、別人のようだ。仕事もきちんとやっているし、進路相談でも親身に乗ってくれた。滅多なことじゃ俺に手を上げない。

 それは親父が特別おかしいんじゃなくて、人間とはそういう複雑なものなのだ、とそのころ理解した。そうでも結論づけなきゃ、やっていけない。



 俺が中学の二年になるころ、親父はよくシャモを買ってきて鍋にした。丸のままだから、羽根をむしるのは俺の仕事だ。

 外側の羽毛はまあそんなに苦労しないが、根っことなると固くて仕方が無い。それがきちんとむしれるようになると、親父は俺に新しい仕事をよこした。


 兄さん――俺はすっかり、練習台の青年をそう呼んでいた――の生爪を剥がせと言う。これはけっこう力と技術のいることで、だからシャモの羽根をむしらせていたのだ。ペンチ、プライヤー、やっとこ、好きな道具を選べと言われた。


 兄さんは、自分が何をされるか分かっているくせに、大人しく鎖につながれ、手かせをかけられ、間違っても抵抗できないよう拘束される。

 練習台は、それが仕事だからだろうか。どんなカネを積まれたら、そんなことをしようと思えるのだろう。そも人間かも怪しいのに、カネなんて必要なのか。


 俺はうまく生爪を剥がすことが出来なかった。ペンチで挟んだ時、余計な力がかかって爪が割れてしまったからだ。おかげで指一本を二度三度かけて、細くなったそいつを無理やり外す形になった。それはそれで痛いから悪くない、と親父には言われたが、どうにもプロの技術という感じがしない。


 俺はいつの間にか、家の裏稼業をやっていくことを受け容れていた。あるいはそれは、技術を磨きたいという狭い視野での欲求だったのかもしれない。

 爪と肉の間に針を打つ。首を絞める。頬に穴を開け、ロープを通して綱引きする。太ももに千枚通しで穴を開け、熱湯をかける。


 兄さんは一度も、「やめてください」とも「嫌です」とも拒まなかった。

 粛々と、覚悟を決めた罪人のようにいつもそれを受け容れて、押し殺したうめきや吐息だけを漏らして、顔をしかめるばかりだった。


 それだけだったら、まだ良かったと思う。こいつは俺にも親父にも従順で、命じられれば吐瀉物でも排泄物でも食べた。それがガラス片でもカミソリでもだ。

 兄さんの爪を剥がすようになって、一年が過ぎたころだろうか。俺の技術が上達したと言うより、成長と共に力が強くなったからだろう。


 兄さんは大きくて重くて頑丈な、拷問用の椅子に拘束されていた。

 縄や革ベルトや金属の輪で身動きできないよう座らされ、身を守る手段を一切奪われたまま、ただただ痛めつけられる。

 これが自白を求める拷問なら、兄さんはこちらが求める情報を吐いてしまえば、苦役から逃れられるのだろう。けれど〝練習台〟にそんな逃げ道は無い。


 一番小さな、小指の爪だった。

 それまではペンチで挟んだ段階で割れてしまって、丸ごとすべて剥がせなかった。だがその時は、綺麗に形を保って引き剥がせたのだ。

 血にまみれてはいたが、それは薄紅色と相まって、一瞬花びらのように見えた。


「ああ、良かった!」兄さんの瞳は喜色満面で。「綺麗に剥がせましたね! 上手くなっていますよ」


 日向で我が子に「愛してる」とささやくような、心から相手の成長を喜んでいなければ、決して出てこないような笑顔。

 なんて顔で笑うんだよ。


 一瞬前までは、はっと息を呑み、うっと声を堪えていた口から、何のてらいもなく褒め言葉が発せられる。そのことが俺を混乱させた。

 生爪を剥がされる苦痛がどれほどのものか、俺には想像がつかない。ましてやその直後、粗塩を揉み込まれたり、熱した火かき棒で焼き潰される痛みなど。


 なのにこの人は、将棋の腕前や、バスケットボールのシュートだとか、他愛ない日々の積み重ねを賞賛するように、俺を褒めた。

 陽の光も届かない地下で、空気もよどんだ部屋で、自分を脅かす拷問具に囲まれて、牢獄に囚われながら。どうしてそんな風に笑うのか。

 それはきっと媚びではない、ただ自然体の微笑みにしか思えなかった。


 兄さんは、ともすれば女のようだと思うほど綺麗な顔をしている。けれど、ふとした横顔はやはり男性のものだし、首は太く、胸板は厚く、肩幅は広い。

 親父が木刀を眼窩に突き入れても、熱した油を浴びせても、呼吸が出来ないほど縛り上げて放置しても、翌日には何事もなかったように五体満足。


 兄さんは、いったい何なのだろう。初めて会った12歳の時から、あの人はまったく歳を取る様子を見せない。



 中学を卒業し、高校に入り、悪い仲間と遊んで。

 たまに親父に呼ばれて「裏稼業」としてよこされたゴロツキを小突いてやると、そいつらはひとたまりもなくペラペラ口を割った。

 なるほど、兄さんは相当我慢強いわけだ。そもそもあの人は、俺が想像できうる限りの地獄を味わい尽くしているはずだ。それなのにまだ笑えている。


 俺が十八になるころ、親父が書庫の鍵をくれた。

 うちの地下牢はけっこう深いので、階段は長く、踊り場が設けられている。そこに扉が一枚あったのだが、すっかり存在を忘れていた。

 つまり、うちの地下は二階建てだったことになる。

 早速室内を改めてると、かび臭い中に様々な記録媒体があった。幕末のものだろう文書、アルバム、ビデオテープ、カセットテープ、DVD……。


 内容はもう何十年も、下手すれば百年以上前から、兄さんがこの家の地下につながれていて、責めさいなまれているということだった。

 彼は最初から〝練習台〟だったのではなく、別の理由でうちに囚われていたが、「どうせ死なないのだから」と何代目かの当主がそういう使い道を思いついた、ということらしい。反吐が出る。でも。


――綺麗に剥がせましたね! 上手くなっていますよ。


 俺がもっと、兄さんに褒められるには、どうしたらいいだろう。

 二十歳を過ぎたころ、親父は脳溢血であっけなく急逝した。俺は家財産も事業もまるごと引き継ぎ、その旨を地下の兄さんに告げた。


「では、これからは貴方が当主なのですね。どうぞよろしくお願いいたします」

「兄さんはつまり、家の財産の一部なのかい」

「そういうことになります。七代まで、という約束ですが」


 七代――つまり、俺のことだ。


「俺が死んだら、兄さんは自由か。行く宛てはあるのかい」

「それはなんとも」


 歳を取ることもなく、死ぬこともなく、ひたすら従順な兄さんは、この家で不当な扱いを受けている。自由になったなら、復讐を始めるのかもしれない。

 だがそれもいいだろう。我が家は充分、汚い仕事に手を染めてきた。俺がやってきたことを兄さんに仕返されるなら、それもまた本望だ。


 生爪を剥がされて、我が子の成長を喜ぶように褒めてくれた日から、俺はずっと兄さんの虜なのだから。子にも孫にも、彼を託す気はない。

 今度は俺の皮剥ぎを、上手くなったって褒めてくれるかな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたが苦痛すらも褒めるから 雨藤フラシ @Ankhlore

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ