第8話 婚前交渉編V(1)




「『尾代おしろ胡太楼こたろう』は、どうやら来実くるみちゃんが物心つく前には行方をくらませていたようです。母親の方は、あの子が生まれてしばらくして亡くなっています」


 現代社会がつくりだしたダンジョンのような通路を進む。胡太楼の声と、彼が杖のように傘の先で地面を叩く音だけが反響していた。

 満弦みつるは視界がもやがかってしまうため、眼鏡を外して首から下げているが、時折掛けなおしてみては、変わる景色を……"地面に広がる波紋"を確かめる。まるで傘の立てる音が目に見えるかたちになったかのようで、そこにもなんらかの『魔術』があるのだろうと思う。


「つまり来実ちゃんは、ほとんど両親を知らずに育ってきた訳です」


 胡太楼の声に、再び眼鏡を外す。心ここに在らずを見咎められたかのような気まずさを覚えて、ちゃんと真面目に聞いている、というポーズ。……いや実際に聞いてはいるのだが。


 彼女、尾代来実は、胡太楼の母……祖母に当たる尾代房枝ふさえに引き取られ、この街で、この場所で暮らしてきたという。しかし房枝は身体が弱く、入退院を繰り返していたらしい。その間の来実の世話は役所の児童福祉担当者が受け持っていたそうだが……、


「こんな場所なのでね、人によってはあまり寄り付きたくないと感じても仕方ありません。それ以前に、正しい住所を把握していてもここに辿り着けるかは怪しいものです。この一帯はそうした、人を惑わせる類いの〈神秘〉の気配に満ちているので。地図アプリ、GPSなどが狂うようなこともあるでしょう」


 彼女は他に身寄りもなく――実質ひとりで暮らしていた。もちろんそうした施設などに居たこともあるそうだが、ずっとは居られない。


 そんな折、現れたのが……失踪した父親を名乗る、尾白胡太楼。『彼』である。


 ……ここにきて満弦は、自分が彼の「本名」を知らないことに思い至るが、その疑問の答えはまたの機会にわたされる。


「母は――房枝さんは、私を"実の息子のように"迎え入れてくれました。……ええ、心を読まなくても分かりました。実の息子に接する態度ではありませんでしたから。だけども、彼女はそれを"良し"としたようです。その点では私としても都合が良かったのですが……」


 ……普通であれば、不信感を抱くものだろう。実の母親であれば、十年近く行方をくらましていたとはいえ、息子かそうじゃないかくらいの見分けはつくはずだ。そして「そうじゃない」と分かったなら、「そう騙る何者か」を警戒して然るべきだろう。


「いちおう私は、姿をくらませる……見た目を変化させる暗示をまとってはいました。例のお見合い写真のあれですね。満弦さんには私本来の姿が見えていますが、他の人にはあの写真の、『どこにでもいそうな普通の成人男性』として映っています。当たり障りなく、誰も気に留めないような、印象がないことが印象という」


 ……なるほど。だからここまでの道中、誰も私たちに見向きしなかったのだと満弦は気付いた。ともすれば「姿が見えない」ようにされていたのかもしれない。特に日差しが厳しい訳でもないのに「日傘」を使っていたのもそこに理由があるのだろう。


「そしてそれを、知人縁者に対しては『尾代胡太楼』だと錯覚させるようにしていた訳ですが……さすがにこういう変わった土地に長年住んでいるだけあって、感覚的に見破られていたようですね。そうした『感覚』というのは、人の判断に強い影響を及ぼす。……にもかかわらず、私を受け入れてくれたこと。実の息子のように、孫の父親であるように振る舞ってくれたこと。そこには感謝しかありません」


 彼女は恐らく、自分の死期を悟っていたのではないか。今はそう思う、と胡太楼は言う。


 自分の死後、一人残される孫を託すために……実の息子ではないと分かった上で、受け入れた。


 ……あるいは、『彼』の為人に、信用できるものを感じたのかもしれない。


「そうやって房枝さんが外堀を埋めてくれたのはいいのですが……どうも、来実ちゃんは私のことを信用していないようでして。ともすれば、房枝さんの例もありますからね、あの子にも私の正体が見破られているという線もありえます」


 ……心を読めば分かるのでは?


「心を閉ざしている、と言いますか。私の『これ』は"対話するつもりのある人間"にしか効かないものでして」


「…………」


 ……対話はなしをするつもりのある、人間。多少、想うところのある満弦である。


「そもそも対話を拒絶している相手には、いかんとも。……まあ、突然父親を名乗る人物が現れても、すぐに『親子』になれるはずもありません。当然の反応だと私は受け取っています。そこはまあ、追々と思いつつ……」


 薄暗い通路を歩きながら、胡太楼がちらりと満弦に視線をやる。


「頼れる協力者にどうにかしてもらえるだろう、と楽観視などしていたりもしましてね。しかしなるべくなら、早めに打ち解けたいところなのです。……というのも、個人的プライベートな親子関係とは別に、彼女から聞きたいことがありまして」


 ……聞きたいこと。それはもしかして、胡太楼の『仕事』に関わることなのだろうか。


「はい。私がここに来る以前の話ですがね……来実ちゃんと同じ小学校に通う生徒が行方不明になっているそうで。それも、二人ほど。いずれも身代金の要求などがない、『失踪事件』です」


 ……彼が来る前というなら、ともすればそれは『妖精』などとは関係ない、警察の関わるような現実の事件なのではないか。


「その可能性もあります。小耳に挟んだところ、内の一件はその可能性の方が高い。私が関わらずともやがて警察が解決するかもしれないし……最悪のケースも考えられる。しかし――警察には"その可能性"しかない訳です」


 もしも、『妖精』の仕業だったらという、考えもしない可能性。


「警察にはどうしようもない。しかし、その可能性がわずかでもあるのなら、つまり『妖精』の仕業であるのなら、私には消えた子どもを生きて連れ戻すことが出来る……そういう可能性があります」


 ……であるなら、無視は出来ない。自分とは関係なくても、見ず知らずの赤の他人の子どもであっても、自分が関わることで助けられる命があるかもしれない。……そういう風に考えられる人なのだ。


 そういう風に考えられる人なんだ――ないはずの責任を背負ってしまうような。


「もちろん、個人的な事情もありますよ。前後関係というものがありますからね。そうした失踪事件が起こった後に、長年行方をくらましていた人間が現れた。そしてまた一件、同様の事件が。動機も何も浮かばずとも、なんとなく疑わしい。怪しいという『感覚』を受ける……」


 ……彼の嫌う「悪目立ち」か。


「勘違いも甚だしい話ですけどもね。しかしこちらもこちらで、人には明かせない事情があるため、警官たちの"その『感覚』"はよけいに深まるでしょう。実に厄介な話です」


 ……しかし、「前後関係」とは言うが、娘が同じ小学校に通っているくらいで、警察からすれば彼は「関係者」にも含まれないのではないか。それとも――


「そうなんですよ。来実ちゃんの方が『関係者』なんです。行方不明になった子どもの一人と友達で、そして、その子が連れ去られる瞬間を見たと言うんです」


 ……それなら納得だ。警察が事情を窺いに、家にやってくることもあるだろう。


「来実ちゃんのその目撃証言以外、他にめぼしい情報がない訳です。警察はもっと調べがついているのかもしれませんが、少なくとも私たち一般人にはそれくらいしか分からない。……その事件も証言も私がこちらに来る前の話なのですが、警察からすれば胡散臭い人物の筆頭になるのでしょうね、私は」


 と、ため息。そして――


「なにせそれ以来、来実ちゃんが何も話さなくなってしまったんですから」


 ……何も、話さない?



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ラスト・ロスト・フェアリーテイル ~本を買うために本を書きたい人生でした~ 人生 @hitoiki

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