13 旅立
「イナキ姫!」
呼び掛けるウスラバと崩れ落ちる体を支えるナギリ。ホカゲの腕をはね除けて起き上がったユラは倒れたイナキの前に膝をついた。喉の脈を正確に突いた
「ゆくところ、とは底つ根か」
ユラに問われ、かすかにうなずきながらイナキが手に力をこめた。簪が抜ける。噴き出す血にユラの頬が汚れた。ユラは微動だにせず異母妹を見た。
イナキの震える手から簪が落ちた。ユラが懐の短剣を取り、ホカゲは慌てて止めた。
「やめろ」
「息があれば苦しかろうから」
「おまえがやらなくてもいい」
「手も汚せない王にはならない」
ユラの言葉は静かだ。頬をつたう血が鮮やかで美しかった。その手から有無を言わせずにホカゲが短剣を奪う。
「ならば俺を使え」
告げた瞳に真っ直ぐ射貫かれるように感じてユラは抗わなかった。
イナキとその母を葬りアケダはさすがに沈んでいる。だが国の内を立て直さなくてはならなかった。いずれユラとカザネに佐津を託すために。
「ナギリよ」
「――」
夕暮れてなおざわつく館の内で、ウスラバは黙り込む相棒の横にどっかと座った。眺めやる庭にはユラとホカゲの姿があった。
「いいのか、おまえ」
「いいも何もない」
「まあ、な」
ユラが佐津を背負うと決めたからには一従者の立場でどうこうできるわけがなかった。その隣にふさわしい男を迎えるか、あるいは誰も選ばず親族の子でも太子に据えるか。なんならカザネの占が告げることにユラは従うだろう。
「どうなろうと俺たちはユラを支えるまでだが……難儀な奴だな」
隠しきれない熱を抱える大きな男の背をウスラバは叩いた。ナギリは黙って庭の二人を見守っていた。
庭のそこはイナキが絶命した場所だ。とうに清められ痕跡はない。立ち尽くすユラの表情は冷たいが、それでも悲しんでいるとホカゲは感じた。
「おまえは何もしていない。気に病むことはない」
「手を下していないからと何も思わずにいられるわけが!」
ほとばしるような言葉は、泣けないユラの心を映している。震えるユラの肩を、ホカゲは眺めるしかできなかった。
「真面目だな」
「――だって私は、佐津の」
「ユラこそ、好きにすればいいんだ。おまえが何をしてもきっと佐津のためになる」
ぶっきらぼうだが優しい声色で言い、ホカゲは視線を空に向けた。
「俺は久良岐に行こうと思う」
「帰るの」
唐突に告げられてユラの胸がズキリとした。しばらく何かとそばにいてくれた人がいなくなる。すこし血の気が引いた。
「いや。あっちがどうなったか確かめなくてはな。斥候に向かうのさ」
ホカゲはあっさり言って笑った。
「探り出し、戻ってくる。ユラに報せるために」
振り向いて見つめる男の瞳は強かった。戻る、という言葉にユラの心臓が跳ねた。ホカゲは佐津をおのれの居場所と定めたという意味だろうか。ユラのためにとは、王たるユラのことなのか。それとも。
心の揺れを抑えつけるユラを見据え、ホカゲは単刀直入だった。
「どう思う。俺は底つ根を封じる久良岐の王の子。おまえは天つ嶺を支える佐津の王になる身。並ぶにふさわしくはないか」
「ちょ、それはどういう」
「そのままだ。俺の隣におまえがほしい」
さすがにうろたえてしまったユラを相手にホカゲは容赦ない。
「――いや、逆か。おまえが王に立つなら、おまえの隣に俺をいさせろと言うべきかな」
「ホ、ホカゲ、何をいきなり」
声をうわずらせるユラに伸ばしかけた手をホカゲは下ろした。あの血に汚れていた頬に触れてみたいと思ったのだ。だが今はまだ、するべきではない。
戦えるこの女を美しいと感じた。強くあろうとするユラを守れればと願った。その許しを得たい。
「俺を選べ、ユラ」
はっきりと言われてユラは何も言えなくなり――だが頬を染めてしまっていた。
ホカゲは従者二人とともにふらりと旅立った。ユラは答えを返せずにいる。
ユラの身は佐津のものだ。夫となる男を誰に定めるかなど、ユラが決めることではない。父アケダだとてその心はともかく幾人かの妻を迎え子を生した。それが王としての務めだから。
ユラもまた、務めであれば従おうと決めている。弟カザネがきっと何かを告げてくれるだろう。ただそれがこうあってほしいというぼんやりした望みは心に生まれている。
「コトフリを置いていく。おまえの元に戻る証に」
そうホカゲに言われた。だがユラは首を振った。
「持っていって。これはホカゲを守るから――証などいらない」
何も伝えない伝えられないユラの言葉の裏側を良い方に受け取ってホカゲはうなずいた。
佐津の山々は緑を濃くしていく。棚田に稲が育ち、森の獣は子を育て、里の川には魚が跳ねる。
それをそのままに守りたいだけ。何も起こらないで。無事に帰ってきて、ホカゲ。
――そう、ユラは願った。
終
揺らめく火影は ただひとときの 山田とり @yamadatori
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